富岡八幡宮殺人事件と宮司

富岡八幡宮殺人事件と宮司の話1 雑学
富岡茂永(左・弟)が富岡長子(右・姉)を殺害後、自殺した

宮司(ぐうじ)は神社の最高の神職。
禰宜(ねぎ)は神職の位の一つで宮司の下位。
権宮司、権禰宜の「」は副の意味。

富岡八幡宮のイベントの際「宮司は世襲だったのですか?」という質問をいただきましたが、調べると世襲だったようです。もちろん、事件後は世襲ではなくなりました。

Wikipediaには「事件の2日後の2017年12月9日、富岡八幡宮は緊急の責任役員会議を開催し、宮司の補佐や代理を務めていた権宮司丸山聡一を宮司代務者にすることに決めた」とあります。

富岡八幡宮の宮司について

16代 富岡有永   

17代 富岡宣永

18代 富岡盛彦

19代 富岡興永

20代 富岡茂永 1995年3月~2001年5月
⇒素行の悪さが問題視され解任

19代 富岡興永 2001年5月~2010年10月 

2010年10月~空席
⇒神社本庁が富岡長子の宮司就任を認めなかったため

21代 富岡長子 2017年10月~2017年12月7日
⇒富岡茂永に殺害された。

22代 丸山聡一 2018年6月28日~現在

富岡茂永の素行の悪さ

神社の賽銭などを使って、銀座などのクラブで飲み歩いたり、ラスベガスのカジノで賭博を日常的に行ったりするなど、金遣いの荒さや女癖の悪さなどが問題視され、宮司を解任された。2001年、先代の興永が宮司として復帰。1億2000万円の退職金と月額30万円の年金を手に入れた茂永は神職を手放し、茂永は妻と福岡県宗像市に移り住み、自家用船を所有して釣り三昧の生活を送った。2006年、富岡八幡宮の禰宜を務めていた姉の富岡長子に対する脅迫罪の容疑で逮捕された。ここから殺人事件へとつながる。

富岡長子の素行の悪さ

富岡八幡宮殺人事件と宮司の話2
富岡長子元宮司が住んでいた豪邸(賽銭御殿)。境内に隣接してあったが事件後ほどなくして取り壊された。

「実質的な宮司に収まりましたが、こちらも弟に負けず金遣いは荒かった新宿のホストクラブに入り浸って、今夏の祭りには、場違いなホスト風情の男が十何人と来てました。常に200万円を現金で持ち歩いていて、高級な食事をごちそうするのは当たり前、帰りのタクシー代まで渡していました」(神社関係者)

「好きな飲み物は高級シャンパンのドンペリ。毎年初夏に、地域の警察関係者との懇親会が屋形船を借り切って行われ、長子さんは必ずドンペリ10本を差し入れするんです。どちらかというと、自分が飲みたいがためなんでしょうけど」(地元商店の関係者)

「土地の切り売りや運用で、長子さん個人の預金は10億円以上あると噂されていました。1人で住んでいた洋館風の自宅は4億円は下らないともいわれ、地元では“賽銭御殿”と囁かれていたくらいです。犬を10匹以上飼っていて、専属の世話係もいました」(地元商店の関係者)

詳細はこちらの記事↓
富岡八幡宮斬殺 賽銭泥棒、ホスト、不敬事件…放蕩の裏側

富岡八幡宮殺人事件について

Wikipediaにも「富岡八幡宮殺人事件」という独立ページがありますが、こちらの記事も参考になるので紹介しておきます。

富岡八幡宮司刺殺 「たたり続ける」元宮司が「自害」前に書いたドロドロ過ぎる手紙

太古から世界のいたるところで発生している親族間の争いですね。天皇、皇帝の座の争いであったり、みんな名前は知っている「応仁の乱」も後継者争いが発端です。親族間など閉ざされた世界の権力争いは逃げ場がないので殺人事件まで発展してしまうのかもしれません。人類が存続する限りなくならないんでしょうね。

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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