龍福寺の歴史と建長七年板碑|小豆沢の「板碑の寺」と中世の祈り

板橋区小豆沢四丁目の龍福寺は、鎌倉時代の板碑(いたび)を数多く伝える真言宗寺院です。なかでも建長7年(1255)の板碑は区指定有形文化財となっています。寺が成立したと伝わる室町時代末期より古い石造物が境内に残り、この土地で続いてきた信仰の歴史を知ることができます。

室町時代末に創建された龍福寺

龍福寺は、室町時代末期に袋町の真頂院の住職・運珍和尚が創建したと伝わります。現在地は板橋区小豆沢4丁目16番3号です。境内には薬師如来を祀り、この像が平安時代に七々子崎(ななこざき)と呼ばれる台地下の入江から現れたという縁起も伝わっています。伝承は寺院や信仰の由来を語るもので、出来事の年代を確定する記録とは区別して読む必要があります。

境内には中世の供養塔である板碑が複数保存され、「板碑の寺」とも呼ばれます。寺の創建以前に造られた板碑が伝わる点から、寺院の由緒と、それ以前に小豆沢で営まれていた信仰を分けて考えることができます。

建長七年板碑は1255年の供養塔

龍福寺建長七年板碑は、建長7年(1255)に造立された高さ約160センチメートルの大型板碑です。昭和59年(1984)2月22日に板橋区指定有形文化財(考古資料)に指定されました。板橋区の文化財解説では、区内で2番目に古い板碑として紹介されています。

板碑は中世に造られた板状の石製供養塔です。亡くなった人の冥福を祈る追善供養や、生前に自身の死後のための供養を営む逆修供養などに用いられました。板橋周辺に残る武蔵型板碑には、秩父地域で産出する緑泥片岩が使われ、年号、供養者の名、仏を示す梵字などが刻まれています。

刻まれた阿弥陀三尊と「成善」の名

建長七年板碑の主尊は、阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」です。その左右に観音菩薩を表す「サ」、勢至菩薩を表す「サク」が配され、阿弥陀三尊が表現されています。また「成善」という名も刻まれています。石に残された文字と梵字は、13世紀半ばにこの地域で行われた仏教的な供養を具体的に伝えます。

板碑に刻まれた仏の姿は彫像ではなく梵字で表現されることがあります。限られた石面に仏や年号を刻む方法は、中世の墓地や寺社跡、旧集落で見つかる板碑にも共通する特徴です。

近くの小豆沢貝塚が示す、さらに古い暮らし

龍福寺の墓地周辺には、縄文時代後期から晩期にかけての小豆沢貝塚が広がっています。貝塚からは魚や動物の骨などが出土し、当時の食生活や周辺の環境を考える資料となっています。龍福寺の板碑が伝える鎌倉時代の信仰と、貝塚が伝える縄文時代の生活には大きな年代差があります。同じ小豆沢の台地周辺で、人々の営みが時代ごとに異なる形で残されています。

所在地と関連する文化財

所在地は東京都板橋区小豆沢4丁目16番3号で、都営三田線「志村坂上駅」から徒歩約10分です。近くには小豆沢神社や、江戸時代に清水薬師として知られた薬師の泉庭園があります。中山道と志村城を含めた地域の歴史は志村・小豆沢周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料