東京都板橋区小茂根の茂呂遺跡(もろいせき)は、1951年(昭和26年)に発掘された旧石器時代の遺跡です。縄文時代より古い人々の活動を示す石器が南関東で初めて確認され、日本列島の旧石器文化を調べる研究の出発点の一つになりました。現在は城北中央公園の一角に史跡が保存され、通常は内部に立ち入れません。
2026年秋の「いたばし文化財ふれあいウィーク2026」では、10月31日(土)、11月1日(日)、11月3日(火・祝)の3日間、遺跡内部が特別公開されます。1951年の発見地点がどのような場所だったのか、石神井川沿いの地形を確かめながら見学できる機会です。
2026年の茂呂遺跡特別公開|日時・場所・予約
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 公開日 | 2026年10月31日(土)、11月1日(日)、11月3日(火・祝) |
| 公開時間 | 各日10時~15時 |
| 所在地 | 東京都板橋区小茂根5丁目17番 |
| 入口 | 石神井川側 |
| 交通 | 東武東上線「上板橋駅」から徒歩約15分 |
| 予約 | 不要 |
| 見学方法 | 板橋区学芸員・解説ガイドによるツアー形式 |
板橋区と東京都公園協会の案内によると、学芸員やガイドの説明を受けながら史跡内部を見学します。区の広報では、前日または当日が雨天の場合、公開が中止・変更となる可能性が示されています。出発前に板橋区「いたばし文化財ふれあいウィーク2026」と城北中央公園「古代フェスティバル」の案内を確認してください。
会場は石神井川沿いです。「石神井川側が入口」という区の指定を目印にしてください。見学は史跡の保護区域内を歩くため、歩きやすい靴が適しています。2026年の公式案内では、茂呂遺跡出土石器の実物を現地で展示するとは記されていません。
茂呂遺跡はどこにあるのか|石神井川と「オセド山」
茂呂遺跡は石神井川の南岸、かつて「オセド山」と呼ばれた小高い台地にあります。発見の舞台となったのは、その台地を切り開いて造られた栗原新道の切り通しでした。道路工事などで地面を削ると、地中に重なった地層が断面として現れます。茂呂遺跡では、この断面に露出した赤土の中から石器が見つかりました。
赤土は関東ローム層と呼ばれ、火山灰などが堆積・風化してできた地層です。旧石器時代の石器が、地表付近の縄文時代の土層より下にあるローム層から出土したことが、石器の古さを考える重要な根拠になりました。茂呂遺跡は、立川ローム層から石器が出土することを初めて確かめた遺跡としても紹介されています。
現在、史跡の周囲には樹木があり、現地には標柱や解説板が設けられています。板橋区の通常時の散策案内では、樹林保護のため立ち入りを制限していると記されています。史跡の所在地は板橋区観光協会「茂呂遺跡」でも確認できます。
1951年、中学生の発見から始まった発掘調査
1951年3月、当時中学生だった瀧澤浩(たきざわ・ひろし)さんが、栗原新道の切り通しで黒曜石製の石器と礫(小石)の集中を発見しました。板橋区の記録によると、石器は関東ローム層の中にありました。発見後、瀧澤さんは石器を研究者に見せるために各所を訪ねました。
考古学者小田静夫が2017年にまとめた研究史によると、瀧澤さんは同年6月下旬、井の頭公園内の武蔵野郷土館で吉田格(よしだ・いたる)と甲野勇(こうの・いさむ)に石器を見せました。吉田は現地で焼けた礫を確認し、明治大学大学院生だった芹沢長介(せりざわ・ちょうすけ)へ発見を伝えました。岩宿遺跡の調査経験を持つ芹沢は共同発掘を提案し、発掘届の提出や土地所有者との交渉も担当しました。詳しい経緯は小田静夫「世界最古の磨製石斧と栗原遺跡」(『多摩考古』第47号、2017年)に記録されています。
1951年7月、明治大学考古学研究室と武蔵野郷土館が共同で発掘しました。参加者には杉原荘介(すぎはら・そうすけ)、吉田格、芹沢長介、大塚初重(おおつか・はつしげ)らがいました。上板橋駅方面から栗原橋を渡った先の切り通しを調べ、関東ローム層中の石器を確認しました。発掘期間は板橋区の記録では7月10~19日、小田静夫の論考では7月10~20日と記されています。1952年には杉原・吉田・芹沢の3人が調査成果を日本考古学協会の研究発表要旨に報告しました。
