増上寺の見どころと歴史|徳川将軍家墓所・三解脱門・境内の史跡を歩く

東京タワーの足元に建つ増上寺は、浄土宗じょうどしゅうの大本山であり、徳川将軍家の菩提寺です。現在の境内だけを見ると都心の大寺院ですが、江戸時代には現在の芝公園一帯まで寺域が広がり、壮麗な将軍霊廟と多数の子院・学寮が並んでいました。境内と周辺に残る門や石垣をたどると、その巨大な寺院都市の輪郭が見えてきます。

初めて訪れるなら、三解脱門、大殿、徳川将軍家墓所を軸に、旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門、御成門まで歩くのがおすすめです。境内だけなら約1時間、周辺の旧境内遺構まで含めると1時間30分〜2時間ほどを見ておくと、史跡を落ち着いて見られます。

2026年8月現在、三解脱門は保存修理工事中です。工事は2032年まで続く予定で、三門下は通行できます。徳川将軍家墓所や宝物展示室は休業日・臨時休止があるため、訪問前に増上寺公式サイトの最新案内を確認すると安心です。

増上寺とは|徳川将軍家の菩提寺になった大寺院

増上寺の正式名は三縁山広度院増上寺。1393年、酉誉聖聰ゆうよしょうそう上人が現在の千代田区平河町付近に創建しました。1590年、江戸に入った徳川家康が第12世の源誉存応げんよぞんのう上人と師檀関係を結び、徳川家の菩提寺となります。1598年には江戸城拡張に伴って現在の芝へ移転しました。

幕府の保護を受けた増上寺は、江戸を代表する巨大寺院へ成長しました。17世紀中頃には120を超える堂宇、100軒を超える学寮が並び、3,000人以上の学僧がいたと伝わります。現在の境内は、その広大な寺域の一部です。

徳川将軍家の系図
徳川将軍家の系図。増上寺には2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の墓があります。

江戸時代の増上寺は、現在の芝公園まで広がっていた

現在の増上寺と江戸時代の姿を比べると、最も大きな違いは寺域の広さです。大門から三解脱門、大殿へ続く軸線の左右には子院や学寮が広がり、大殿の南北には徳川将軍家の御霊屋おたまやが並んでいました。現在の東京プリンスホテル、ザ・プリンス パークタワー東京、芝公園の一部にも、かつての増上寺や徳川霊廟に関わる土地が含まれます。

増上寺の現在と江戸時代の寺域を比較した図
増上寺の現在と昔の比較。現在の境内外にも旧寺域の史跡が点在しています。

参道の距離にも浄土宗寺院としての意味が込められています。増上寺の案内では、大門から三門まで約108間、三門から大殿まで約48間。108は煩悩、48は阿弥陀仏の四十八願に重ねられています。大殿へ上る石段にも18段、25段という数字が配され、参道全体が極楽浄土へ向かう空間として構成されています。

江戸時代の増上寺と大松原、大門を描いた図
増上寺と大松原、大門。江戸時代は門前から大寺院の景観が続いていました。

大門から三解脱門へ|江戸の参道を歩く

増上寺の表門にあたるのが大門です。現在の大門は1937年に東京市が市民の寄付を募って改築した鉄筋コンクリート造で、2017年に増上寺へ返還されました。ここから西へ進むと、境内の中門にあたる三解脱門へ至ります。

三解脱門さんげだつもんは通称「三門」。1622年に再建された国指定重要文化財で、江戸初期の大造営時代を伝える増上寺の代表的建築です。楼上には釈迦三尊像、十六羅漢像、歴代上人像が安置されています。名称は、貪・瞋・痴の三つの煩悩から離れる意味と結びつけて説明されています。

増上寺三解脱門楼上の釈迦三尊像と十六羅漢像
三解脱門楼上の釈迦三尊像と十六羅漢像。現在は三門本体とともに保存修理が進められています。

歌川広重らの浮世絵にも増上寺は繰り返し描かれました。朱塗りの大門や三門、松並木は江戸の名所として知られ、現在の東京タワーを背景にした景観とは別の「江戸のランドマーク」でした。

歌川広重が描いた増上寺
浮世絵に描かれた増上寺。門前から寺院景観が大きく広がっていました。

境内の見どころ|大殿・黒本尊・経蔵・鐘楼

三門を抜けた正面に建つ大殿は、戦災で焼失した本堂を1974年に再建したものです。本尊の阿弥陀如来を中心に、善導大師、法然上人の像を祀ります。地下には増上寺宝物展示室があり、徳川秀忠の台徳院殿霊廟を10分の1で再現した模型など、失われた霊廟の姿を知る手掛かりを見ることができます。

