日本人の名前はどう変わった?江戸・明治の戸籍から令和、ベトナムの名付けまで

明治期に日下部金兵衛が撮影した日本の子どもたち

江戸時代の人は、一生を同じ名前だけで過ごしたのでしょうか。現在の日本では、出生届で氏名が戸籍に記録され、その氏名が学校、資格、契約、相続など多くの制度の基準になります。江戸時代には、幼いころの名、成人後の通称、実名、号などを場面に応じて使い分ける人がいました。明治初期には戸籍と氏名をめぐる制度が短期間に整備され、現在につながる「一人を公的な氏名で継続して記録する」仕組みが形づくられました。

結論を先に言えば、日本で公的な「一人一名」化が大きく進んだのは1872年(明治5年)です。5月に通称と実名のうち一名を公的に用いる方針が示され、8月には自由な改名が制限されました。さらに1875年には苗字の使用が義務化され、現在につながる「氏+名」で一人を継続的に記録する制度が固まっていきます。

その後、名前の付け方も変化します。大正から昭和には男性名の「正」「清」「勇」「博」や女性名の「○子」が上位に並び、平成以降は一文字名や自然を連想させる漢字、読みを重視した名が目立つようになりました。ベトナムにも、姓・ミドルネーム・個人名を組み合わせ、家族や時代の価値観を名前へ託してきた歴史があります。

明治期に日下部金兵衛が撮影した日本の子どもたち
明治期の日本の子どもたち。撮影:日下部金兵衛/Wikimedia Commons/Public Domain。

江戸時代の名前は今と何が違った?

江戸時代の名前は、現在の戸籍名のように一つの呼称へ集約されていませんでした。武家では、幼少期の幼名ようみょう、成人後の日常的な呼び名である通称つうしょう、実名にあたるいみな、文化活動などで使う号といった複数の名を持つ例がありました。諱は日常会話でむやみに呼ぶ名ではなく、普段は通称や役職名で呼ばれることが多くありました。

複数の名は武士だけの現象でもありません。商人や職人には家や商売を示す屋号があり、襲名によって同じ名を代々受け継ぐこともありました。庶民の男性名には官職名に由来する呼称が多く、女性名は漢字表記より、二音ほどの短い訓の名が多かったことが名前史研究で指摘されています。女性も家族内、奉公先、婚姻後などの関係の中で呼ばれ方が変わることがあり、現在の「戸籍名=社会生活の中心となる一つの氏名」とは違う環境にいました。

具体例を見ると、1708年の相模国西富岡村の史料では、農家戸主の男性名のうち「左衛門」「右衛門」「兵衛」に由来する三つの型が合計88.3%を占めたとされます。同じ史料の女性名には「さな」「ちやう」「とよ」「えつ」などが見え、漢字名は少なく、ほぼ二音節でした。幕末の丹波国の宗門改人別帳を使った研究でも、女性名は「まつ」のような二音節型が93%を占めたと報告されています。江戸の庶民名は、武家の有名人の名だけを見ていては分からない特徴を持っていました。

一方で、人々が行政から完全に離れて名前を自己管理していたわけではありません。江戸時代には宗門改や人別帳などによって、村や町の住民が世帯単位で把握されました。宗門人別帳は今日の戸籍と同じ制度ではありませんが、地域社会と支配機構が住民の名前・家族関係・所属を記録する仕組みとして使われ、人口史研究の基礎史料にもなっています。

庶民は苗字を持っていなかった?

「江戸時代の庶民には苗字がなかった」という説明は単純化しすぎています。国立公文書館は、武士以外にも苗字を持つ人々がいた一方、江戸時代には武士以外が公的に苗字を名乗ることを制限されていたと説明しています。村内や庶民同士の関係では苗字を使った事例もあり、「苗字の存在」と「公称できる資格」を分けて考える必要があります。

こうした前近代の複数名と、1872年に進んだ公的な一人一名化については、名前を奪うとはどういうことか|真名・改名・支配と『千と千尋の神隠し』でも、改名や名前の支配という別の角度から扱っています。

明治政府は名前をどう制度化した?