板橋区が公開する当時の発掘写真には、栗原橋側から見た道路と切り通しが写っています。現在の地形と比較する際には、板橋区「茂呂遺跡発掘調査から60周年」に掲載された1951年7月撮影の写真が参考になります。
なぜ日本の考古学史で重要なのか|岩宿遺跡との関係
1946年、群馬県の岩宿遺跡で相澤忠洋(あいざわ・ただひろ)が赤土の中から石器を発見しました。1949年には明治大学を中心とする調査が行われ、岩宿遺跡の地層から縄文時代より古い石器文化が確認されました。従来、赤土の関東ローム層は考古遺物が出ない地層と考えられていましたが、岩宿に続いて茂呂でも石器が見つかり、旧石器時代の調査が各地へ広がりました。
その2年後の茂呂遺跡の調査は、南関東で初めて旧石器時代の生活の痕跡を確認した発掘調査です。板橋区や板橋区観光協会は、岩宿遺跡に続く全国2例目の調査と紹介しています。北関東で確認された旧石器文化が南関東にも広がっていたことを裏付け、日本列島各地の赤土の地層を調査する動きにつながりました。
発掘で見つかった石器群は、その後の旧石器時代研究で比較の基準になりました。杉原荘介と芹沢長介は1953年・1954年に、各地の石器の形態や出土層位を比較して初期の編年案を発表しました。明治大学博物館は、その当時の考え方を古い方からおおよそ「岩宿Ⅰ→茂呂→岩宿Ⅱ→上ノ平」と紹介しています。「編年」は、出土品と地層から文化の前後関係を整理する研究方法です。この順序は1950年代当時の編年案です。
発掘成果は杉原荘介・吉田格・芹沢長介の連名で、1959年に「東京都茂呂における関東ローム層中の石器文化」として『駿台史学』第9号84~104頁に掲載されました。明治大学「『駿台史学』総目次」で著者・書名・掲載頁が確認できます。
茂呂型ナイフ形石器とは|形・用途・黒曜石の産地
茂呂遺跡を代表する出土品が、茂呂型ナイフ形石器です。石のかたまりから薄く剥がした石片を素材とし、刃として使う部分を残して、そのほかの縁を細かく打ち欠く刃潰し加工を施しています。刃の向きや加工位置は旧石器時代の石器群を比較する手がかりです。山梨県埋蔵文化財センターの用語集は、刃が斜めになる茂呂型を関東・東海・四国・九州で確認される型式と説明しています。「ナイフ形石器」は形態に着目した名称で、明治大学博物館は槍の先に装着して使う狩猟具だったと考えています。
明治大学博物館のオンライン展示で紹介される標式資料は、長さ4.6センチメートルの黒曜石製です。標式資料とは、石器の形や型式を説明するときに基準となる実物資料を指します。黒曜石は火山活動によって生まれたガラス質の石で、鋭い刃を作ることができます。
同館は、この石器に使われた黒曜石について信州・霧ヶ峰産である可能性を挙げています。板橋周辺から離れた地域の石材が利用されていたとすれば、旧石器時代の人々が広い範囲を移動したり、石材を入手するつながりを持ったりしていたことを考える手がかりになります。
茂呂遺跡ではナイフ形石器のほか、石を削るなどの作業に使われるスクレイパーも確認されています。代表的なナイフ形石器は、明治大学博物館のオンライン展示で回転・拡大しながら観察できます。
茂呂遺跡は何年前? 約1万7千年前と約2万8千年前の資料差
茂呂遺跡の年代については、現在公開されている機関資料に異なる数字が示されています。東京都公園協会の城北中央公園案内では約1万7千年前、明治大学博物館のオンライン展示では約2万8千年前と説明しています。
旧石器時代の年代を検討する際には、石器が出土した地層と石器の形態、周辺遺跡との比較、年代測定の結果を組み合わせます。茂呂遺跡について公表されている上記2つの数字は、各施設の案内文だけでは推定方法を詳しく比較できません。城北中央公園の史跡紹介と明治大学博物館の資料解説では、それぞれ異なる推定値が掲載されています。
