大田区大森南4丁目に、東京都内で唯一とされるドライアイス製造工場があります。株式会社アルプスの東京・大森工場です。会社は1977年に設立され、日本酸素、現在の大陽日酸につながるドライアイス製造販売事業会社として大田区で創業しました。
ドライアイスは、冷凍食品、鮮魚、医薬品、空港貨物、停電時の冷却など、低温物流を支える材料です。ところが国内では、原料となる炭酸ガスの供給源が減り、2020年代に入って供給の不安定化が続いています。東京で最後に残った製造工場は、首都圏の巨大な消費地に近いという強みを持つ一方、原料調達という新しい難題に直面しています。
ドライアイスの正体は固体の二酸化炭素
ドライアイスの正体は固体の二酸化炭素です。大気圧では約マイナス78.5℃で昇華し、液体を経ずに直接気体へ変わります。水の氷のように溶けて液体を残さないため、「dry ice」という名前が広まりました。
冷却力は、固体が気体へ変わるときに周囲から大量の熱を奪う性質によって生まれます。食品の保冷では、氷のように水が残らず、冷凍温度帯を維持しやすいことが大きな利点です。
製造では、まず液化した炭酸ガスを急激に膨張させます。圧力が下がると一部が雪のような固体炭酸になり、その粉状のドライアイスを圧縮してブロックやペレットに成形します。製造時に気体へ戻った炭酸ガスは回収し、再び液化して使う設備もあります。
1823年、ファラデーらが二酸化炭素を液化した
低温技術の歴史を遡ると、1823年にイギリスのハンフリー・デービーとマイケル・ファラデーが二酸化炭素の液化に成功しました。1834年にはフランスのアドリアン=ジャン=ピエール・チロリエが固体の二酸化炭素を得ています。
1920年代になると、固体炭酸を食品冷却へ使う事業がアメリカで始まりました。1925年にはドライアイス・コーポレーションが工業生産を開始し、「Dry Ice」という商品名が固体炭酸の一般名として定着していきます。
日本では1929年にドライアイスの国内生産が始まりました。現在のレゾナック・ガスプロダクツは、自社の系譜を日本で初めてドライアイスを手掛けた日本ドライアイス株式会社まで遡るとしています。冷蔵庫や冷凍車が現在ほど普及していない時代、ドライアイスは低温輸送を可能にする新しい冷却材でした。
戦後、冷凍食品と物流の拡大で需要が増えた
戦前の日本でドライアイスの用途は限られていました。戦後になると、米軍向け食料輸送、アイスクリーム、水産物などの冷却に使われ、需要が拡大します。
高度経済成長期には、冷凍食品、炭酸飲料、溶接などの産業が伸び、液化炭酸ガスの用途も広がりました。1960年代には液化炭酸ガスを低温タンクとタンクローリーで大量輸送する方式が実用化され、炭酸ガスとドライアイスを広域に供給する産業基盤が整います。
家庭用冷凍庫や冷凍車が普及した後も、ドライアイスは消えませんでした。電源を使わずに強い冷却力を得られ、配送中に水が残らないため、宅配冷凍品、ケーキ、アイスクリーム、水産物、医薬品などで使われ続けています。
1977年、大田区に株式会社アルプスが設立された
株式会社アルプスは1977年(昭和52年)4月18日に設立されました。会社自身は、日本酸素株式会社、現在の大陽日酸につながるドライアイス製造販売事業会社として、現在の大田区で創業したと説明しています。
現在の本社と東京工場は大田区大森南4丁目11番14号にあります。自社のドライアイス製造工場は東京・大森と千葉・成田の2拠点です。東京工場について同社は「都内唯一のドライアイス製造工場」としています。
設立時の1970年代は、冷凍食品の普及、スーパーマーケットの拡大、宅配・航空貨物の成長によって低温物流の需要が増えた時期でした。アルプスはドライアイスを単体で売る会社から、保冷材、保冷容器、温度監視などを組み合わせる低温物流企業へ事業を広げています。
なぜ大森南なのか――羽田・市場・湾岸物流に近い
アルプスの東京工場は羽田空港に近く、湾岸部の物流拠点にも接近しています。会社は大森工場を「羽田国際空港・豊洲市場・大田市場に一番近いドライアイス工場」と紹介しています。
