沿革
- 元々は「大久保」の名の由来となる窪地の湿地帯と元大村藩主大村邸があった
- 歌舞伎町の東側には元加賀藩主前田邸があった
大村家(大村藩)について
- 平安時代より、長崎県大村市地域の領主
- 第12代当主は日本初のキリシタン大名である大村純忠
- 長子の大村喜前(よしあき)は関ヶ原の戦いでは東軍
- 大村喜前は大村藩の初代藩主
- 転封もなく古来よりの領地のまま明治維新を迎えた極めて稀な藩
- 藩校「集義館」は九州地方初で全国でも7番目
- 藩内の豪商、捕鯨業者の深澤家の影響力大
- 薩摩藩と並んでサツマイモを日常食材として導入し、名目の石高以上に食糧事情が良かった
- 鳥羽・伏見の戦いで倒幕側として活躍し、明治時代では華族となり伯爵に叙された
- 明治時代には鴨場となった
- 1893年、淀橋浄水場建設に伴い、残土で鴨場の池が埋め立てられた
- 1932年、東京市淀橋区に編入され、市街化が進んだ。
- 1945年の東京大空襲で一面焼け野原となった
- 戦後「歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という復興事業案がまとめられ、この都市計画から「歌舞伎町」と名付けられた
- が、新宿コマ劇場が建設されるにとどまった
- 1952年には西武新宿駅が開業(この時点では新宿駅東口に乗り入れる計画だった)
- 1960年頃から現在のような歓楽街の施設が目立ち、治安が悪くなる
- 2002年頃から石原東京都知事により歌舞伎町の締め付けが厳しくなった。歌舞伎町に監視カメラ設置。暴力団幹部が中国人に射殺されるなど物騒な事件が発生。
- 2003年4月からは1000人余りの警察官を動員して風俗店や暴力団を対象に一斉取り締り「歌舞伎町浄化作戦」が行われた
- 2005年までに200店舗近い風俗店が廃業に追い込まれ、外国人も1000人以上が検挙された
- 東京都迷惑防止条例とぼったくり防止条例が改正され、悪質な店舗が減少し、客層が変わる転機となった。
- 「東洋一の歓楽街」と呼ばれてきたが、2010年代には様相はさらに変容し「欲望の迷宮都市」、「外国人労働者の新租界」等とも評されている。
- 2022年から大久保公園周辺で立ちんぼ(売春婦)が急増し逮捕者は100人以上となった。女性の多くがホストクラブやメンズ地下アイドルにはまったことによる借金返済であった。
- 2023年11月15日、ホストクラブ従業員が路上でめった刺しになる殺人未遂事件が発生
- 2024年4月18日、売春目的の客待ち問題で宿泊施設に初の一斉立ち入り
開発計画
歌舞伎町地区は、国内外から人が集まっている世界的な繁華街として賑わう一方、まちの安全安心、経済活動、建物の老朽化などの面で様々な課題を抱えています。エンターテイメントシティ歌舞伎町を具現化するための「歌舞伎町まちづくり誘導方針」を策定し、さらに平成25 年4 月に「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」を策定しました。
今回いくところ
屋上はレストランになっていてそこそこ景色いいです。そんなに高くありません。
立たんぼで有名なところ
ホテルグレイスリー新宿8階で「ゴジラヘッド」見学できます。ただし当面の間テラスへの入場は不可となっています。
東急歌舞伎町タワー17階に展望フロアと屋外テラスがあります。
ゴールデン街の入口です。