東京駅の歴史と建築を徹底解説|丸の内駅舎・辰野金吾・戦災復興・保存復原から見る100年の物語

東京駅100年年表。1872年の鉄道開業から2017年の丸の内駅前広場完成までをまとめた年表図 イベント
図1 東京駅100年年表

東京駅は、毎日多くの人が利用する日本有数の巨大ターミナルです。新幹線に乗る駅、地下街で買い物をする場所、待ち合わせ場所、あるいは観光の出発点。多くの人にとって東京駅は、あまりにも日常的で、あまりにも便利な場所です。

けれども丸の内側へ出て、赤レンガの駅舎を少し離れた場所から眺めてみると、東京駅がただの交通施設ではないことに気づきます。皇居へ向かってまっすぐ伸びる行幸通り、左右へ長く広がる丸の内駅舎、南北に置かれたドーム、赤レンガと白い石材のリズム。そこには、近代日本が首都東京にどのような玄関口をつくろうとしたのかが表れています。

東京駅は、鉄道の駅であると同時に、都市計画の装置であり、建築作品であり、戦争の記憶を残す場所であり、文化財保存の技術を示す建物でもあります。この記事では、東京駅を「何となく使う駅」から、「見どころがわかる歴史建築」へ変えるために、初心者にもわかりやすく解説します。

東京駅100年年表。1872年の鉄道開業から2017年の丸の内駅前広場完成までをまとめた年表図
図1 東京駅100年年表

東京駅ができる前――新橋と上野が分断されていた時代

東京駅の歴史を考えるとき、まず大切なのは「東京駅がなかった時代」を想像することです。現在の私たちは、東京駅を日本の鉄道網の中心のように感じています。東海道新幹線、東北・上越・北陸新幹線、山手線、京浜東北線、中央線、東海道線、横須賀線、総武線、京葉線などが集まり、どこへ行くにも便利な駅です。

しかし明治時代の東京では、鉄道網は今のように一体化していませんでした。東海道方面の玄関口は新橋駅、東北方面や北関東方面の玄関口は上野駅でした。つまり、東京の南側と北側に大きなターミナルが別々にあり、都心の中心部で鉄道が分断されていたのです。

鉄道が分断されていると、人や物の流れはどうしても不便になります。東海道方面から来た人が東北方面へ向かうには、駅を移動しなければなりません。貨物輸送や都市交通の面でも、首都の中心で南北の鉄道を結び、全国へつながる拠点をつくる必要がありました。

そこで構想されたのが、東京の中心に新しい中央駅を置く「中央停車場」計画です。東京駅は、この中央停車場として生まれました。単なる新駅ではなく、日本の鉄道網を首都の中心で結び直すための駅だったのです。

ここを押さえると、東京駅の意味が大きく変わります。東京駅は、あとから自然に大きくなった駅ではありません。近代国家としての日本が、首都東京の中心に、全国鉄道網の核となる駅を計画的につくった場所でした。

なぜ東京駅は今の場所に建てられたのか

東京駅丸の内駅舎は、皇居から東へ伸びる行幸通りの正面に位置しています。これは偶然ではありません。東京駅は、皇居と向き合う首都の表玄関として計画されました。

丸の内駅前広場に立ち、駅舎を背にして皇居方面を見ると、広い行幸通りがまっすぐ伸びています。反対に、行幸通り側から東京駅を眺めると、赤レンガ駅舎が正面に構えています。この軸線が、東京駅の都市計画上の大きな特徴です。

東京駅は、ただ列車を乗り降りする場所ではなく、皇居、丸の内、東京の中心業務地区を結ぶ都市の正面玄関でした。だからこそ、丸の内側の駅舎には堂々とした建築が求められました。東京に到着した人が最初に見る首都の顔として、格式ある駅舎が必要だったのです。

丸の内という場所も重要です。江戸時代、この一帯には大名屋敷が並んでいました。明治以降、丸の内は三菱による開発などを経て、近代的なオフィス街へ変わっていきます。東京駅の開業は、丸の内を東京のビジネス中心地として成長させる大きなきっかけにもなりました。

つまり東京駅の立地は、鉄道の都合だけで決まったものではありません。皇居との関係、丸の内の都市開発、首都の玄関口としての象徴性が重なって、現在の場所に建設されたのです。

丸の内口と八重洲口の違い

東京駅を歩くときに意識したいのが、丸の内口と八重洲口の違いです。同じ東京駅でも、この二つの入口は性格がかなり異なります。

丸の内口は、赤レンガ駅舎、皇居、行幸通り、丸の内オフィス街と結びついた「歴史と都市景観の入口」です。東京駅を建築として見るなら、まず丸の内口へ出るのがおすすめです。駅前広場から駅舎全体を見渡せば、東京駅が首都の玄関口として計画されたことが直感的にわかります。