日本には古代から戸籍こせきがあり、1871年に初めて戸籍が生まれたわけではありません。明治政府の転換点は、全国で統一的に住民を把握する近代戸籍を整備したことです。国立公文書館によると、1871年4月に戸籍法が制定され、それまで府県ごとに行われていた戸籍作成の規則が全国的に統一されました。翌1872年に作られた全国的戸籍が、干支から「壬申戸籍」と呼ばれます。

制度変更名前への影響
1870年9月19日平民苗字許可令平民が苗字を公称することを認めた
1871年4月戸籍法制定戸籍作成の規則を全国的に統一
1872年壬申戸籍全国的な戸籍による住民把握が進む
1872年5月7日「通称名乗ノ内一名ヲ用シム」通称と実名のうち一名を公的に用いる方向を示した
1872年8月24日改名の制限戸籍に記録された名を自由に変える慣行を抑えた
1875年2月13日苗字必称の太政官布告すべての国民に苗字を名乗ることを義務づけた

1870年9月19日の太政官布告は、国立公文書館デジタルアーカイブに「平民苗字ヲ許ス」として原文書が残っています。1875年2月13日の布告では、祖先以来の苗字が分からない場合には新しく設けることも含め、苗字を名乗ることが義務化されました。苗字の公称、全国戸籍、通称と実名の整理、改名制限が数年の間に重なり、国が「氏名」を使って一人の人物を継続的に特定する仕組みが強くなりました。

この変化は、名前の文化そのものを一夜で変えたのではありません。屋号、芸名、筆名、愛称など複数の呼び名はその後も残りました。しかし、税、徴兵、学校、相続、身分関係など行政上の記録では、一人の公的な氏名が基準になる社会へ移っていきました。

明治・大正・昭和の名前はどう変わった?

明治期の名付けを現在のような全国ランキングで示すことはできません。明治安田の「生まれ年別名前ベスト10」は1912年から始まり、明治全体をさかのぼって代表する統計ではないからです。明治期の女性名については、戸籍制度の整備とともに「子」で終わる名が広がったことが名前史研究で論じられていますが、短い仮名名も引き続き使われました。

1912年の明治安田調査では、男の子は「正一」「清」「正雄」「正」「茂」、女の子は「千代」「ハル」「ハナ」「正子」「文子」などが上位でした。女性名では、仮名の短い名と「○子」が並んでいることが分かります。1920年代になると「文子」「千代子」「幸子」「愛子」などが上位に増え、昭和初期には「和子」「幸子」「節子」「久子」など「子」で終わる名前がベスト10の大半を占める年が続きました。

男性名では、大正期に「清」「三郎」「勇」「正」「博」などが長く上位に現れました。昭和改元直後の1927年には「昭二」「昭」「昭一」が上位に入り、元号の文字が出生年の名付けへ直接反映された例を確認できます。1930年代後半から1945年にかけては「勇」「勝」「勲」「功」「武」「勝利」などが上位へ増えました。ランキング自体は社会情勢との因果関係を証明する資料ではありませんが、戦時期にこうした字を含む男性名が目立ったという時系列の変化はデータから確認できます。

戦後は男性名の上位が「博」「茂」「隆」「誠」「浩」などへ移り、1960年代には「誠」「浩」「修」「健一」「哲也」、1970年代から1980年代には「大輔」「直樹」「健太」「翔太」などが上位に現れます。女性名では1950年代から1960年代も「恵子」「洋子」「由美子」などの「○子」が強い一方、「明美」「由美」「真由美」「直美」など子を付けない名も上位へ増えました。1980年代には「愛」「麻衣」「彩」「舞」などが上位となり、「○子」中心の構成が大きく変わります。

なお、明治安田の1912~1988年のベスト10は、1989年時点の同社加入者を対象に過去へさかのぼって調査したデータです。1989年以降も同社の加入者・既契約情報を対象としており、日本の全出生児を網羅した国勢調査ではありません。時代ごとの傾向を見る有力な長期資料として扱うのが適切です。

平成・令和の名前はどう変わった?

平成へいせいになると、男性名では「翔太」「拓也」「健太」などに加え、1990年代後半から「翔」「陸」「翼」、2000年代以降は「蓮」「大翔」「悠斗」「湊」などが上位に現れます。女性名では1990年代に「美咲」「愛」「彩」「舞」、2000年代に「さくら」「陽菜」「葵」「結衣」「七海」などが上位になりました。一文字名、植物・季節・空や海を連想させる字、音のまとまりを意識した名前が上位へ入る例が増えています。

令和に入ってからも一文字名は目立ちます。2020~2025年の男の子では「蒼」「蓮」「凪」「碧」「律」「湊」、女の子では「凛」「紬」「澪」「翠」「詩」などが上位に入っています。自然を連想させる漢字や、短く響きの明確な名前が男女とも上位に見られます。漢字の組み合わせと読みの選択肢も広く、同じ漢字でも複数の読み方が選ばれる状況が続いています。

2026年8月現在、明治安田が公開している最新の年間調査は2025年です。2025年の男の子は「湊」が1位で、「伊織」「結翔」が2位。女の子は「翠」が1位、「陽葵」が2位、「紬」が3位でした。同社の2025年調査は、2025年9月時点の個人保険・個人年金保険の既契約情報から、男の子6,312人、女の子6,193人を対象にしています。

ランキングの見方にも注意が必要です。1912~1988年は1989年時点の加入者を遡及して集計し、1989年以降は各年の加入者・既契約情報を使っています。百年以上の一覧を眺めるときは、同じ条件で全国の出生届を数え続けた統計ではなく、長期的な人気の変化を比較する民間調査として読むと、データの性格が分かりやすくなります。

ベトナムの名前はどうできている?

