2024年12月21日、ゆる歴史散歩会では東京・青山周辺の史跡を巡りました。訪れたのは西麻布の長谷寺(麻布大観音)、南青山の青山霊園、梅窓院など。大きな観音像、静かな庭園、江戸の学者や近代の政治家・画家ゆかりの墓所を見ながら、青山に重なる歴史をたどった一日です。
街中に残る寺院の木造建築、青山霊園の冬の並木、慰霊碑の前で足を止める参加者たち。写真には、史跡を眺めたり歩いたりする当日の場面が残っています。
青山の街と今回の見学先
「青山」という地名は、徳川家に仕えた青山氏の屋敷地に由来すると伝わります。江戸時代には大名屋敷や寺院が置かれ、明治になると青山霊園のような公共の墓地も生まれました。同じ青山周辺でも、長谷寺では観音信仰、青山霊園では近代の人物や慰霊、梅窓院では青山家の歴史に出会えます。
主な見学先は、長谷寺(港区西麻布)・青山霊園(南青山)・梅窓院(南青山)です。
長谷寺|麻布大観音と西麻布に残る寺の歴史
高層ビルのそばに広がる静かな境内
曹洞宗の長谷寺は、永平寺東京別院として知られています。寺の創建は慶長3年(1598年)と伝わり、周辺にはかつて武家屋敷もありました。現在の境内を歩くと、瓦屋根と高層建築が一つの視界に入り、木々に囲まれた庭園には石灯籠や庭石が配されています。

境内では、門や木造建築の造りだけでなく、庭の石組みや植栽にも目を向けました。冬の日差しの中で、都心の大通りとは雰囲気の異なる空間を味わえます。


麻布大観音|戦災を経てよみがえった十一面観音
長谷寺でひときわ目を引くのが「麻布大観音」と呼ばれる木造十一面観世音菩薩立像です。十一面観音は、頭上にさまざまな表情の顔をいただく観音菩薩の姿。人々の苦しみを見守り救うという信仰を背景に、長く親しまれてきました。
境内の説明板によれば、かつての大観音像と堂宇は昭和20年(1945年)の戦災で焼失。その後、関係者の尽力によって昭和52年(1977年)に現在の大観音と大観音堂が再建されました。堂内に立つ大きな観音像は、戦前の信仰を戦後へ受け継ぐ姿でもあります。


伊澤蘭軒と黒田清輝|墓碑から学ぶ医史と近代洋画
長谷寺の墓地には、江戸後期の医師・儒学者伊澤蘭軒(1777~1829)の墓があります。本名は信恬。備後福山藩の侍医として仕える一方、古い医書の異同を調べて本文を整える「校勘」に取り組み、『医心方』などを研究しました。幕末以前の医師が治療だけでなく、文献を読み解く学者でもあったことを伝える人物です。
蘭軒の生涯と交友関係は、森鷗外の史伝小説『伊澤蘭軒』の題材になりました。港区立郷土歴史館の文化財資料でも、墓は港区指定史跡とされています。

もう一人は洋画家黒田清輝(1866~1924)。フランス留学中に絵画へ転じ、帰国後は白馬会の結成や東京美術学校での教育を通じて日本の近代洋画を発展させました。代表作には『舞妓』『湖畔』があります。
黒田の墓は1987年に改葬され、その際に墓誌や愛用品が出土しています。港区立郷土歴史館の資料によれば、眼鏡やパイプなども確認されました。解説板を読むことで、作品だけでは知りにくい画家の暮らしや葬送の歴史にも触れられます。

青山霊園|明治の公営墓地で人物と慰霊の歴史をたどる
開園150年を迎えた青山霊園
青山霊園は明治7年(1874年)9月1日に開園した都立霊園で、2024年は開園150年の節目でした。青山家の旧屋敷地に由来する土地を含み、約26ヘクタールの敷地には、政治家・芸術家・学者など多様な人々の墓所があります。
園内の桜並木は春の名所としても知られますが、開催日の12月には葉を落とした枝の向こうに冬の空が広がっていました。参加者が並木道を歩く写真からも、墓所と緑が共存する霊園の広さが伝わります。

「畝傍の森」に残る海難の記憶
青山霊園では大きな石造の慰霊碑を見学しました。傍らの「畝傍の森」説明板が紹介するのは、明治時代に遭難した軍艦「畝傍」と水雷砲艦「千島」の乗員たち。畝傍はフランスから日本へ向かう途中で消息を絶ち、千島は日本近海での衝突事故によって沈没しました。碑は、海上で命を落とした人々の記憶を今に伝えています。


大久保利通の墓所と維新の政治史
園内には明治政府の中心人物大久保利通(1830~1878)の墓所があります。薩摩藩出身の大久保は、明治維新後の中央政府の整備を進め、内務卿などを務めました。明治11年(1878年)に紀尾井坂で暗殺されています。
大久保利通墓所は東京都の旧跡に指定されています。墓碑や案内板を前にすると、政治史の教科書に登場する人物の生涯が、東京の実際の土地と結びつきます。

梅窓院|「青山」の地名と武家屋敷を伝える菩提寺
青山幸成を弔うために建立された寺
浄土宗の梅窓院は、正式には長青山寶樹寺梅窓院といいます。寛永20年(1643年)、徳川家の家臣であった青山幸成の死後、青山家の下屋敷内に建立されました。菩提寺とは、一族や故人の供養を営む寺院のことです。
寺の名「梅窓院」は幸成の法名に、「長青山」は側室の法名に由来します。屋敷の一角に建てられた寺院が現在まで続くことは、青山がかつて武家の暮らしと結びついていた歴史を物語ります。詳しい由緒は梅窓院公式の寺歴にも記されています。
江戸の由緒と現代建築
梅窓院は青山家の供養の場から、地域の人々にも開かれた寺へと発展しました。現在の本堂棟は建築家・隈研吾の設計で2003年に完成し、2004年に落慶。青山通りから続く竹林の参道も、街のにぎわいから境内へと気持ちを切り替える風景になっています。江戸の大名家の歴史を持つ寺が、現代の青山の街に残る姿も見どころです。
散歩の合間のひとこま
写真には、参加者がわたあめを作る場面も残っています。寺院や墓所に向き合う時間の合間には、こんな身近な楽しみもありました。

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青山一丁目から赤坂へ歩くなら武家屋敷門と高橋是清邸跡を巡る歴史散歩、表参道方面には北青山・神宮前の寺院と人物史、近代の街並みに関心があれば表参道と青山の暗渠・震災復興・戦災を巡る記事もあわせてどうぞ。
自由に周辺を歩く際は、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探せるWebアプリTimeWalkも利用できます。霊園内では墓参の方々に配慮して散策しましょう。
参考資料
永平寺東京別院 長谷寺(公式)/長谷寺境内「麻布大観音」解説板(掲載写真)/港区立郷土歴史館「伊澤蘭軒墓」/同「黒田清輝墓誌及び副葬品」/東京国立博物館「生誕150年 黒田清輝」/東京都公園協会「青山霊園」/東京都建設局「霊園」/青山霊園「畝傍の森」説明板(掲載写真)/梅窓院公式「寺歴」/同「建築について」。