一方の八重洲口は、新幹線、バスターミナル、地下街、日本橋・京橋方面と結びついた「交通と商業の入口」です。巨大な駅ビル、地下街、バス乗り場、商業施設が集まり、現代的な東京駅の顔になっています。

丸の内口が「歴史と景観の東京駅」なら、八重洲口は「移動と商業の東京駅」です。東京駅を深く理解するには、片側だけでなく両側を歩き比べることが大切です。

【図4 丸の内口と八重洲口】

辰野金吾とはどんな建築家か

東京駅丸の内駅舎を設計したのは、建築家の辰野金吾です。辰野金吾は、日本の近代建築を語るうえで欠かせない人物で、「日本近代建築の父」と呼ばれることもあります。

辰野は工部大学校で建築を学び、イギリス留学を経て、日本の建築教育と建築設計の発展に大きな役割を果たしました。代表作には、日本銀行本店本館、東京駅丸の内駅舎などがあります。

辰野建築の特徴としてよく知られるのが、赤レンガと白い石材を組み合わせた華やかで重厚な外観です。東京駅丸の内駅舎でも、この赤と白のコントラストが強い印象を残します。赤レンガの壁面に白い石材が帯のように入り、遠くから見ても建物の輪郭とリズムがはっきり感じられます。

ただし、東京駅を「辰野金吾がつくった赤レンガのきれいな駅」とだけ見ると、少しもったいないです。東京駅は、都市の顔をつくる建築でした。多くの人が列車で東京へ到着したとき、最初に目にする首都の建物。それが東京駅丸の内駅舎だったのです。

辰野金吾が東京駅に与えたものは、便利な駅舎という機能だけではありません。長く伸びる堂々とした姿、南北ドームの印象的なシルエット、赤レンガと白い石材のリズム、皇居と向き合う正面性。これらによって、東京駅は「首都東京にふさわしい玄関口」としての風格を持つ建築になりました。

【図5 辰野金吾人物紹介】

東京駅丸の内駅舎の建築見どころ

東京駅の丸の内駅舎は、外から見ても、内部に入って見上げても楽しめる建築です。ここでは、現地で確認しやすいポイントを順番に紹介します。

【図2 丸の内駅舎の見どころ】

赤レンガ――東京駅の第一印象をつくる素材

東京駅と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、丸の内駅舎の赤レンガです。赤レンガは、重厚で温かみがあり、近代建築らしい風格を感じさせます。

白い石材が横帯のように入ることで、壁面には明るさとリズムが生まれます。赤一色では重くなりすぎるところを、白いラインが引き締め、華やかな印象にしています。

現地では、まず丸の内駅前広場から駅舎全体を見てください。近づいて細部を見る前に、少し離れて全体を眺めると、赤レンガの長い壁が都市の中に大きく横たわっていることがわかります。

長大な駅舎――南北に歩いてスケールを体感する

丸の内駅舎は、中央部から南北へ長く伸びています。写真では一枚に収まりやすいため見落としがちですが、実際に南口から北口まで歩くと、かなり長い建物であることを体感できます。

この長さは、東京駅が大量の乗客を扱う交通施設であると同時に、ホテルや業務機能を含む複合的な建物であったことを示しています。東京駅を見学するときは、中央だけを見て終わらず、南北へ歩いて建物のスケールを感じるのがおすすめです。

左右対称に見える構成

丸の内駅舎は、中央部を軸に南北へ伸びる整った構成が特徴です。中央口、南北ドーム、長い翼部がリズムよく並び、遠くから見ると安定した左右対称に近い印象を受けます。

この整った構成が、駅舎に格式を与えています。単なる駅ビルではなく、首都の表玄関として計画された建物であることが、形そのものから伝わってきます。

南北ドーム――外観と内部をセットで見る

丸の内南口と丸の内北口には、それぞれドームがあります。外から見ると丸い屋根のシルエットとして目に入りますが、本当の見どころは内部に入ってからです。

ドーム空間に立って天井を見上げると、八角形の立体的な空間に、干支のレリーフや鷲の彫刻などが配置されています。駅の改札付近でありながら、劇場や美術館のような装飾性を感じられる場所です。

南口と北口のドームは似ていますが、歩く向きや人の流れによって見え方が変わります。時間があれば両方を見比べると、東京駅の空間をより深く楽しめます。

ドーム天井――まずは上を見る

東京駅の丸の内南口・北口に入ったら、まず天井を見上げてください。日常的に利用していると、どうしても改札や案内表示に目が行きますが、東京駅の魅力は頭上にもあります。

