文京区の本郷・弥生には、江戸時代の大名屋敷から近代の大学建築まで、東京の歴史がまとまって残っています。今回は東京メトロ南北線の東大前駅周辺から、東京聖テモテ教会、西教寺の赤門、東京大学農学部、東京大学本郷キャンパスを巡ります。
主な見どころは、西教寺と東京大学に残る「2つの赤門」、ハチ公の飼い主だった上野英三郎博士、関東大震災後の復興で生まれた「内田ゴシック」の建築群、安田講堂、加賀藩前田家の庭園を受け継ぐ三四郎池です。江戸の大名屋敷が、明治以降の大学と近代都市へどうつながったのかを現地でたどれます。
今回のコース概要|東大前から本郷キャンパスを巡る
- エリア:東京都文京区向丘・弥生・本郷
- 主要スポット:東京聖テモテ教会、西教寺、東京大学農学資料館、上野英三郎博士とハチ公像、東京大学本郷キャンパス、安田講堂、赤門、三四郎池
- テーマ:江戸の大名屋敷と御守殿門、東京大学の近代建築、関東大震災からの復興、ハチ公と大学教授、加賀藩前田家の庭園
各地点名のリンクはGoogleマップです。実際に歩く際は、大学や寺院など各施設の公開状況・立入範囲を現地の案内に従って確認してください。
東京聖テモテ教会|弥生に残る日本聖公会の教会
東京聖テモテ教会は、東京大学地震研究所の近くにある日本聖公会の教会です。教会の公式案内では1903年に設立され、1909年に礼拝堂が完成しました。初期の礼拝堂は1945年の空襲で焼失し、現在の聖堂は1950年に再建されています。
本郷・弥生は東京大学だけでなく、明治以降の教育・宗教施設が集まった地域でもあります。東大前駅周辺から歩き始めると、大学街の一角に教会があること自体が、この地域の近代史を感じさせます。
本郷で見る2つの赤門|西教寺と東京大学
西教寺の赤門|酒井家から移築された御守殿門
涅槃山 究竟院 西教寺は、文京区向丘にある浄土真宗本願寺派の寺院です。現在の表門は1874年、徳川家の重臣だった酒井雅楽頭家の屋敷から移築されました。文京区指定有形文化財です。
この門は、11代将軍徳川家斉の娘・喜代姫が姫路藩主酒井忠学に嫁ぐ際に迎えるため建てられたと伝わります。将軍家の娘が大名家へ嫁いだ際、その居所を「御守殿」と呼び、門を朱色に塗ったことから「赤門」と呼ばれました。現地では、寺院の門として残る赤い表門そのものに注目です。
東京大学の赤門|加賀藩前田家の御守殿門
東京大学の赤門は、加賀藩前田家の上屋敷に建てられた旧加賀屋敷御守殿門です。1827年、11代将軍徳川家斉の娘・溶姫を迎えるために建立され、現在は国の重要文化財です。
西教寺と東京大学の赤門を続けて見ると、朱塗りの門が単なる装飾ではなく、将軍家の姫と大名家の婚姻を背景にした「御守殿門」だったことが分かります。本郷周辺で2つを比較できるのが、この散歩の大きな見どころです。
ハチ公と東京大学|飼い主・上野英三郎博士を訪ねる
東京大学農学資料館の近くには「上野英三郎博士とハチ公像」があります。渋谷駅前で知られるハチ公の飼い主、上野英三郎は東京帝国大学農科大学の教授で、日本の農業土木・農業工学の発展に尽力した人物です。
現在の像は、ハチ公没後80年にあたる2015年3月8日に建立されました。渋谷のハチ公像が「待つハチ」を表しているのに対し、東京大学ではハチが上野博士と再会する姿になっています。人物の経歴を知ってから見ると、観光名所としてのハチ公とは違う背景が見えてきます。
農学部周辺では、ドーバー海峡大橋、チャールズ・ウェスト像も巡りました。
東京大学本郷キャンパスの建築|「内田ゴシック」を見る
東京大学本郷キャンパスでは、関東大震災後の復興を担った建築家・内田祥三の建築がまとまって見られます。暗赤色のタイル、縦長の窓、アーチ、垂直方向を強調する柱型などを取り入れた建築群は「内田ゴシック」と呼ばれます。
大講堂(安田講堂)、本郷正門及び門衛所、法文学部1号館・2号館、法学部3号館、工学部1号館、工学部列品館などは、国の登録有形文化財です。建物を一棟ずつ見るだけでなく、正門から安田講堂へ伸びる軸線や、建物同士の外観の統一感を見ると、キャンパス全体を計画した意図が分かりやすくなります。
工学部1号館・工学部列品館
工学部1号館は1935年竣工。旧工科大学本館が関東大震災で損傷した跡地に建てられました。正面のゴシックアーチや、縦方向を強調する外観が見どころです。
工学部列品館は1925年竣工。東京大学の公式解説では、内田祥三が震災復興の様式として展開した「ウチダゴシック」の最初の建物とされています。連続アーチのポーチ、装飾を持つ柱型、縦長の窓に注目すると特徴をつかみやすい建物です。
法文1号館・法文2号館・法学部3号館