大殿の周囲には、家康が深く信仰した秘仏「黒本尊」を祀る安国殿、徳川家康が寄進した三大蔵経を収めてきた経蔵、1673年鋳造の大梵鐘を吊る鐘楼堂があります。大梵鐘は高さ約3.3メートル、直径約1.8メートル、重さ約15トン。境内を一周すると、寺院としての信仰空間と徳川家の保護によって蓄積された文化財の両方が見えてきます。

千躰子育地蔵尊、グラント松、水盤舎なども近接しています。短時間の参拝なら大門―三解脱門―大殿―安国殿―徳川将軍家墓所の順に歩くと、増上寺の主要な歴史を追いやすいコースになります。

徳川将軍家墓所|六人の将軍が眠る

増上寺には2代徳川秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の六将軍が葬られています。将軍夫人では、秀忠夫人の江、家宣夫人の天英院、家茂夫人の和宮かずのみやなどの墓もあります。

江戸時代、大殿の南北には将軍ごとの壮麗な霊廟群が築かれ、日光東照宮と並び称されるほどの建築群でした。戦前には国宝に指定されていましたが、1945年3月と5月の空襲で大部分を焼失しました。1958年から文化財保護委員会を中心に学術調査が行われ、遺骨は改葬され、墓所は現在地にまとめられています。

増上寺徳川将軍家墓所の鋳抜門
徳川将軍家墓所入口の鋳抜門。もとは6代家宣の文昭院殿霊廟にあった中門です。

墓所入口の鋳抜門いぬきもんは、失われた霊廟を伝える重要な遺構です。もとは6代家宣の文昭院殿霊廟で宝塔前に立っていた中門で、青銅製の扉には葵紋と昇り龍・下り龍が鋳抜かれています。

徳川将軍家の墓所は上野の寛永寺にもあります。増上寺と寛永寺を比べると、江戸幕府が将軍家の祈りと墓所を江戸の南北にどのように配置したかが分かります。詳しくは上野公園と徳川将軍家|寛永寺に眠る6人の将軍と歴代将軍の墓所一覧もあわせてどうぞ。

境内の外に残る徳川霊廟|旧台徳院霊廟惣門

増上寺の歴史を深く見るなら、現在の境内だけで歩みを終えず、芝公園側へ出ると旧霊廟の規模が実感できます。ザ・プリンス パークタワー東京の近くに残る旧台徳院霊廟惣門きゅうたいとくいんれいびょうそうもんは、2代秀忠の霊廟にあった表門で、1632年建立の重要文化財です。

台徳院霊廟と現存する惣門を示した比較資料
台徳院霊廟の配置と現在残る惣門。巨大な霊廟建築群の正面入口でした。
現存する旧台徳院霊廟惣門
現在も残る旧台徳院霊廟惣門。門の先に壮大な霊廟が続いていました。

台徳院霊廟の建物の大半は戦災で失われましたが、惣門以外にも移築されて残った門があります。埼玉県所沢市の狭山山不動寺には、旧台徳院霊廟から移された勅額門・御成門・丁子門が現存しています。芝と所沢に分かれた遺構をたどると、霊廟が一つの建物ではなく、複数の門・殿舎・宝塔からなる大規模な建築群だったことが分かります。

有章院霊廟二天門と御成門|旧境内を北へ歩く

増上寺の北側に残る有章院霊廟二天門ゆうしょういんれいびょうにてんもんは、7代徳川家継の霊廟に属した門で、1717年に建立されました。現在は東京プリンスホテル付近にあり、国の重要文化財です。門だけが都市の中に残るため見落としやすいものの、江戸時代にはこの奥へ霊廟の建築群が続いていました。

旧有章院霊廟二天門
旧有章院霊廟二天門。7代家継の霊廟を伝える貴重な遺構です。

さらに北へ進むと御成門があります。将軍が増上寺へ参詣する際に使った門に由来する名で、周辺の地名や地下鉄駅名にも残りました。明治期の道路整備で現在地へ移されています。寺の門の名が現代の駅名として残っていること自体、かつての増上寺が現在の境内よりはるかに広かった痕跡です。