ドーム天井には、立体的な装飾が配置されています。八角形の構成、干支のレリーフ、鷲の彫刻、曲線を描く天井のライン。これらが組み合わさることで、駅のコンコースとは思えない華やかな空間が生まれています。

干支レリーフ――十二支ではなく8種類

ドーム天井で有名なのが干支レリーフです。ここで面白いのは、十二支すべてがあるわけではなく、8種類しかないことです。

これは、ドームの構成が八角形であることと関係しています。八つの面に対応して干支が配置されているため、十二支のうち一部だけが見られるのです。現地で「なぜ全部ないのだろう」と思ったら、それはドームの形そのものと関係していると考えるとわかりやすいです。

建築の見どころは、装飾を単独で見るだけでなく、空間の形と結びつけて見ると面白くなります。東京駅の干支レリーフは、そのよい例です。

鷲の彫刻――見逃しやすい大型装飾

ドーム上部には、翼を広げた鷲の彫刻があります。下から見上げると小さく見えるかもしれませんが、実際にはかなり大きな装飾です。

鷲は高い位置にあるため、急いで通るとほとんど気づきません。南口・北口のドームに入ったら、人の流れを避けて少し端に寄り、天井全体をゆっくり見上げてみてください。駅を通過するだけでは見えない東京駅の表情が見えてきます。

東京駅と戦争――失われた3階とドーム

現在の東京駅丸の内駅舎は、創建時の姿を思わせる美しい赤レンガ駅舎です。しかし、この姿がずっと残っていたわけではありません。

1945年、第二次世界大戦末期の空襲により、東京駅丸の内駅舎は大きな被害を受けました。屋根や天井が焼け、創建時の3階部分や南北ドームも失われました。

戦後、東京駅はすぐに復旧されます。首都の鉄道機能を止めたままにすることはできなかったからです。しかし、当時は資材も時間も不足しており、創建時と同じ姿へ戻す余裕はありませんでした。そのため、3階建てだった駅舎は2階建てに近い姿となり、南北ドームも創建時とは異なる簡素な屋根に変わりました。

多くの人が長く親しんだ戦後の東京駅は、実は「応急復旧後の姿」でした。現在の丸いドームや3階部分は、戦前からずっとそのまま残っていたものではありません。後の保存復原工事によって、失われた姿がよみがえったものなのです。

このことを知ると、現在の東京駅の見え方が変わります。美しい赤レンガ駅舎は、ただ昔から残っている建物ではなく、戦争で失われ、戦後に形を変え、さらに長い時間を経て復原された建築なのです。

東京駅の戦前・戦後・復原後を比較した図。1914年創建時、1947年ごろの戦後復旧後、2012年保存復原後の違いを解説
図3 東京駅の戦前・戦後・復原後比較

保存復原工事――なぜ「復元」ではなく「復原」なのか

東京駅を語るうえで重要なのが、丸の内駅舎の保存・復原工事です。2007年に本格着工し、2012年に完成したこの工事によって、東京駅丸の内駅舎は創建時の姿に近い形へ戻されました。

ここで注目したいのが、「復元」ではなく「復原」という言葉です。どちらも似ていますが、文化財建築の文脈では意味合いが少し異なります。

一般に復元は、失われたものを推定も含めて再現する意味で使われることがあります。一方、復原は、写真、図面、記録、残された部材など、根拠に基づいて元の姿へ戻すという意味合いが強い言葉です。

東京駅では、創建当時の写真や図面、残された部材などをもとに、3階部分、南北ドーム、屋根、外壁、ドーム内部の装飾などが復原されました。単に「昔風に作り直した」のではなく、資料に基づいて大正時代の姿をできる限り正確に取り戻した点が重要です。

3階部分の復原

戦災後、東京駅は2階建てに近い姿で復旧されました。しかし創建時の丸の内駅舎は、一部3階建ての堂々とした建物でした。保存復原工事では、この失われた3階部分が復原され、現在のような重厚なシルエットが戻りました。

丸の内駅前広場から見ると、屋根の高さや壁面のバランスが整って見えるのは、この3階部分の復原が大きく関係しています。戦後の写真と現在の姿を比べると、建物全体の印象が大きく違うことがわかります。

南北ドームの復原

戦災で失われた南北ドームも、創建時の姿に近づける形で復原されました。外観の丸いドームだけでなく、内部の天井装飾、干支レリーフ、鷲の彫刻なども大きな見どころです。

東京駅を見学するときは、外観のドームと内部のドームをセットで見るのがおすすめです。外から見たときのシルエットと、中に入って見上げたときの装飾がつながることで、復原工事の意味が実感できます。