東京都指定史跡として残された発掘の場所
茂呂遺跡は、考古学史上の重要性から1969年(昭和44年)3月27日に東京都指定史跡となりました。指定年月日は、奈良文化財研究所の文化財総覧と東京都の公園関係資料で確認できます。出土品に関しては、「茂呂遺跡出土石器『ローム層標本』」が1999年(平成11年)3月3日に東京都指定有形文化財となっています。
茂呂遺跡では1951年以降にも調査が行われ、1982年に『茂呂遺跡B地点発掘調査報告書』、1986年に『茂呂遺跡C地点確認調査報告』が板橋区教育委員会から刊行されています。奈良文化財研究所の文化財総覧には、旧石器時代の礫群やナイフ形石器・石核・剥片に加え、縄文・弥生時代の土器、奈良・平安時代の土師器・須恵器、平安時代の住居跡も記録されています。これらは後年の調査も含む遺跡全体の登録情報です。史跡の一部は板橋区登録記念物でもあり、「茂呂遺跡(B地点・C地点)出土旧石器時代遺物」は区の登録有形文化財(考古資料)に含まれています。東京都指定史跡としての土地の保護と、出土品の保存・登録は区別されます。
特別公開で確認したい3つの場所
栗原新道の切り通し:石器の発見につながった道路の地形です。切り通しで地層が露出したことが、1951年の発掘調査へ結び付きました。実際にどの位置を見学できるかは当日の案内に従ってください。
石神井川と台地の高低差:遺跡は川の南岸の高台に位置します。現在の川と道路、台地の関係を見比べると、発掘写真に写る地形の特徴を確かめやすくなります。
史跡の標柱・解説板と保存区域:地表から見える史跡の表示と、地中に残る考古資料は別のものです。石器がどのような地層から出たのかは、ガイドの解説や1951年の発掘記録と照らすと理解しやすくなります。
11月3日は栗原遺跡の特別公開も実施
茂呂遺跡と同じ城北中央公園には、旧石器時代から平安時代までの遺物が見つかった栗原遺跡もあります。2026年11月3日(火・祝)には、栗原遺跡の復元住居の特別公開(10時~15時)と、出土遺物展示(10時~16時)が予定されています。
栗原遺跡の復元住居の見学は予約制で、住居の建物内部には入れません。予約は城北中央公園サービスセンターの窓口または電話(03-3931-3650)で受け付けています。一方、栗原遺跡の出土遺物展示は予約不要です。茂呂遺跡の見学も予約不要ですが、3つの催しは見学条件が異なるため、東京都公園協会の開催案内でそれぞれの受付を確認してください。
主な参考資料・公式情報
- 板橋区「いたばし文化財ふれあいウィーク2026」(2026年10月15日更新)
- 板橋区「広報いたばし」2026年10月10日号(雨天時の注意事項)
- 東京都公園協会・城北中央公園「古代フェスティバル」(2026年10月10日発表)
- 板橋区「時代を紡ぐ―茂呂遺跡発掘調査から60周年」(発見・発掘の経過と写真)
- 明治大学博物館「考古部門」(旧石器研究と編年)
- 明治大学博物館「ナイフ形石器」(標式資料・推定年代・石材)
- 奈良文化財研究所・文化財総覧「茂呂遺跡」(史跡指定年月日と調査文献)
- 小金井市「指定文化財一覧表」(茂呂遺跡出土石器「ローム層標本」の指定)
- 全国こども考古学教室「茂呂遺跡」(石器の種類と収蔵先)
- 小田静夫「世界最古の磨製石斧と栗原遺跡」『多摩考古』第47号(2017年)(茂呂・栗原遺跡の発見と研究者の動向)
- 杉原荘介・吉田格・芹沢長介「東京都茂呂における関東ローム層中の石器文化」『駿台史学』第9号(1959年)84~104頁(明治大学の総目次による書誌情報)
- 板橋区教育委員会『茂呂遺跡B地点発掘調査報告書』文化財シリーズ第42集(1982年)(CiNii Books書誌情報)
- 板橋区教育委員会『茂呂遺跡C地点確認調査報告』文化財シリーズ第49集(1986年)(CiNii Books書誌情報)
公開情報の確認日:2026年10月16日。公開日程・入場方法は主催者の発表により変更される場合があります。
