品川と御殿山とプリンスホテルのお庭とイルミネーション

本日のルート

引用元:御殿山八ツ山を巡る(しながわ観光協会)(PDF)

城南五山(じょうなんござん)

東京城南地区にある高台5カ所の総称である。山手線の内側、目黒駅から品川駅にかけての地域にあり、古くから高級住宅街として知られ、以下の五山で構成される。それぞれ大名屋敷や大名出身の邸宅があった。明治に入って、財閥や実業家の邸宅に引き継がれていった。

御殿山 徳川将軍家の別邸「品川御殿」にその名の由来をもつ。 鷹狩りの休憩所や茶会の場として利用され、江戸時代中期には桜の名所となった。

八ツ山 名の由来に定説はないが、村の古名 「谷山村」が転訛したものとするのが有力。

島津山 仙台藩伊達家の拝領地が、明治になってから旧薩摩藩主島津公爵の邸宅地になったことに由来する。

池田山 備前国岡山藩池田家の下屋敷地だった一帯で、 箱根土地株式会社が分譲住宅地として宅地開発した丘。

花房山 明治末に花房義質子爵が屋敷を構え、江戸時代には播磨国三日月藩森家の上屋敷などがあった丘。

品川駅港南口エリア(品川グランドコモンズと品川インターシティ)

1980年代の品川区港南エリア
現在の品川区港南エリア

品川グランドコモンズ 東京都港区港南・品川区北品川にまたがる再開発地区の愛称で2004年竣工。品川駅東口にあった旧国鉄の操車場跡地の開発プロジェクトのひとつ。5棟の高層オフィスビル(品川イーストワンタワー、太陽生命品川ビル、品川グランドセントラルタワー、NBF品川タワー、キヤノンSタワー)と2棟の高層マンション(ストーリア品川、品川 V-TOWER)と長さ400mの品川セントラルガーデンから構成される。

品川インターシティ 品川駅東口にあった旧国鉄の操車場跡地の再開発プロジェクトの一つで1998年竣工。3棟の高層オフィスビル(A棟・B棟・C棟)とShop&Restaurant棟とショッピングエリア、ホール棟から構成される。

品川セントラルガーデン 品川グランドコモンズと品川インターシティとの間にある緑地スペース。幅約45メートル、長さ約200メートルで、敷地の管理区分により北側は港区の管轄による「汐の公園」、中央部分が再開発地区の公共空地、南側は港区、品川区の管轄による「杜の公園」になっているが、空間的には統一された造りになっている。敷地内には多くの樹木が植わっているほか、随所に品川の街の自然をイメージした造形物が置かれている。周辺のビジネスマンなどの憩いの場となっている。

品川宿 案内地図

ハツ山は北品川北端の地名で武蔵野台地の突端の 丘端。 名前の由来については、昔この付近には八つの 岬があり海に突き出ていた海岸だったためこの名が ついた。【ハツ山橋】 明治5年(1872年)に鉄道が開 通し、日本で最初にできた鉄道陸橋。 南側の第一京浜 国道にかかる新ハツ山橋北側の線路は、 映画 「ゴジ ラ」で撮影された京浜急行電鉄の線路。

開東閣(かいとうかく)
明治22年(1889) 岩崎久弥が、 初代首相伊 藤博文の邸宅だったこの地を購入し、 明治33年岩崎弥之助が譲り受け イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計で明治41年に完成した。 敷地面積 11,200坪。 当初は三菱財閥創始者の岩崎家の高輪別邸だっ たが、昭和13年に当時の三菱社に提供された。太平洋戦争の空襲で焼 却した部分もあったが外観の原型を残し内部の改装を経て、 現在は三菱グ ループの倶楽部として利用されている。一般公開はしていない。

御殿山庭園

御殿山は江戸時代品川宿を見下ろす丘陵で、地名は 三代将軍徳川家光の品川御殿に由来する。一説に太 田道灌の館があったとされるが史料に乏しく、定かで はない。徳川吉宗の時代は桜の名所となり北側が削 られ、開国で公使館焼き討ち事件の場所となった。明 治に入り鉄道開通で大きく削られ汽笛と共に移り変 わり、リニア中央新幹線が真下を通る工事が始まる。

緒明(おあけ)横丁 江戸時代目黒道の一つで居木橋を渡って行った、明治に入り天王洲 の第四台場で緒明造船所を造った、 緒明菊五郎の邸宅があったこと から名がついた。

