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②西久保八幡神社
地元密着型の歴史ある八幡さん。
西久保は旧地名。寛弘年間(1004年~1012年)源頼信によって霞ヶ関のあたりに創建され、室町時代の武将で江戸城主となった太田道灌が現在の地に遷した。
御祭神
品陀和気命(ホンダワケノミコト)
息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)
帯中日子命(オキナカツヒコノミコト)
③霊友会釈迦殿
麻布台ヒルズに隣接している概観がすごい建物!
久保角太郎が創立した法華経系の新宗教。1930年に発会式。霊友会からは多くの教団が分派した。主なものに妙智会教団、佛所護念会教団、立正佼成会など
公式の歴史ページ
④日本経緯度原点
今の国立天文台の前身!
付近に駐日ロシア連邦大使館、東京アメリカンクラブ、駐日アフガニスタン大使館があります。
1892年(明治25年)に参謀本部陸地測量部によって定められた。当時この場所には帝国大学(現東京大学)付属東京天文台(現在の国立天文台の前身)があり、その子午環(天体が子午線を通過する時の高度角を測定する特殊な望遠鏡)の中心が原点とされたのである。しかし1923年(大正12年)の関東大震災により、東京天文台の子午環は崩壊してしまったため、その跡地に日本経緯度原点を示す金属標が設置された。
聖公会とは?
「唯一の、聖なる、公同の、使徒的な(One holy catholic and apostlic)教会である」という意味です。これは、近代日本にキリストがもたらされる前に英語から中国語に訳された言葉から、そのまま日本に移入されたものです。英語ではアングリカン・コミュニオン (Anglican Communion)と言います。ローマ・カトリック教会とプロテスタント諸教会(ルター派やカルヴァン派など)との中道(ヴィア・メディア)として、自らを位置づけています。その歴史は、イギリスが宗教改革によってローマ・カトリック教会の宗教的・政治的支配を脱し、その教会の主教座をペテロ以降の正当な使徒継承者と認める英国国教会(Church of England)の成立が、その起源になります。「母国語による聖書、母国語による礼拝」という理念もあって「英国国教会の教会」ではなく、例えば「日本聖公会(Anglican Church of Japan)」というように、それぞれの地域や国名を冠した教会になります。
日本聖公会の歴史
江戸末期の1859年、C・M・ウィリアムス*3とL・リギンズの二人の米国聖公会宣教師が、長崎に来日しました。これが日本での聖公会によるキリスト教宣教の第一歩でした。前年締結された日米修好通商条約や日英修好通商条約によって、日本国内で外国人の礼拝の権利が保障されたことが契機になっています。さらに明治維新を経て、73年(明治6年)にはキリスト教禁制の高札が撤廃され、イギリスやアメリカ、カナダから多数の宣教師が派遣されました。こうして日本聖公会は87年に第一回総会を開催し、組織として成立します。また、徐々に日本人司祭も増え、 1923年には日本人で最初の主教も誕生しています。
⑤聖オルバン教会(日本聖公会)
聖公会では東京教区で唯一、英語を話す会衆から成る教会で、牧師は英語を母国語とし礼拝はすべて英語で行なわれます。信徒は日本を含む世界各地から集い、日本に住むキリスト教信徒にとっては文化や言葉の違いによる困難から解放されて祈ることのできる、貴重な存在となっています。
1879年から現在の場所で英語によるキリスト教礼拝が行われ、戦後1956年に著名なチェコ系アメリカ人建築家、アントニン・レイモンドの設計により現在の礼拝堂が建築されました。日曜日午前8時・10時半の定時礼拝の他に、英語での日曜学校、教理・教会教育、読書会や聖書研究会等、様々なグループが活発に活動しております。礼拝は全て英語ですが、どなたにも開かれた親しみやすい教会です。是非お越しください。
⑥聖アンデレ教会(日本聖公会)
日本聖公会に属する伝統的なキリスト教会!
アンデレ教会は日本聖公会東京教区の主教座聖堂でもあります。1873年(明治6年)9月、2人の英国人宣教師が日本に派遣されました。キリスト教禁令の高札が撤去されて半年余り後のことです。その一人がアレクサンダー・クロフト・ショウとウィリアム・ライトです。二人は福沢諭吉の家(築地外国人居留地でもあり慶應義塾発祥の地でもあり現在は聖路加国際大学や病院がある地区)に住みながら、築地に英語塾を開いたり(立教学院の前身)、翌75年からは霊南坂の陽泉寺(赤坂のアメリカ大使館の隣)で在日英国人のための礼拝や、日本人への本格的な伝道を開始します。そしてほどなく島田弟丸など日本人にも洗礼を授けます。翌76年には、聖アンデレ教会の前身である聖パウロ教会を三田松本町に開設します。その後いろいろあって現在に至ります。
⑦幸稲荷神社・瘡護神社
東京でも最も古い神社の一つ!
創立は時代を更にさかのぼる応永元年(一三九四年)四月、 武蔵国豊島群岸之村(現在の芝大門芝公園十号地)の鎮守として勧請されたと伝えられております。古くから、この付近は鎌倉街道にあたり、人々の往来も盛んで、郭公の名所としても知られ、 江戸時代にいたって境内には講談寄席、大弓場、水茶屋等が常設され非常なにぎわいをみせていました。
⑧青松寺
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。長州藩、土佐藩、広島藩、津和野藩、津山藩、岡藩、安房勝山藩、請西藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用した。
境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出、明治8年(1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。インドネシア独立戦争に参加した、アブドルラフマン市来龍夫、アレフ吉住留五郎、に対して 1956年にスカルノ大統領より送られた記念碑が入り口入って右奥にある。
⑨栄閑院(猿寺)
杉田玄白の墓がある!
江戸時代、浄土宗久遠山天徳寺の塔頭(たっちゅう)栄閑院として創建された。猿まわしの泥棒が当寺の住職によって改心し、猿を残して、諸国行脚の巡礼に旅立った。残された猿は、当寺の飼い猿としてかわいがられた逸話から猿寺とも呼ばれている。蘭学者杉田玄白の墓や国学者、鍼医である芦野屋麻績一検校の墓がある。
⑩日本基督教団芝教会
日本で最も古いプロテスタント教会!(建物はリニューアルされきれいです)
日本基督教団は1941年6月24日に日本国内のプロテスタント33教派が合同して成立した合同教会で、公会主義を継承する唯一の団体。芝教会は、1874(明治7)年、東京築地の外国人居留地でカラゾルス(Christopher Carrothers 1839-1921)宣教師の指導により創設された「東京第一長老教会」に起源を持つ、日本で最も古い歴史を有するプロテスタント教会の一つであり、1936(昭和11)年、芝区西久保桜川町と称されたこの町に移りました。町名は幾度か変わり、現在は港区虎ノ門一丁目という町名になりましたが、教会はこの町に変わることなくあり続け、礼拝を守って来ました。