板橋宿は、江戸日本橋から中山道を北西へ進んだ最初の宿場です。旧街道沿いの板橋・仲宿・本町周辺には、宿場の信仰を伝える寺社や庚申塔、明治以降の行政や鉄道の歩みを示す石碑が残ります。旧道の地割と文化財をたどることで、江戸の交通の拠点が東京の市街地へ変わった過程を知ることができます。
中山道の宿場として発展した板橋
江戸時代、板橋宿は中山道の宿駅として人や荷物の往来を支えました。宿場には本陣や脇本陣、問屋などが置かれ、大名行列や旅人が利用しました。宿内は平尾宿、中宿、上宿からなり、現在も旧中山道沿いに当時の地名や寺社が残ります。宿場に伝わる飯田家の古文書には本陣図や関札などが含まれ、板橋宿の運営を知る資料となっています。
縁切榎と街道を通る人々の願い
本町十八番地の縁切榎は、旗本近藤登之助の抱屋敷にあった榎に由来します。江戸時代には男女の悪縁を断つことや断酒の願いがかけられました。幕府へ降嫁した和宮らの姫君は、縁切りの名を避けるため、榎を迂回して愛染通りから宿場へ入ったと伝えられています。近代には悪縁を断つことと良縁を結ぶことが結び付き、信仰が広がりました。
東光寺・観明寺と板橋の古い石造物
板橋四丁目の東光寺は室町時代の創建とされる浄土宗寺院です。境内には寛文2年(1662)の庚申塔と、平尾一里塚にあったとされる地蔵菩薩坐像の台座があります。宿場の人々や加賀藩下屋敷に勤めた人々の名が刻まれ、当時の信仰を伝えています。
板橋三丁目の観明寺には寛文元年(1661)の庚申塔があります。青面金剛像が刻まれた板橋区内最古の庚申塔として知られ、本尊の聖観音立像は12世紀頃の制作とされます。寺の石造物と仏像をたどると、中世の仏教信仰と江戸時代の庚申講が同じ場所に残っていることが分かります。
遍照寺に残る宿場の絵馬
仲宿の遍照寺には、明治時代に千代本楼が奉納した「遍照寺参詣図」絵馬があります。絵馬師・柴左一が描き、太夫行列など宿場の風俗を知る資料です。境内には馬つなぎ場があったため馬を描いた絵馬が多く、寺院が旅人や街道の生活に近い存在だったことを伝えています。
旧板橋町役場と東上鉄道の開業
明治22年(1889)、町村制の施行で板橋町が成立しました。旧板橋町役場の跡地は仲宿四十四番地の区立仲宿ふれあい広場付近です。板橋二丁目には、東上鉄道の創立に関わった内田三左衛門の功績を記す大正8年(1919)の東上鉄道記念碑も残ります。鉄道の開業によって宿場の交通環境は変わり、東京近郊の市街地として発展していきました。
周辺の歴史をたどる
板橋宿から旧中山道を北へ進むと、志村・小豆沢周辺の志村一里塚や志村城跡につながります。加賀地域には前田家下屋敷や近代の火薬製造所跡があり、宿場の背後にも別の歴史が広がっています。