ベトナム人の名前は、キン族を中心とする一般的な構造では「せい(họ)+ミドルネーム(chữ đệm)+個人名(tên)」の順になります。たとえば Nguyễn Văn An なら Nguyễn が姓、Văn がミドルネーム、An が個人名です。姓は先頭に置かれますが、日常の呼びかけでは姓より個人名を使うことが多く、職称や親族呼称に個人名を組み合わせる形も一般的です。

ベトナム社会科学院・漢喃研究院に掲載された2008年の論文「Đặc điểm văn hóa phản ánh trong cấu trúc họ tên của người Việt」は、ベトナムの姓名を、姓+(ミドルネーム)+名という構造で整理しています。Nguyễn、Lê、Phan、Phạm、Ngô、Trầnなど多くの姓や、人名に用いられる語彙には漢越語の強い影響があります。一方、純ベトナム語の語彙を使う名もあり、名前の語彙は一様ではありません。

1905~1906年ごろのベトナムのゴ・ディン・カー一家
1905~1906年ごろのゴ・ディン・カー一家。撮影:Pierre Dieulefils/Wikimedia Commons/Public Domain。

写真資料に記録された Ngô Đình Khả 一家にも、Ngô Thị Giao、Ngô Thị Hiệp、Ngô Đình Thục、Ngô Đình Diệm、Ngô Đình Khôi などの名が見えます。Ngô が家族に共通する姓で、Thị や Đình が姓と個人名の間に置かれています。ただし、一家族の例からベトナム全体の命名規則を導くことはできません。地域、時代、民族、家族ごとに構成や選び方には幅があります。

Thịは女性のミドルネームとしてどう使われた?

Thị は歴史的に女性のミドルネームとして広く使われ、Đoàn Thị Điểm、Nguyễn Thị Hinh のような形が知られています。漢喃研究院掲載論文は、現代では女性名から Thị を省く例が増え、Hoàng Thị Ngân Mai が Hoàng Ngân Mai、Lê Thị Bảo Ngọc が Lê Bảo Ngọc となるような変化を挙げています。現在の女性名を Thị の有無だけで判断できるわけではなく、歴史的なジェンダー標識としての性格が弱まり、ミドルネームの選択が多様化しています。

歴史的な名付けでは、男性名に Nhân(仁)、Nghĩa(義)、Trung(忠)、Dũng(勇)、Đức(徳)など、儒教的徳目や強さを表す語を選ぶ傾向が論じられてきました。女性名では Hoa(花)、Lan(蘭)、Mai(梅)、Ngọc(玉)など、花や美しさ、貴重さを表す語が多く用いられたとされます。これらは過去の文化的傾向を示す例で、現代の男性・女性へ固定的に当てはめる分類ではありません。

名に込められる意味はジェンダーだけではありません。Phúc(福)、Lộc(禄)、Thọ(寿)のような吉祥語、Sơn(山)、Hà(河)、Giang(川)、Thủy(水)のような自然、Xuân(春)、Thu(秋)のような季節、干支や出生時期に関係する語も使われてきました。漢越語の語彙は、音と意味の両方を通して名付け文化に長く影響しています。

漢喃研究院掲載論文は、昔の子どもの呼び名に、あえて粗末・卑俗な意味の語を用いる習慣も紹介しています。幼児の死亡が多かった時代、霊的な存在の注意を避ければ子どもが育つという信仰と結び付けられたもので、男児・女児それぞれに例が記録されています。これは近代以前の民間信仰と生活環境に関わる歴史的習慣です。

現在のベトナムでは、出生登録に姓・ミドルネーム・名が法的な記録項目として用いられます。司法省の法令データベースに収録された Nghị định 123/2015/NĐ-CP と関連規定では、子どもの họ, chữ đệm, tên を出生登録で確定することが定められています。家族や共同体の呼び方に幅があっても、国家の戸籍登録では正式な姓名が記録される点は現代日本と共通します。

日本とベトナムの名付けを比べる

日本とベトナムには、姓を先に置き、東アジアの漢字・漢語文化から大きな影響を受けたという共通点があります。一方、日常の呼び方、ミドルネームの位置づけ、前近代の複数名の使い分け方は異なります。