廣度院と練塀|子院が並んだ増上寺の町を知る

増上寺北東の廣度院こうどいんは、増上寺の子院です。門と練塀は登録有形文化財で、土と瓦を積み重ねた塀に、かつて寺院や子院が密集していた芝の景観を感じられます。大殿や将軍墓所のような大規模史跡とは性格が異なりますが、「増上寺という一寺」ではなく「寺院群としての増上寺」を理解するうえで重要な場所です。

廣度院と練塀の復元石積み
廣度院・練塀周辺。旧境内の子院群を知る手掛かりが残ります。

芝公園はなぜ増上寺を囲む形になったのか

明治維新後、増上寺を取り巻く土地の使われ方は大きく変わりました。1873年、芝公園は上野・浅草・深川・飛鳥山とともに、日本で最初期の公園として開設されます。当初は増上寺境内を含む公園でしたが、戦後に寺域が公園から分離され、現在は芝公園が増上寺を取り囲むような形になっています。

その後、霊廟の戦災、道路整備、ホテル建設、1958年の東京タワー開業などを経て、江戸の寺院都市は現在の芝公園・東京タワー周辺の都市景観へ変化しました。増上寺の周囲を一周すると、江戸・明治・戦後の土地利用が短い距離の中で重なっていることが分かります。

芝公園と旧台徳院霊廟惣門を夜に歩いた様子は、東京タワーのイルミネーションと芝公園散策でも紹介しています。

阿波丸事件殉職者之碑|増上寺に残る昭和の記憶

境内には江戸時代だけでなく、昭和の戦争を伝える史跡もあります。阿波丸あわまる事件殉職者之碑は、1945年4月に東シナ海で沈没した阿波丸の犠牲者を慰霊する碑です。碑は1977年に建立され、事件から80年となった2025年に修繕されました。将軍霊廟の焼失とあわせ、増上寺には東京と戦争の記憶も刻まれています。

増上寺を歩くモデルコースと所要時間

  1. 大門
  2. 三解脱門
  3. 鐘楼堂・経蔵
  4. 大殿・宝物展示室
  5. 安国殿・千躰子育地蔵尊
  6. 徳川将軍家墓所・鋳抜門
  7. 廣度院・練塀
  8. 旧台徳院霊廟惣門
  9. 有章院霊廟二天門
  10. 御成門

境内の主要部だけなら約1時間、宝物展示室や徳川将軍家墓所を見学し、旧境内の遺構まで歩くなら1時間30分〜2時間ほどが目安です。旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門、御成門まで含めると、「現在の増上寺」から「江戸時代の増上寺」へ視野が大きく広がります。

史跡の位置をまとめたGoogleマップも利用できます。

増上寺の基本情報と現在の拝観情報

  • 所在地:東京都港区芝公園4-7-35
  • 宗派:浄土宗
  • 寺格:大本山
  • 最寄り:御成門駅、芝公園駅、大門駅、浜松町駅など
  • 三解脱門:2025年から保存修理工事中。2032年までの予定
  • 徳川将軍家墓所:有料の特別拝観。火曜定休を基本とし、臨時休止あり
  • 宝物展示室:大殿地下。開館日・展示内容は公式案内で確認できます

2026年7月には、ゆる歴史散歩会でも増上寺七夕祭りを歩きました。当日の雰囲気や夜の境内は、増上寺七夕祭り「和紙キャンドルナイト」開催レポートで紹介しています。

よくある質問

増上寺は何がすごいのですか?

徳川将軍家の菩提寺として江戸幕府の保護を受け、江戸時代には現在の芝公園一帯に広がる巨大寺院でした。六人の将軍の墓所があり、三解脱門や旧徳川霊廟の門など、江戸初期から近世の建築遺構も残っています。

徳川家康の墓は増上寺にありますか?

家康の墓は日光東照宮などにあります。増上寺には2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の六将軍が葬られています。家康は増上寺を徳川家の菩提寺とし、自身の葬儀を増上寺で行うよう遺言しました。

三解脱門は現在見られますか?

2026年8月現在は保存修理工事中です。素屋根で覆われていますが、三門下の通行はできます。工事完了時期は増上寺公式の案内では2032年までの予定です。

増上寺の見学にはどのくらい時間がかかりますか?

大門・三解脱門・大殿・徳川将軍家墓所など主要部を見るなら約1時間が目安です。宝物展示室や、境外の旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門、御成門まで歩くなら1時間30分〜2時間ほどあると余裕があります。

参考にした主な公式情報