東大総長で読む東京大学の歴史|明治・戦争・東大紛争を動かした人々

東京大学本郷キャンパスに建つ安田講堂の正面外観

東京大学本郷キャンパスの正門から銀杏並木を進むと、正面に安田講堂が見えてきます。この景観には、明治の大学形成、戦争と敗戦、1968~69年の東大紛争という東京大学史の大きな転換が重なっています。

東京大学は1877年に創設され、1886年に帝国大学、1897年に東京帝国大学となりました。1947年9月30日に東京大学へ改称し、1949年5月31日に学校教育法にもとづく新制東京大学が発足します。名称の変更と制度の転換を分けて見ると、大学の歩みが整理しやすくなります。

東京大学の歴史は、総長を見ると流れが分かる

東京大学の歴史が大きく動いた時期には、大学と国家の関係、教員人事、学生との関係、教育制度をめぐる判断が総長のもとに集中しました。総長の交代を追うと、大学が危機にどう対応し、制度をどう変えたのかが時系列でつながります。

明治には帝国大学制度と本郷キャンパスが形づくられ、戸水事件では大学自治が争点になりました。戦争期には研究・教育と国家動員の関係が変わり、敗戦後には新制大学へ移行します。1968~69年の東大紛争では、学生処分、警察力の導入、入試中止、大学改革が連続しました。

まず全体像|東京大学を変えた3つの時代

時代中心人物大学で起きたこと詳しい記事
明治濱尾新・山川健次郎帝国大学制度、本郷キャンパス形成、大学自治明治編
戦争・敗戦矢内原忠雄・平賀譲・内田祥三・南原繁戦時動員、学徒出陣、敗戦、戦後大学改革戦争編
1968~69年大河内一男・加藤一郎・林健太郎東大紛争、安田講堂封鎖解除、1969年度入試中止東大紛争編

明治|濱尾新と山川健次郎が形づくった帝国大学

帝国大学・東京帝国大学総長を務めた濱尾新の肖像
濱尾新(1849~1925)の肖像。出典:東京大学文書館/Public Domain。

濱尾新はまお あらたは1893~97年と1905~12年の二度、総長を務めました。本郷キャンパスでは正門から大講堂へ向かう軸線を構想し、1906年頃に本多静六と相談して銀杏並木を整えたと東京大学が紹介しています。現在の本郷の景観には、濱尾の大学運営の痕跡が残っています。

山川健次郎やまかわ けんじろうは会津戦争を経験したのち米国で物理学を学び、東京大学初の日本人物理学教授となりました。1901年に総長へ就任し、1905年の戸水事件では、文部省による教授休職処分をめぐって大学と政府が衝突する中で辞任します。教員人事を大学がどこまで自律的に決められるかという大学自治の問題が表面化しました。

濱尾のキャンパス形成、山川の経歴、戸水事件の経緯は、濱尾新・山川健次郎から読む明治の東京大学史で詳しく整理しています。

戦争|矢内原忠雄から平賀譲、内田祥三、南原繁へ

海軍正装を着用した東京帝国大学総長・平賀譲
平賀譲(1878~1943)。東京大学柏図書館所蔵/Wikimedia Commons/CC BY 4.0。

1937年、経済学部教授の矢内原忠雄やないはら ただおは軍国主義批判を背景に東京帝国大学を辞職しました。翌1938年には海軍造船技術者でもあった平賀譲ひらが ゆずるが第13代総長に就任し、1939年の「平賀粛学」で経済学部の人事問題を処理する一方、戦時の技術者需要に対応する第二工学部の設置を進めました。

平賀が1943年に在任中に死去すると、建築家の内田祥三うちだ よしかずが第14代総長になります。同年、文科系学生を中心に徴兵猶予が停止され、東京帝国大学では安田講堂で出陣学徒の壮行会が開かれました。敗戦後は本郷キャンパスの接収回避に動き、1945年12月には南原繁なんばら しげるが第15代総長へ就任します。

戦後最初の東京大学総長・南原繁の肖像
南原繁(1889~1974)の肖像。出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」。

南原の総長期には1947年の東京大学への改称と、1949年の新制東京大学発足が続きました。1951年には矢内原が第16代総長に就任します。1937年に大学を去った研究者が、戦後の制度転換を経た大学の総長として戻ったことになります。

平賀粛学、第二工学部、学徒出陣、敗戦後の改革を詳しく追う場合は、矢内原忠雄・平賀譲・内田祥三・南原繁から読む戦時・戦後の東京大学史にまとめています。

東大紛争|大河内一男、加藤一郎、林健太郎

1968年、医学部の研修医制度と学生処分をめぐる対立から東大紛争が拡大しました。6月17日、大学側が安田講堂の封鎖解除に機動隊を導入すると反発が全学へ広がり、10月には全学部が無期限ストライキに入ります。

