向原八雲神社の歴史|富士講・大山講が伝えた木太刀と御神酒枠

板橋区向原二丁目の向原八雲神社には、江戸時代後期から地域で行われた富士山・大山への登拝に関わる祭具や文書が残されています。なかでも、大山へ担いで行った木太刀と御神酒枠(おみきわく)は、板橋区内では同社だけで確認されている貴重な資料です。これらを含む「向原八雲神社信仰資料」は平成21年(2009)3月26日に板橋区登録有形民俗文化財となりました。

向原の鎮守と山岳信仰

向原八雲神社の創建年代は明らかではありませんが、江戸時代末期には祀られていたと考えられています。現在の向原・小茂根周辺は、かつて上板橋村に属し、農村の人々は日々の仕事とともに神社の祭礼や山への参詣を行っていました。

江戸時代の富士講や大山講は、共通する信仰を持つ人々が集まり、登拝にかかる費用を用意し、代表者や仲間を霊山へ送り出す組織でした。山までの旅は長い道のりだったため、地元で祈祷を行う際の祭具や、旅の記録も大切に保管されました。

大山講の木太刀と御神酒枠

相模国の大山は、江戸時代に多くの人々が参詣した霊山です。向原八雲神社に残る木太刀は、講の人々が大山へ担いで運び、現地の良弁滝で水垢離(みずごり)をした後、持ち帰って守りとしたものです。水垢離は冷水で身を清める行為で、山岳信仰の儀礼の一つでした。

御神酒枠は一対の道具で、担ぎ棒を通して大山への奉納酒を運びました。参詣後には大山の御神水を入れ、地元へ持ち帰るためにも使われました。木太刀と御神酒枠がそろって伝わることから、登拝の行程と帰郷後の信仰を具体的にたどれます。

1819年の不動明王像と富士講の祭具

境内には文政2年(1819)に造られた大山不動明王石像があります。不動明王への信仰は大山詣と結び付き、参詣者が山へ向かう際の祈りを支えました。石像に刻まれた年代は、19世紀初頭に向原で大山への信仰が行われていたことを伝えます。

富士講に関わる資料としては、上板橋村に広がった山方講の枝講「丸證講」の世話人が江戸時代末期に寄進した手水鉢が残ります。また、富士講の祈祷で用いた祝詞や、御三幅と呼ばれる御神体も伝えられています。参詣講ごとに用いる道具は異なりますが、いずれも地域の人々が信仰を共同で営んだ記録です。

祭礼と榛名山参詣の文書

神社の所蔵資料には、八雲神社の祭礼や榛名山などへの登拝に関する古文書もあります。富士山と大山に加えてほかの霊山にも参詣した記録が残り、向原の人々が複数の信仰組織に参加していたことを知る手がかりとなっています。石造物と古文書をあわせると、奉納する道具だけでなく、講の運営や参詣の広がりもたどれます。

所在地と見学

向原八雲神社の所在地は板橋区向原2丁目4番7号で、東京メトロ有楽町線・副都心線の千川駅から徒歩約6分です。木太刀や御神酒枠などの所蔵資料が常時一般公開されているとは限らないため、拝観や調査については板橋区の文化財担当部署へ確認してください。

向原に近い小茂根・城北中央公園周辺の歴史は、小茂根・城北中央公園周辺の歴史と文化財で紹介しています。

参考資料