旧小松川閘門
この建物は、その昔、小松川閘門と呼ばれていました。閘門(こうもん)とは水位の異なる二つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のことです。川は、現在のように車などの交通機関が普及するまでは、大量の物資(米、塩、醤油など)を効率よく運べる船の通り道として頻繁に利用されました。ここは、その船の通り道である荒川と旧中川との合流地点でしたが、たび重なる水害を防ぐために明治44年(1911)、荒川の改修工事が進められ、その結果、水位差が生じて舟の通行に大きな障害となりました。この水位差を解消させるために昭和5年(1930)、小松川閘門が完成し、その後、車などの交通機関が発達して、舟の需要が減少し閉鎖に至るまでの間、需要な役割を果たしました。本来、この閘門は、二つの扉の開閉によって機能を果たしていましたが、この建物はそのうちの一つで、もう一つの扉は現在ありません。また、この建物も全体の約2/3程度が土の中に埋まっていて昔の面影が少ないのですが、今後、この残された部分を大切に保存して周辺地域の移り変わりを伝えるのに役立てる予定です。(国土交通省)
場所
東京都江戸川区小松川1丁目1
大島小松川公園 風の広場と展望の丘の間
Googleマップ
船堀タワー
1999年3月16日開業。東京三大タワーの一つ。
- 東京スカイツリー(634m、展望台450m)
- 東京タワー(333m、展望台250m)
- 船堀タワー(115m、展望台103m)
災害が発生した際に状況を確認できる施設として防災目的で建てられ、タワーの頂点には360度を見渡すカメラがついている。
船堀の歴史
堀船駅から南に向かうと、新川(船堀川)があります。船堀という地名は字の通り、船用の堀があった場所ということが由来です。徳川家康が現在の千葉県市川市・行徳の塩田を江戸に運ぶ船路として新川が作られました。塩の道として多くの人に利用されましたが、その付近には醤油や味噌を販売するお店や料理店が立ち並び賑わいを見せていたようです。新川の遊歩道は、新川沿いに区が整備して約3キロに渡ってつながっています。現在は、新川千本桜として春にはたくさんの人でにぎわうエリアになっています。 ※妙泉寺「江戸川区船堀を歩く」より抜粋
金魚の三大産地
かつて船堀は、金魚の三大産地とよばれていました(他は奈良県の大和郡山市、愛知県の弥富市)。今では業者は減少していますが、何度も全国大会で賞を獲得する技術は今でも脈々と息づいています。※詳細は金魚のふるさと江戸川区を参照