板橋区の常盤台・前野・西台には、昭和初期に整備された住宅地の建築と、旧石器時代から古代にかけての遺跡が残されています。東武鉄道による常盤台住宅地の開発は東京近郊の都市化を伝え、一方で前野町や西台の発掘調査は、数万年前から人々が暮らしてきた台地の歴史を明らかにしています。
東武鉄道が開いた常盤台住宅地
常盤台住宅地は、昭和11年(1936)から同14年(1939)にかけて東武鉄道が分譲しました。鉄道沿線の住宅開発を背景に整えられた戦前の田園都市型住宅地として知られています。整備された道路と住宅地の構成は、東京の人口増加と郊外への居住地の広がりを伝えています。
常盤台二丁目の斯波家住宅は昭和13年(1938)に建てられた近代和風建築です。住宅地の成立期の建物として貴重ですが、内部は見学できません。文化財を訪ねる際は、現役の住宅として利用されていることに配慮し、公共の道路から街並みを見学します。
帝都幼稚園と武井武雄の門柱
常盤台一丁目の帝都幼稚園は、昭和11年(1936)に音楽家・山本正夫が設立した帝都学園女学校を母体とします。昭和21年(1946)に校舎の約3分の2が焼失した後、焼失を免れた創立期の建物を現在地へ移築し、幼稚園として再出発しました。
正面の門柱は、昭和32年(1957)の卒園生が寄贈したもので、童画家の武井武雄が設計しました。当時の武井は南常盤台に住んでおり、教育施設と地域の文化人とのつながりを伝えています。園舎内部は見学できません。
南常盤台天祖神社と旧上板橋宿の鎮守
南常盤台二丁目の天祖神社は、川越往還沿いの上板橋宿の鎮守でした。明治5年(1872)以前は神明宮と称し、幕末から近代の絵馬や、明治後期から昭和期の神社に関する文書が伝わります。正月や例祭には神田囃子が奉納され、街道沿いの村の信仰が現代へつながっています。
前野町の縄文土器と古墳時代の暮らし
前野町三丁目の前野田向遺跡第2地点では、平成6年(1994)の発掘調査で縄文時代早期の撚糸文系土器が見つかりました。土器の変化や他地域との交流を考えるうえで重要な資料です。前野町五丁目の前野兎谷遺跡では平成8~9年(1996~1997)に調査が行われ、縄文時代から近世までの遺構・遺物が確認されました。古墳時代前期の遺物が特に充実し、「前野町式土器」が設定された地点の一つにあたります。
西台の弥生遺跡と約4万年前の文化層
西台二丁目の区立西台福寿公園の場所では、昭和28年(1953)と同50年(1975)の調査で弥生時代後期から古墳時代前期の住居跡などが見つかりました。東海地方東部に見られる菊川式系土器の壺形土器が出土し、当時の交流を考える資料となっています。
西台一丁目の西台後藤田遺跡では、都営住宅の建て替えに伴って平成7~9年(1995~1997)に発掘調査が行われ、武蔵野台地でも最古級とされる約4万年前の旧石器時代の文化層が確認されました。出土した旧石器時代の遺物は平成20年度(2008年度)に板橋区指定有形文化財となりました。
周辺の文化財と参考資料
常盤台から石神井川沿いを南へ進むと、小茂根・城北中央公園周辺の遺跡と歴史があります。中台に伝わる寺院資料については中台延命寺の大般若経600巻で紹介しています。