免震化工事のすごさ

保存復原工事のすごさは、見た目を昔に戻したことだけではありません。重要文化財である丸の内駅舎を、現役の巨大駅として使い続けながら免震化した点も大きな特徴です。

東京駅は、毎日多くの人が利用する交通インフラです。美しい外観を残しても、安全性が確保されなければ意味がありません。そこで建物の歴史的価値を守りながら、地震に備えるための構造的な更新が行われました。

これは、文化財保存と都市機能を両立させる高度な工事でした。東京駅の復原は、単なる懐古趣味ではありません。過去の価値を未来へ引き継ぐために、現代技術を使って建物を生かし続けるプロジェクトだったのです。

東京駅で起きた歴史事件

東京駅は、建築や鉄道の歴史だけでなく、近代日本の政治史にも深く関わっています。特に有名なのが、原敬暗殺事件と浜口雄幸狙撃事件です。

原敬暗殺事件

1921年11月4日、当時の首相・原敬は東京駅で襲撃され、命を落としました。現場は丸の内南口付近です。現在も床面に目印があり、駅を利用する人の足元に近代政治史の現場が残されています。

丸の内南口は、ドーム天井の見どころと同じエリアです。天井の装飾を見たあと、券売機付近の床面を探すと、原敬遭難現場の目印を確認できます。華やかな建築空間の中に、政治の激動を伝える小さな痕跡があることに驚かされます。

浜口雄幸狙撃事件

1930年11月14日には、浜口雄幸首相が東京駅で狙撃されました。浜口は一命を取り留めましたが、その後体調を悪化させ、翌年亡くなります。

東京駅では、わずか9年の間に二人の首相が襲撃されました。多くの人が行き交う駅は、近代日本の政治的緊張が表面化した場所でもあったのです。観光地としての東京駅だけでなく、事件の現場としての東京駅を知ると、駅構内の見え方が少し変わります。

新幹線と東京駅――全国鉄道網の中心へ

東京駅の役割は、丸の内駅舎の歴史だけでは語りきれません。1964年、東海道新幹線が開業すると、東京駅は新幹線時代の出発点になりました。

東海道新幹線は、東京と大阪を高速で結ぶ日本の大動脈です。開業によって、東京と関西の移動時間は大きく変わりました。東京駅は、在来線の中心であると同時に、高速鉄道網の中心としても重要な役割を担うようになります。

現在の東京駅には、東海道新幹線のほか、東北・上越・北陸・山形・秋田方面の新幹線も集まります。丸の内側では大正時代の赤レンガ駅舎を見られ、八重洲側では現代日本の高速鉄道ネットワークを体感できます。この二面性こそ、東京駅の面白さです。

東京駅トリビア

八重洲の由来

八重洲という地名は、江戸時代に日本へ来たオランダ人航海士ヤン・ヨーステンに由来するという説で知られています。ヤン・ヨーステンの名が日本語化し、「八代洲」「八重洲」へ転じたとされます。

現在の八重洲口は、新幹線や高速バス、地下街と結びついたにぎやかな入口です。丸の内口とは雰囲気が大きく違うので、東京駅見学では両側を歩き比べるのがおすすめです。

0キロポスト

東京駅には、鉄道路線の起点を示す0キロポストがあります。普段は気づかず通り過ぎてしまいますが、東京駅が日本の鉄道網の出発点であることを象徴する存在です。

鉄道好きの方は、ホーム上の表示や案内を探してみると、東京駅を「乗り換え駅」ではなく「鉄道の基準点」として楽しめます。

干支が8種類しかない理由

南北ドームの干支レリーフは、十二支すべてではなく8種類です。これはドームの八角形の構成と関係します。十二支を全部探そうとすると見つからないので、事前に知っておくと現地で混乱しません。

東京ステーションホテル

東京ステーションホテルは、丸の内駅舎の中にあるホテルです。駅の中に泊まるというだけでなく、重要文化財の駅舎の空間を体験できる特別なホテルでもあります。

宿泊しなくても、外観や入口周辺を見るだけで、東京駅が単なる駅施設ではなく、ホテルや美術館も含む複合的な建築であることがわかります。

東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリーは、丸の内駅舎内にある美術館です。展示内容に加えて、駅舎のレンガ壁や内部空間を感じられる場所としても魅力があります。時間に余裕があれば、東京駅見学とあわせて訪れたいスポットです。

上空権と東京駅保存

東京駅の保存復原では、駅舎そのものを高層化するのではなく、周辺開発と組み合わせて都市機能を確保する考え方がとられました。歴史的景観を守りながら都市開発を進めるための仕組みとして、上空権の活用が知られています。

