小茂根・城北中央公園周辺の歴史と文化財|遺跡・石神井川・神社・寺院

2019年春の城北中央公園に咲く桜と園内の風景

板橋区小茂根から城北中央公園にかけては、石神井川沿いの台地に旧石器時代の遺跡が残り、江戸時代の信仰を伝える神社や寺院も点在します。板橋区と練馬区にまたがるこの一帯では、古代の集落、農村の暮らし、防空緑地、公園と地下調節池まで、土地の使われ方が時代とともに変わってきました。

小茂根という町名の由来

現在の小茂根一丁目から五丁目は、1965年(昭和40年)5月1日の住居表示で成立しました。「小山町」「茂呂町」「根ノ上町」から字を取った合成地名です。一丁目には旧向原町の一部も含まれます。江戸時代には、この辺りの多くが武蔵国豊島郡上板橋村に属していました。旧町名は、現在の町丁目とは異なる土地の区分を伝えています。

石神井川沿いの台地と三つの遺跡

小茂根五丁目の茂呂遺跡では、1951年の石器発見を契機に旧石器時代の研究が進みました。茂呂型ナイフ形石器の名でも知られます。小茂根一丁目の根ノ上遺跡では、縄文時代早期の土器、弥生時代後期の環濠集落かんごうしゅうらくなどが発見されました。練馬区氷川台の栗原遺跡は、旧石器時代から平安時代にわたる遺跡で、園内には奈良時代の竪穴住居が復元されています。

城北中央公園の栗原遺跡に復元された奈良時代の竪穴住居
栗原遺跡の復元竪穴住居(2019年)。Nhiteo/Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0。

三つの遺跡の発見内容は茂呂・根ノ上・栗原遺跡の比較で整理しています。茂呂遺跡の発掘と旧石器研究は茂呂遺跡の詳説で読めます。

城北中央公園――防空緑地から都市公園へ

城北中央公園は1942年(昭和17年)の防空緑地計画に始まり、1957年に上板橋緑地として開園、1970年に現在の名称となりました。石神井川沿いの起伏と樹林を生かした公園で、スポーツ施設、広場、遺跡を備えます。

2019年春の城北中央公園に咲く桜と園内の風景
春の城北中央公園(2019年)。Nhiteo/Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0。

田柄川・桜川と石神井川の調節池

練馬区で田柄川、板橋区で桜川と呼ばれた川は、現在では暗渠あんきょとなり、地上には緑道が整備されています。石神井川の洪水対策として、城北中央公園の地下には約25万立方メートルの貯留量を計画する調節池が建設されています。2025年6月には一期施設が取水を開始しました。練馬区は1947年に板橋区から分離したため、公園が二つの区にまたがる現在の行政区画も戦後の歴史と結びついています。

公園の成立、旧河川、区界と治水の歴史は城北中央公園の歴史と石神井川・田柄川・調節池で詳しく紹介しています。

桜川御嶽神社の狼型狛犬

桜川一丁目の御嶽神社には1854年(嘉永7年)の狼型狛犬が残っています。江戸時代の御嶽信仰では、オオカミが山の神の使いとして尊ばれました。石工石田栄蔵が制作した一対は、板橋区登録有形民俗文化財です。

板橋区桜川の御嶽神社に安置された狼型の狛犬
桜川御嶽神社の狼型狛犬(2022年)。Asanagi/Wikimedia Commons、CC0 1.0。

狛犬の奉納と江戸時代の御嶽講は桜川御嶽神社の狼型狛犬で詳しく紹介しています。

安養院――仏像と旧松平家の建築

東新町二丁目の安養院は真言宗寺院です。四面の厨子に釈迦の生涯を表す釈迦四面像、赤い肌と孔雀座が特徴の紅頗梨色阿弥陀如来坐像、江戸時代の銅鐘が伝わります。庫裡は明治期に東京市麹町区で建てられた旧伯爵松平基則邸を昭和初期に移築した建築です。

2025年1月に撮影された板橋区東新町の安養院の山門
安養院の山門(2025年)。Asanagi/Wikimedia Commons、CC0 1.0。

仏像の造形と庫裡の来歴は安養院の歴史と文化財で詳しく紹介しています。

文化財が公開される機会

2026年の「いたばし文化財ふれあいウィーク」では、茂呂遺跡、桜川御嶽神社の狛犬、安養院の仏像・庫裡などが公開対象となりました。普段の公園散策では目に触れにくい文化財にも接する機会となっています。

参考資料