板橋区大谷口二丁目の西光寺には、「しろかき地蔵」と呼ばれる古い石地蔵が祀られています。室町時代の作と考えられ、板橋区内で最も古い石地蔵として知られます。田植え前の作業を地蔵が助けたという伝承があり、近くを流れた「えんが堀」と、かつて広がっていた水田の歴史を伝えています。
江戸時代の観音堂から始まった西光寺
西光寺は、江戸時代初期に創建された観音堂を始まりとする真言宗寺院です。現在の所在地は大谷口2丁目8番7号。寺が開かれるより前に造られたと考えられる石地蔵が伝わり、中世から近世にかけて大谷口で続いた信仰の一端を残しています。
しろかき地蔵の姿と制作年代
しろかき地蔵は舟形の光背を持つ石仏で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿が浮き彫りにされています。顔の一部には傷みがありますが、衣の細かな文様や蓮台の彫刻が残っています。頭部や衣の表現、錫杖の長さなどから、中世の室町時代に造られたと考えられています。
昭和63年(1988)3月25日、しろかき地蔵は板橋区登録有形民俗文化財(信仰)となりました。仏像の姿だけでなく、土地に伝わる昔話と結び付いた信仰も保存の対象となっています。
農家の代かきを地蔵が手伝ったという昔話
大谷口には、田植えを翌日に控えた農家が苗代を整えていたものの、日暮れまでに作業を終えられなかったという話が伝わります。困った農家の代わりに地蔵が苗代かきを済ませたことから、「しろかき地蔵」と呼ばれるようになったとされます。
代かきは、田に水を張り、土を砕いて平らに整える作業です。苗を植える準備として欠かせないため、農家にとっては季節ごとの大切な仕事でした。地蔵の伝承には、田植えの時期に農作業を支える存在を願った人々の信仰が残っています。
地蔵坂・地蔵橋と「えんが堀」
しろかき地蔵は、もとは西光寺の北を通る大谷道の坂の途中、氷川神社西側の斜面に祀られていました。その坂は「地蔵坂」と呼ばれ、「えんが堀」に架かる橋も地蔵橋と呼ばれていました。地蔵は戦前に西光寺へ移され、現在の寺の境内で保存されています。
えんが堀と湧水を利用した水田が広がっていた時代には、地蔵、坂、橋の名が同じ地域の風景の中で結び付いていました。寺に移された石地蔵は、都市化で変わった大谷口の土地の使われ方も伝えます。
2026年に登録された弘法大師像と興教大師像
西光寺には、真言宗の祖である弘法大師空海と、真言宗の教えを発展させた興教大師覚鑁の像も伝わります。興教大師像には、延享4年(1747)に浅草の仏師・加藤右京が21歳で制作したことを示す銘があります。弘法大師像には、湯島の霊雲寺に関わった仏師・幸慶の名前が残されています。
幸慶は精緻な衣文表現で知られ、加藤右京はのちに寛永寺に関わった仏師です。二人の仏師が制作した像は、江戸時代の寺院を結んだ技術と信仰の交流を伝えています。両像は令和8年(2026)2月16日に板橋区登録有形文化財(彫刻・歴史資料)となりました。
所在地と参考資料
西光寺は板橋区大谷口2-8-7にあり、東京メトロ有楽町線・副都心線の千川駅から徒歩約14分です。石地蔵や仏像の見学に際しては寺院の案内に従ってください。近くの小茂根・向原地域の歴史は、小茂根・城北中央公園周辺の歴史と文化財でも紹介しています。
- 板橋区「西光寺のご案内」
- 板橋区「広報いたばし 令和8年3月21日号」
- 板橋区『令和7年度版 板橋区文化財マップ』
