駒込〜田端の夜の歴史散歩|染井吉野・上田端八幡神社・赤紙仁王・芥川龍之介旧居跡【開催レポート】

田端八幡神社境内の大山祇神社の小祠と見学する参加者

2024年11月14日(木)19時30分、ゆる歴史散歩会では14人で駒込から田端までの夜の街歩きを開催しました。山手線の内側で、サークルとしてまだ歩いていなかった地域を訪ねる企画です。桜の名所として知られる駒込を出発し、商店街や鉄道高架下、古い神社と寺院、文学者ゆかりの場所を巡りながら、田端の起伏に富んだ地形を歩きました。

開催概要と散歩コース

開催日:2024年11月14日(木)19:30開始 参加者:14人 集合:駒込駅付近 ゴール:JR田端駅南口

駒込駅付近 → 染井吉野発祥の地 → 住宅街の裏路地 → アザレア通り → 鉄道高架下 → 上田端八幡神社・大山祇神社 → 東覚寺・赤紙仁王 → 田端切通し周辺 → 芥川龍之介旧居跡 → JR田端駅南口。

駒込|染井吉野の故郷から出発

駒込は、江戸時代から植木職人が集まった地域です。現在の豊島区駒込周辺にあった染井村の植木屋が、江戸末期から明治にかけて売り出した桜が染井吉野そめいよしの。エドヒガンとオオシマザクラに由来する園芸品種で、やがて日本各地に広まりました。当初は「吉野桜」と呼ばれましたが、奈良・吉野山のヤマザクラと区別するため「染井吉野」の名が定着しました。駒込駅近くの染井吉野桜記念公園には、この土地と桜の結びつきを伝える碑があります。

駒込の染井吉野発祥の地を紹介する歴史案内板
駒込の染井吉野発祥の地を紹介する案内板。

この夜は駒込駅付近に参加者が集合。街灯の下で集まったところから、夜の歴史散歩が始まりました。

夜の駒込駅付近に集合した街歩きの参加者
駒込駅付近に集合し、14人で夜の歴史散歩を開始しました。

植木屋の街に残る武家屋敷と鎮守の記憶

駒込の武家屋敷の歴史を伝える史跡として、鹿碑ろくひと瘞賜猪碑えいしちょひという豊島区指定文化財があります。鹿碑は寛政7年(1795)、11代将軍・徳川家斉の鹿狩に随行した旗本・本郷泰行が建立。瘞賜猪碑は嘉永2年(1849)、12代将軍・徳川家慶から猪や兎を賜ったことを、泰行の孫・本郷泰固が記した石碑です。かつての本郷家下屋敷は、明治維新後に木戸孝允きどたかよしの別邸となり、付近には木戸坂の名が残ります。

また、駒込日枝神社は旧上駒込村の鎮守で、江戸時代には「朝日山王宮」と呼ばれました。現在の住宅地の中にも、植木屋、武家屋敷、村の神社という異なる時代の面影が重なっています。

路地とアザレア通り|夜の街並みと鉄道

住宅街に入ると、細い路地や石段が現れます。平坦に見える山手線沿線でも、歩いてみると坂や階段が多く、台地の縁に広がる街であることが実感できます。

駒込から田端へ向かう住宅街の階段と夜の裏路地
住宅街の細い路地と階段を進みます。

アザレア通りでは商店街のアーチや明かりの下を歩き、さらに鉄道高架へ。電車が通る線路と住宅街がすぐ近くで接する風景は、駒込から田端にかけての特徴の一つです。

夜の駒込アザレア通り商店街の入口アーチ
アザレア通り。駅前のにぎわいを抜けて田端方面へ。
鉄道高架下の夜道を歩く歴史散歩の参加者
列車の走る鉄道高架の下を歩きました。

上田端八幡神社|村の鎮守と境内の大山祇神社

田端には、上田端と下田端にそれぞれ八幡神社があります。今回訪ねた境内社・大山祇神社があるのは、田端4丁目の上田端八幡神社です。田端2丁目の田端八幡神社とは別の神社で、江戸時代に上田端と下田端がそれぞれ村の鎮守を持っていた歴史を伝えています。

上田端八幡神社の祭神は品陀別命ほんだわけのみこと(応神天皇)。源頼朝が文治5年(1189)の奥州合戦から戻る途中、この土地に八幡神を勧請したという伝承があります。神社の隣にある大龍寺は、江戸時代に神社の祭祀に関わった別当寺で、俳人・正岡子規まさおかしきの墓があることでも知られています。