井上鉄道守邸 井上勝は長州五傑の一人、幕末にロンドンの大学を卒業、 通称弥吉。 鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれる。

日比谷平左衛門邸 明治期の紡績実業家。 東京富士煉瓦紡績や日清紡績など紡績業に 深く関わり、 東京商業会議所副会長を努めたカネボウの会長。

益田孝邸 草創期の日本経済を動かし三井財閥を支えた実業家である。 明治維 新後、世界初の総合商社 三井物産の設立に関る。茶人としても高名 で鈍翁とて号し、「千利休以来の大茶人」と称された。

御殿山トラストシティ 塔屋2階のオフィス棟 「御殿山トラストタワー」と南側の地上25 階、地下3階の「御殿山トラストコート/東京マリオットホテル」で 構成されている。

西郷従道邸(原美術館) 西郷従道邸は、西郷隆盛の弟従道が元横浜正金銀行頭取の原六郎 に売却。 原六郎、もとの名は進藤俊三郎長政。 幕末の志士、軍人、 銀行家、実業家。 この場所が後の原美術館。
原美術館は東京ガス会長、日本航空会長、帝都高速度交通営団初代総 裁であった原邦造の邸宅として建てられた。 この洋館は日劇 (現在の有 楽町マリオン)や東京国立博物館、 和光本館などを手掛けた渡辺仁の設 計で、昭和初期の建築物として非常に貴重な物。 モダニズムのデザイン で、柔らかいカーブの曲線とシャープな直線、水平に広がる低層階と垂 直な塔屋、 初期モダニズムの象徴である屋上空間の利用も見られる。

ガーデンシティ品川御殿山

徳川将軍家の別邸「品川御殿」に由来する都内屈指の高級住宅街「御殿山」に隣接。ガーデンシティ品川御殿山は、旧ソニー本社跡地(開発敷地面積約2万8,000㎡)の大規模複合開発のオフィス棟として竣工しました。広大な屋上ガーデンをはじめとする豊かな緑に囲まれた免震構造の高機能オフィスビルとして、周辺地域と調和しながらオフィスワーカーに快適なオフィス空間を提供しています。

グランドプリンスホテル新高輪

戦前(左)と現在(右)の品川駅高輪口エリア

戦前は、

  • グランドプリンスホテル新高輪は北白川宮邸
  • グランドプリンスホテル高輪は竹田宮邸
  • ザ・プリンス さくらタワー東京は朝香宮邸
  • 品川プリンスホテルは毛利公爵邸

であった。

ちなみに、プリンスホテルの「プリンス」という名称は、西武グループ創業者である堤康次郎がこれら皇族邸を購入してホテルとして運営したことに由来する。宮家、公家、徳川家以外で「公爵」となったのは当時島津と毛利のみ。毛利元徳公爵は毛利元就、輝元の子孫。

以下、鹿島HP「鹿島の奇跡」より要約

品川プリンスホテルの前にはかつて毛利公爵邸があり、その敷地には鹿島建設が施工した洋館が存在しました。敷地面積は1万6,461坪(約5万4,420㎡)で、和館と洋館が併設され、天皇や外国の賓客をもてなす場として使われたと考えられています。明治初期の日本で建設された個人所有の洋館としては最も古い部類に属し、木造2階建てで建築面積は87.5坪(約289㎡)、渡り廊下で和館と繋がっていました。

この洋館は井上勝の監督の下、明治5年(1872年)から約1年半で完成しました。井上は鉄道頭としても活躍した人物で、工事は彼の手腕を発揮したものとされています。毛利家の洋館は、日本の洋風建築の黎明期を象徴する建物でしたが、詳細な間取りや構造についての記録はほとんど残されていません。その外観は後に建てられた岩崎家邸宅に似ていたと推測されています。

プリンスホテル日本庭園

グランドプリンスホテル新高輪、グランドプリンスホテル高輪、ザ・プリンス さくらタワー東京に囲まれた日本庭園。

旧竹田宮邸洋館

旧竹田宮邸は、明治39年に創設された竹田宮家の邸宅で、明治42年に宮廷建築家片山東熊が設計した鉄骨煉瓦造2階建て地下1階の住宅です。当初は天皇の御用邸として建設されていましたが、恒久王の結婚が決まり竹田宮に下賜されました。片山東熊は日本の近代建築を築いた建築家で、赤坂御所(現迎賓館)の設計も手掛けました。現在はグランドプリンス高輪の結婚式場として利用され、庭には噴水があり、ガーデンウェディングも可能です。