比較項目日本ベトナム
名前の基本構造氏+名họ+(chữ đệm)+tên
姓の位置先頭先頭
日常で呼ぶ部分姓+敬称、名、愛称など場面で変化個人名(tên)を中心に呼ぶことが多い
ミドルネーム戸籍上の独立したミドルネーム制度はないchữ đệm が姓と個人名の間に入ることが多い
歴史的な改名・複数名前近代には幼名・通称・諱・号など複数名を使う例が多い改名、別名、字・号などの歴史があり、家譜や政治・社会活動でも複数名が見られる
国家への登録出生届をもとに戸籍へ氏名を記録出生登録で họ・chữ đệm・tên を記録
漢字・漢越語文化の影響漢字の意味・音を名付けに利用漢越語の姓・名が多く、漢字文化の影響が強い

違いがよく表れるのは日常の呼称です。現代日本では「佐藤さん」のように姓で呼ぶ場面が多いのに対し、ベトナムでは姓が共通する人も多く、個人名を中心に呼ぶことが一般的です。日本の前近代では社会的役割に応じて複数の名を使い分ける仕組みが発達し、ベトナムでは姓・ミドルネーム・名の組み合わせ自体が系譜や世代、性別、願いを表す役割を担ってきました。

比較するときは、慣習と法制度を分ける必要があります。ベトナムの姓名文化についてここで紹介した漢喃研究院の資料は、主として多数民族であるキン族の命名文化を扱います。一方、出生登録はベトナム全国の法制度です。少数民族を含む各地域の命名慣習まで、同じ形に当てはめることはできません。

出生そのものをめぐる歴史は、日本とベトナムの出産・育児の歴史編で、産婆・助産師、出産場所、授乳、産後習慣まで比較しています。

名前の歴史でよくある疑問

日本人が公的に一人一つの名前を使うようになったのはいつ?

大きな転換は1872年(明治5年)です。通称と実名のうち一名を公的に用いる方針が示され、同年には改名も制限されました。1875年の苗字必称と合わせて、氏名を継続的に記録する制度が整っていきました。

江戸時代の庶民にも苗字はあった?

武士以外にも苗字を持つ人はいました。ただし公的に名乗ることには制限があり、村内や庶民同士では使われる例がありました。「苗字を持たない」と「公称できない」は分けて考える必要があります。

ベトナム人は姓と名前のどちらで呼ぶ?

日常では個人名(tên)を中心に呼ぶことが多くあります。姓名の基本順序は姓(họ)+ミドルネーム(chữ đệm)+個人名(tên)です。

Thịはベトナム人女性なら必ず付く?

必ず付くものではありません。Thịは歴史的に女性のミドルネームとして広く使われましたが、現代では省く例や別のミドルネームを使う例も増えています。

名前は制度と時代の変化を映してきた

日本では、江戸時代の複数名と地域社会による住民把握から、明治初期の全国戸籍、通称と実名の整理、改名制限、苗字必称へと、公的な氏名を固定して記録する制度が整えられました。大正・昭和から平成・令和にかけては、同じ制度の中でも、選ばれる漢字や音、男女の名付け傾向が大きく変化しています。

ベトナムでは、姓・ミドルネーム・名という構造の中に、漢越語、徳目、自然、季節、家族の系譜などが織り込まれてきました。日本でもベトナムでも、国家が正式な姓名を登録する一方、家族や社会は名前に願いと時代の価値観を重ね続けています。

参考文献・主要資料

  1. 国立公文書館デジタルアーカイブ「平民苗字ヲ許ス」
  2. 国立公文書館「明治4年(1871)4月|戸籍法が制定される」
  3. 国立公文書館「あの日の公文書 9月19日 苗字の日」
  4. 国立公文書館デジタルアーカイブ「通称名乗ノ内一名ヲ用シム」
  5. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「幼名、通称等、実名以外の複数の名を使用できなくなったのは明治以降だったが、その法令を見たい。」
  6. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「江戸時代の庶民が苗字を名乗っていたことに関する資料はあるか?」
  7. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「江戸時代の庶民の名前で、多く使われていたものの傾向が知りたい」
  8. 明治安田「生まれ年別名前ベスト10・男の子」
  9. 明治安田「生まれ年別名前ベスト10・女の子」
  10. 明治安田「名前ランキング2025 調査要領」
  11. Viện Nghiên cứu Hán – Nôm, “Đặc điểm văn hóa phản ánh trong cấu trúc họ tên của người Việt,” Tạp chí Hán Nôm, Số 3(88), 2008.
  12. Bộ Tư pháp Việt Nam, Nghị định 123/2015/NĐ-CP(戸籍法施行に関する政令)
  13. Wikimedia Commons “Country Children Kusakabe Kimbei”
  14. Wikimedia Commons “Family of Mr. Ngô Đình Khả”