法文1号館は1935年、法文2号館は1938年の竣工です。正門と安田講堂を結ぶ東西軸に沿って向かい合い、1階にはゴシック風のアーケードがあります。
法学部3号館は1927年竣工。工学部列品館と向かい合う位置にあり、入口のゴシックアーチと垂直線を強調した外観を確認できます。
東京大学正門|伊東忠太が設計
東京大学正門と門衛所は1912年竣工です。設計は、築地本願寺や平安神宮などでも知られる建築家・伊東忠太。花崗岩の正門と門衛所が左右対称に並び、赤門とは異なる近代の大学正門としての表情を見せます。
安田講堂|東京大学を象徴する1925年の建築
東京大学大講堂(安田講堂)は1925年竣工。安田善次郎の寄附を受けて建設され、内田祥三が基本設計を行い、岸田日出刀も設計に加わりました。ゴシックを基調に垂直性を強調した外観と、正門からキャンパスの奥に見える配置が東京大学の象徴的な景観をつくっています。
安田講堂が大きな舞台となった1968~69年の経緯は、東大紛争の解説記事で、医学部研修医問題から1969年度入試中止まで時系列で紹介しています。
戦時から戦後にかけて東京大学がどう変わったかは、矢内原忠雄・平賀譲・内田祥三・南原繁からたどる戦時・戦後の東京大学史で詳しく解説しています。

東京大学総合図書館|関東大震災とロックフェラー財団
東京大学総合図書館の歴史には、1923年の関東大震災が深く関わっています。旧図書館は震災後の火災で焼失し、多くの蔵書が失われました。その後、国内外から図書の寄贈が集まり、ロックフェラー財団からも復興のための寄附が寄せられました。
現在の総合図書館は1926年に着工し、1928年に竣工しました。内田祥三が設計監督を担当しています。安田講堂や周囲の校舎とあわせて見ると、震災後に東京大学がキャンパスを再建していった過程を建築からたどれます。
三四郎池|加賀藩前田家の庭園から夏目漱石へ
育徳園心字池(三四郎池)は、東京大学ができてから造られた池ではありません。ここは江戸時代、加賀藩前田家の本郷上屋敷にあった庭園「育徳園」の一部です。3代藩主前田利常が1638年に園池を大きく整備し、その後も前田家によって手が加えられました。
正式名称は「育徳園心字池」です。1908年に朝日新聞で連載された夏目漱石の小説『三四郎』に登場したことから、「三四郎池」の名で親しまれるようになりました。赤門と三四郎池を続けて見ると、現在の東京大学本郷キャンパスの下に、加賀藩前田家の屋敷と庭園の構造が重なっていることが分かります。
池の周辺では、大学建築とは異なる起伏のある地形と樹木、水辺の景観が見どころです。近くには懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸庭園)もありますが、立入できない範囲には入らず手前から確認します。
東京大学総合研究博物館まで歩く
キャンパス内では最後に東京大学総合研究博物館へ。大学が蓄積してきた学術標本や研究資料に触れられる施設で、本郷キャンパスを「建物を見る場所」だけでなく、研究と資料が集まる場所として理解できます。開館状況や展示内容は訪問前に公式情報を確認してください。
本郷・東京大学を歩くと見えてくる歴史
このコースでは、西教寺と東京大学の赤門から江戸時代の将軍家と大名家の関係を、三四郎池から加賀藩前田家の庭園をたどれます。明治以降は東京大学が置かれ、関東大震災後には内田祥三を中心とした復興建築がキャンパスの景観を形づくりました。さらに農学部では、ハチ公と上野英三郎博士という身近な物語から大学の歴史に入れます。東京大学そのものの歩みは、歴代総長で読む東京大学の歴史で、明治の大学形成、戦争と戦後改革、東大紛争の三つの転換から整理しています。
本郷周辺を別のルートから歩くなら、春日局の麟祥院、レトロ建築、神社仏閣、裏路地などを巡ります、湯島天神の梅まつりと本郷散策もあわせてご覧ください。東京各地のコースを探す場合は、東京歴史散歩おすすめコース集にまとめています。
解説付きで東京を歩く|ゆる歴史散歩会
ゆる歴史散歩会では、東京の史跡、建築、神社仏閣、地形などを、現地で解説を聞きながら巡る街歩きイベントを開催しています。本郷のように、建物や道を見ただけでは分かりにくい背景も、その場所で確認しながら歩けます。募集中の企画はイベント一覧から確認できます。
TimeWalkで本郷周辺の歴史スポットを探す
TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。本郷・東京大学周辺を歩く前後に、近くの史跡や歴史人物に関係する場所を探すときにも利用できます。
関連する現地散歩として、上野公園〜不忍池〜東大キャンパス〜本郷〜春日の裏路地を巡るもあわせて参照できます。