上田端八幡神社の由緒を伝える村の鎮守の八幡神社の説明板
上田端八幡神社の歴史を紹介する「村の鎮守の八幡神社」の説明板。
夜の上田端八幡神社の鳥居と参道の階段を歩く参加者
夜の上田端八幡神社。石段を上がって境内へ。

境内の小さな祠には「大山祇神社」と記されています。大山祇神おおやまつみのかみは山の神として信仰され、愛媛県大三島の大山祇神社や三島信仰とも深く関わります。田端の境内社の由緒や大三島とのつながりは、日本総鎮守・大山祇神社と三島信仰の歴史でも詳しく紹介しています。

上田端八幡神社境内の大山祇神社の祠と参加者
上田端八幡神社の境内社・大山祇神社。小さな祠にも足を止めました。

東覚寺|赤紙仁王に残る病気平癒の信仰

田端2丁目の東覚寺は、門前の一対の石造金剛力士こんごうりきし像「赤紙仁王あかがみにおう」で知られます。寛永18年(1641)、僧・宗海しゅうかいが疫病を鎮めようと造立し、田端八幡神社へ奉納したと伝わります。もとは同神社の参道にあり、明治初年の神仏分離に際して、別当寺だった東覚寺へ移されました。

体の具合が悪い部分と同じ場所に赤紙を貼って病気の身代わりを願い、快癒した際には草鞋わらじを奉納する風習があります。石像の全身を覆う赤紙は、長年にわたって人びとが寄せた願いの積み重ねです。

東覚寺の護摩堂前に立つ赤紙に覆われた石造金剛力士像
東覚寺の護摩堂前に立つ一対の赤紙仁王。赤い紙が重ねて貼られています。
東覚寺の赤紙仁王の造立年と病気平癒信仰を記した北区文化財説明板
赤紙仁王の文化財説明板。1641年の造立と赤紙を貼る祈願の由来が記されています。

田端切通し|台地を切り開いた道

田端では台地と低地の高低差がはっきり現れます。切通しきりどおしは、丘や台地を削って道路を通した場所です。田端の切通しは両側に高い石垣が続く独特の景観を持ち、東台橋から道路を見下ろすと、もとはひと続きだった台地を切り開いた様子が分かります。

夜の散歩でも長い階段を進む場面がありました。急な上り下りは、地図上の短い距離だけでは伝わらない田端の地形を体で感じられるひとときでした。

田端切通し付近の石垣と高架橋が見える夜の道路を歩く参加者
田端切通し周辺の道路。石垣と高架橋が続く夜の街並みを歩きました。

芥川龍之介旧居跡|田端文士村の文学史

田端は、明治末から大正・昭和初期にかけて作家や画家、彫刻家が集まった「田端文士村」として知られます。芥川龍之介あくたがわりゅうのすけは大正3年(1914)から昭和2年(1927)に亡くなるまで、この地で暮らしました。作家・室生犀星むろうさいせいとの交流もあり、田端は近代文学の重要な舞台となりました。

旧居跡には、芥川が暮らした場所を伝える案内板が立っています。北区は旧居跡地の一部に芥川龍之介記念館を整備しており、2027年7月の開館を目指しています。

田端にある芥川龍之介旧居跡の案内板
芥川龍之介旧居跡。田端の文学史に触れる場所です。

JR田端駅南口|坂と線路のある終着点

散歩の終点はJR田端駅南口。駅の周辺では線路と高台が近接し、夜の駅前にも坂道が続きます。南口付近の不動坂ふどうざかという名は、かつて駅の東側に不動明王の石像と「不動の滝」があったことに由来します。学生時代の芥川龍之介も、この坂を通って田端駅へ向かっていました。

JR田端駅南口へ続く夜の長い石段を下る歴史散歩参加者
JR田端駅南口へ向かう長い階段を下ります。
夜のJR田端駅南口の駅舎と改札入口
JR田端駅南口の駅舎。ここで夜の歴史散歩を終えました。

関連する歴史散歩

同じ田端を別の道筋から歩いた記録として、谷田川の暗渠と第二中里踏切をたどる開催レポート、田端・中里の崖線や鉄道を巡る夜散歩レポートもあります。現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリTimeWalkも利用できます。

参考資料

・豊島区「ソメイヨシノの故郷『駒込』で、桜をめぐる」
・豊島区「鹿碑および瘞賜猪碑」
・北区観光「上田端八幡神社」
・北区観光「大龍寺」
・東覚寺「赤紙仁王」
・北区「芥川龍之介の散歩道」
・北区「芥川龍之介記念館」整備情報

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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