これは、古い建物を残すことと都市の成長を対立させず、両立させようとした点で重要です。東京駅は、建築保存と都市開発のバランスを考えるうえでも興味深い事例です。

京葉線ホームが遠い理由

東京駅でよく話題になるのが、京葉線ホームの遠さです。京葉線ホームは東京国際フォーラム寄りにあり、丸の内・八重洲側の主要ホームからかなり離れています。

実際に歩いてみると、東京駅が一つの駅というより、地下に広がる巨大な都市のような存在であることを実感できます。時間に余裕がある見学では、京葉線方面へ歩いてみるのも面白い体験です。

現地見学ガイド

東京駅は、ただ通過するだけではもったいない場所です。ここでは、時間別に見学コースを紹介します。

【図6 東京駅見学ルート】

30分コース――丸の内駅舎をまず見る

  1. 丸の内駅前広場から駅舎全体を見る
  2. 丸の内中央口付近で左右に伸びる駅舎を確認する
  3. 丸の内南口ドームに入る
  4. ドーム天井、干支、鷲の彫刻を見る
  5. 丸の内北口ドームも見比べる

このコースでは、赤レンガ、長大な駅舎、南北ドームという基本の見どころを押さえられます。

60分コース――建築と歴史事件を見る

  1. 行幸通り側から東京駅を正面に見る
  2. 丸の内駅前広場で全景を観察する
  3. 丸の内南口ドームで装飾を見る
  4. 原敬遭難現場の目印を確認する
  5. 丸の内北口ドームを見上げる
  6. 八重洲側へ抜け、丸の内口との違いを体感する

このコースでは、東京駅が美しい建築であるだけでなく、近代政治史の現場でもあることがわかります。

90分コース――東京駅を立体的に理解する

  1. 行幸通りから丸の内駅舎を正面に見る
  2. 丸の内駅前広場で駅舎全体を撮影する
  3. 丸の内南口ドームで干支と鷲を探す
  4. 原敬遭難現場を確認する
  5. 丸の内北口ドームを見る
  6. 東京ステーションギャラリー周辺で駅舎内部の雰囲気を感じる
  7. 構内で0キロポストを探す
  8. 八重洲口へ移動し、新幹線改札や商業空間を見る
  9. 余裕があれば京葉線方面へ歩き、駅の巨大さを体感する

この90分コースを歩くと、東京駅が「赤レンガの観光名所」ではなく、首都東京の歴史を背負った巨大な交通都市であることが見えてきます。

まとめ――東京駅は東京の100年を読むための建築

東京駅は、毎日多くの人が使う日常の駅です。しかし少し立ち止まって見ると、そこには驚くほど多くの物語があります。

新橋と上野をつなぐ中央停車場計画。皇居と行幸通りに向き合う都市計画。辰野金吾による赤レンガの長大な駅舎。戦災で失われた3階部分とドーム。戦後の応急復旧。そして2012年の保存復原工事。

東京駅は、近代日本の成長、戦争の記憶、復興の力、文化財保存の技術、鉄道網の発展を一度に見ることができる場所です。

次に東京駅を訪れたら、ぜひ丸の内駅舎をゆっくり見上げてみてください。赤レンガ、白い石材、ドーム天井、干支、鷲の彫刻、長く伸びる駅舎。きっと、いつもの東京駅が少し違って見えるはずです。

図版挿入位置

  • 【図2 丸の内駅舎の見どころ】:建築見どころ章の冒頭
  • 【図4 丸の内口と八重洲口】:立地解説の章末
  • 【図5 辰野金吾人物紹介】:辰野金吾の章末
  • 【図6 東京駅見学ルート】:現地見学ガイドの冒頭

参考文献・参考資料

  • 文化遺産オンライン「東京駅丸ノ内本屋」
  • JR東日本「東京駅丸の内駅舎の保存・復原」
  • JR東日本「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事及び八重洲口開発」
  • 東京ステーションシティ「丸の内駅舎のみどころ」
  • 東京ステーションギャラリー「施設案内」
  • 千代田区観光協会「東京駅宰相襲撃事件」
  • 鹿島建設「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」
  • 日本免震構造協会「東京駅丸ノ内本屋の免震構造」
この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 運営者
なかまつ

北海道大学工学部卒。現在はIT系会社員の傍ら、年間400回以上の街歩きイベントを企画し、これまで延べ25,000名以上の方にご参加いただいている、ゆる歴史散歩サークルを運営しています。東京の歴史・文化・建築・地形などを、初心者でも気軽に楽しめるイベントとして企画しています。

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