第18代総長の大河内一男おおこうち かずおは1968年11月に退任し、法学部教授の加藤一郎かとう いちろうが総長事務取扱として収拾を担いました。学生代表との交渉を進め、1969年1月10日には七学部代表団との確認書が成立します。1月18~19日には警察力によって安田講堂などの封鎖が解除されました。

紛争の影響で1969年度の東京大学入学試験は実施されませんでした。同年4月に加藤が第19代総長となり、大学改革の検討が続きます。紛争当時に文学部長として学生との交渉に当たった林健太郎はやし けんたろうは、1973年に第20代総長へ就任しました。

東大紛争は1969年1月18~19日の安田講堂攻防だけを指す出来事ではありません。医学部の問題から全学紛争、総長辞任、入試中止、大学改革までの流れは、東大紛争と歴代総長をたどる詳細編で時系列に整理しています。

歴代総長一覧|全体の中で3つの時代を確認する

1877年の創設当初は「総長」ではなく、法理文三学部と医学部に綜理が置かれ、1881年から全学を管理する総理が置かれました。1886年に帝国大学となってから総長職が始まります。東京大学公式の歴代総長一覧を基準に、事務取扱を除く初代から現職までを並べると次の通りです。

氏名在任期間この総合記事での位置づけ
1渡邉洪基1886.3.9~1890.5.18帝国大学初代総長
2加藤弘之1890.5.19~1893.3.29創設期
3濱尾新1893.3.30~1897.11.5明治編
4外山正一1897.11.12~1898.4.29明治期
5菊池大麓1898.5.2~1901.6.1明治期
6山川健次郎1901.6.1~1905.12.2明治編
7松井直吉1905.12.2~1905.12.14戸水事件後
8濱尾新1905.12.14~1912.8.13明治編
9山川健次郎1913.5.9~1920.9.27明治編
10古在由直1920.9.27~1928.12.22大正~昭和初期
11小野塚喜平次1928.12.22~1934.12.27昭和初期
12長與又郎1934.12.27~1938.11.8矢内原辞職期
13平賀譲1938.12.20~1943.2.17戦争編
14内田祥三1943.3.12~1945.12.14戦争編
15南原繁1945.12.14~1951.12.14戦争編
16矢内原忠雄1951.12.14~1957.12.14戦争編
17茅誠司1957.12.14~1963.12.13戦後
18大河内一男1963.12.14~1968.11.5東大紛争編
19加藤一郎1969.4.1~1973.3.31東大紛争編
20林健太郎1973.4.1~1977.3.31東大紛争編
21向坊隆1977.4.1~1981.3.31紛争後
22平野龍一1981.4.1~1985.3.31戦後
23森亘1985.4.1~1989.3.31戦後
24有馬朗人1989.4.1~1993.3.31平成期
25吉川弘之1993.4.1~1997.3.31平成期
26蓮實重彦1997.4.1~2001.3.31平成期
27佐々木毅2001.4.1~2005.3.31法人化期
28小宮山宏2005.4.1~2009.3.31平成期
29濱田純一2009.4.1~2015.3.31平成期
30五神真2015.4.1~2021.3.31平成~令和
31藤井輝夫2021.4.1~現職

東大紛争期には、大河内退任後の1968年11月5日から1969年4月1日まで加藤一郎が総長事務取扱を務めています。明治編・戦争編・東大紛争編で重点的に扱う人物は、上の一覧ではその位置づけだけを示しました。

本郷キャンパスを歩くと、この歴史が見える

正門から安田講堂へ延びる銀杏並木は、濱尾新はまお あらたが本多静六と相談して整えた景観です。安田講堂は1925年に竣工し、1943年には出陣学徒壮行会、1968~69年には東大紛争の舞台となりました。同じ場所に異なる時代の大学史が重なっています。

構内には濱尾新像のほか、理学部1号館前に山川健次郎やまかわ けんじろう像があります。関東大震災後の復興では内田祥三うちだ よしかずが本郷キャンパスの建築計画を担い、安田講堂を含む統一感のある景観が形づくられました。

赤門、安田講堂、三四郎池、内田ゴシックなどを現地でたどるなら、東京大学本郷キャンパスの歴史散歩に見どころをまとめています。本郷の街全体を文学と学問の歴史から歩く場合は、本郷歴史散歩ガイドもあわせて参照できます。

3つの詳細編

明治編では、濱尾新による本郷キャンパス形成と山川健次郎の歩み、戸水事件で表面化した大学自治を詳しく扱います。

戦争編では、矢内原忠雄の辞職から平賀粛学、第二工学部、学徒出陣、敗戦、新制大学への移行、矢内原の総長就任までを時系列でたどります。

東大紛争編では、医学部研修医問題から1968年6月の機動隊導入、安田講堂封鎖解除、1969年度入試中止、大学改革までを整理しています。

まとめ

東京大学は、明治の大学形成、戦争と敗戦、1968~69年の大学紛争という大きな転換を経て、制度と組織を変えてきました。総長の交代を軸に見ると、大学と国家の関係、大学自治、教育制度の変化が一つの流れとしてつながります。

主な参考資料