ドライアイスは製造した瞬間から少しずつ昇華して減ります。長期間在庫する商品より、必要な場所の近くで作り、短時間で届ける方が効率的です。空港、市場、倉庫、配送センターが集まる東京湾岸に製造拠点を置くことは、物流上の意味を持ちます。
大田市場では青果・水産物・花きが動き、羽田空港からは国内外へ大量の貨物が運ばれます。豊洲市場を含む湾岸部には生鮮食品の低温物流が集中しています。大森工場は、東京へ物が出入りする湾岸物流の縁に位置しています。
ドライアイスの原料は工業プロセスの副生炭酸ガス
産業用の炭酸ガスは、通常、大気から直接集めて作りません。日本産業・医療ガス協会によると、アンモニア製造、製鉄、石油精製の水素製造などで副生する炭酸ガスを回収し、不純物を除去して液化します。
工場から本来放出される副生ガスを回収し、飲料、溶接、ドライアイスなどへ利用する仕組みです。ドライアイス工場では、その液化炭酸ガスを原料に固体へ変えます。
この構造には弱点があります。炭酸ガス工場が必要としているのは、別の産業で発生する副生ガスです。石油精製、化学、製鉄などの設備が停止・縮小すると、ドライアイス側の需要が同じでも原料が減ります。
脱炭素化が進むほど、ドライアイスの原料が不足するという逆説
2020年代の国内炭酸ガス市場では、原料不足が繰り返し問題になっています。産業ガス専門誌『ガスレビュー』は、石油化学など原料供給元の生産規模縮小、設備老朽化、定期修理や突発停止が重なり、液化炭酸ガスとドライアイスの供給が逼迫する状態が続いていると報じています。
エア・ウォーターも2025年の価格改定で、カーボンニュートラル対応や製造拠点の統廃合、稼働率低下によって副生炭酸ガスの調達が不安定になったと説明しています。
二酸化炭素排出を減らす産業転換は社会全体では重要です。一方、これまで排ガスから回収して利用してきた炭酸ガスの供給源も同時に減ります。ドライアイス産業は、脱炭素化の進展によって原料の調達方法を作り直す必要に迫られています。
東京の1工場を支える原料調達網は全国・海外へ広がる
アルプスは自社工場だけで供給を完結させず、全国の供給パートナーを使っています。さらに韓国やタイの提携先と協力し、海外からドライアイスを調達する体制も持っています。
会社が海外調達を始めた背景を示す詳細な公開資料は限られていますが、現在の公式サイトは海外調達を安定供給策として明記しています。国内の炭酸ガス供給が不安定になる中、東京の製造拠点が海外を含む複数の供給網と結び付いています。
東京都内に工場が一つ残っていても、その工場だけで東京の需要を賄う構造ではありません。大森工場、成田工場、全国の提携拠点、海外調達を組み合わせ、都市の低温物流を支えています。
ドライアイスは「最後の数時間」をつなぐ冷却材
大型冷蔵庫や冷凍倉庫が発達した現代でも、物流の全区間に電源を置けるわけではありません。倉庫からトラックへ積み替える時間、空港で貨物を待機させる時間、宅配便の箱の中、停電した冷凍庫など、電源と電源の間に短い空白が生じます。
ドライアイスは、この空白を埋めます。小さな箱へ入れられ、機械を使わず低温を維持し、使い終わると気体へ変わります。常設の冷凍設備を置きにくい場面ほど役割が大きくなります。
アルプスが保冷容器の設計や温度実測、遠隔監視まで扱うのも、ドライアイスの量だけで低温物流が決まらないためです。何℃を何時間維持するか、箱の断熱性能はどの程度か、途中で開封するかといった条件で必要量が変わります。
東京から工場が減っても、冷却需要は消えていない
東京は生鮮食品、医薬品、航空貨物、宅配便が大量に動く巨大な消費地です。冷却需要は大きい一方、土地価格が高く、工業用地は限られます。大森南にドライアイス製造工場が残る姿は、消費都市の中から製造業が減ってきた東京の産業構造を映しています。
1977年に日本酸素系のドライアイス事業会社として始まったアルプスは、製造、配送、保冷容器、温度管理へ仕事を広げました。現在は、国内副生ガスの減少という新しい環境変化に対応し、全国拠点や海外調達まで使っています。
大田区の工場は、昔の産業を保存する施設ではなく、羽田空港と市場、首都圏物流を低温でつなぐ現役の製造拠点です。東京で最後に残った理由を追うと、製造工場そのものより、都市へ物を運ぶ仕組みの歴史が浮かび上がります。
