お台場から浅草へ歴史クルーズ|東京港・竹芝・隅田川を船でたどる

東京水辺ラインで巡る浅草・お台場クルーズのアイキャッチ

2023年9月17日、45人でお台場から船に乗り、竹芝を経て浅草まで東京の水辺を巡りました。東京港を横切って隅田川をさかのぼる航路には、幕末の海防、近代港湾の建設、江戸の舟運、関東大震災後の復興橋梁が連なります。

お台場から浅草へ――45人で水上から東京を巡る

開催は2023年9月17日10時。参加者45人でお台場から乗船しました。陸上では離れて見える史跡や街も、船上から眺めると東京が海と川によって発展した都市であることがよく分かります。

お台場でクルーズ船に乗船する参加者の様子
2023年9月17日、お台場からクルーズ船へ乗船する参加者の様子。

東京水辺ライン「こすもす」――隅田川と東京湾を結ぶ水上バス

この日に乗船したのは、東京水辺ラインの水上バス「こすもす」です。東京水辺ラインは、東京都建設局が所有する水上バスを公益財団法人東京都公園協会が運航する事業で、通常時は隅田川、荒川、東京湾の臨海部などを結んでいました。

「こすもす」は旅客定員200人、76総トン。東京水辺ラインの「あじさい」「さくら」が140人乗りだったのに対し、3隻の中では最も定員の大きい船でした。船内には大きな窓のある客室があり、上部デッキからは360度に近い視界で水辺の景色を眺められます。45人で参加した今回のクルーズでも、船内とデッキを行き来しながら、お台場から竹芝、隅田川へと変わる景色を楽しみました。

東京水辺ラインの船には、観光・水上交通に加えて防災船としての役割があります。大規模災害で道路や橋が使いにくくなった際には、東京都の地域防災計画に基づき、救援物資、医療救護班、患者、帰宅困難者などを水上から輸送する想定です。「こすもす」もその一隻として運用されていました。

2026年8月27日現在、東京水辺ラインは運航を休止しています。「あじさい」「さくら」「こすもす」の老朽化に伴う廃船のため、2026年1月18日で従来船による運航を終え、1月19日から休止となりました。公式サイトでは新たな船舶を活用し、2026年夏頃の再開を目指すと案内しています。最新の運航状況は東京水辺ライン公式サイトで確認できます。

東京水辺ラインの船内で過ごす参加者の様子
東京水辺ラインの船内。大きな窓から水辺の景色を眺められます。
東京水辺ラインの船内後方デッキ付近の様子
船内後方のオープンスペース。移動中も水辺の景色を間近に楽しめました。

お台場という名前の始まり――ペリー来航と品川台場

嘉永6年(1853)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが浦賀に来航しました。江戸幕府は江戸湾の防備を急ぎ、品川沖に砲台を築き始めます。これが品川台場しながわだいばです。

計画された台場は11基でしたが、完成したのは第一・第二・第三・第五・第六台場と御殿山下台場でした。現在は第三台場と第六台場が国の史跡として残っています。第三台場は台場公園として陸続きになり、石垣や土塁などを見られます。

観光地として定着した「お台場」という呼び名は、この幕末の海防施設に由来します。現在の高層ビルやレインボーブリッジの近くに、江戸が外国船に備えた海上要塞の跡が残っています。

屋上デッキから東京湾岸を眺める参加者の様子
屋上デッキから東京湾岸の景色を眺める参加者の様子。

江戸湊から東京港へ――海を埋め立てて広がった東京

江戸には全国から米、酒、塩、材木など大量の物資が船で運び込まれました。その海上物流を受け止めたのが江戸湊えどみなとです。隅田川河口から日本橋川などの水路へ荷を運び、巨大都市の暮らしを支えました。

明治39年(1906)から隅田川口改良工事が進められ、浚渫で生じた土砂は月島や芝浦などの埋立にも利用されました。大正14年(1925)に日の出ふ頭、昭和7年(1932)に芝浦ふ頭、昭和9年(1934)に竹芝ふ頭が完成し、昭和16年(1941)に東京港が開港しました。

レインボーブリッジ――船上から見上げる東京湾岸の大橋

平成5年(1993)に開通したレインボーブリッジは、芝浦と台場を結ぶ吊橋です。上層には首都高速11号台場線、下層には一般道路と新交通ゆりかもめが通り、歩道も設けられています。

屋上デッキから望むレインボーブリッジ
屋上デッキから望むレインボーブリッジ。船上ならではの視点で橋全体を見渡せます。

幕末に外国船への備えとして築かれた品川台場と、臨海副都心への交通を担う現代の大橋が同じ水域に並びます。海防から港湾・都市交通へ、東京湾岸の役割が変化した歴史を一望できます。

ウォーターズ竹芝――東京湾から隅田川へ

クルーズでは竹芝に立ち寄りました。昭和9年(1934)に完成した竹芝ふ頭は、現在も伊豆諸島や小笠原諸島への定期航路が発着する海の玄関口です。

ウォーターズ竹芝の船着場に到着したクルーズ船
ウォーターズ竹芝の船着場。東京湾岸の水上交通の拠点の一つです。

竹芝周辺は、物流を担う港湾施設から客船ターミナルや業務・商業施設が集まるウォーターフロントへ姿を変えました。ここから航路は隅田川へ向かいます。

隅田川――江戸を支えた水上交通の大動脈

東京港から隅田川へ入ると、景色は港湾から川沿いの市街地へ変わります。江戸では水運が都市物流の中心を担い、隅田川とそこにつながる日本橋川、小名木川などを通って大量の物資が市中へ運ばれました。

屋上デッキから隅田川を進む参加者の様子
屋上デッキから隅田川沿いの景色を眺める参加者の様子。

河岸には蔵や問屋が並び、船着場には荷を積んだ船が集まりました。道路輸送が発達する以前、川は江戸の生活を支える交通路でした。今回の航路も、かつて商船や荷船が行き交った水上の道をたどります。

勝鬨橋――大型船を通すため中央が開いた橋

昭和15年(1940)に完成した勝鬨橋かちどきばしは、中央部が左右に開く跳開橋です。隅田川を航行する大型船と陸上交通を両立させるため、中央径間を約70度まで開く構造が採用されました。

交通量の増加などから昭和45年(1970)を最後に開閉を停止しました。現在は国の重要文化財です。水面から見上げると、船を通すために造られた橋の大きさを実感できます。

永代橋――江戸の大橋から震災復興橋梁へ

永代橋えいたいばしは元禄11年(1698)に隅田川へ架けられ、江戸の市街地と深川方面を結びました。現在の橋は関東大震災後の復興事業で大正15年(1926)に完成した鋼製アーチ橋です。

震災後の東京では、隅田川に耐震性と都市景観を意識した新しい橋が次々と架けられました。永代橋はその代表的な橋梁として国の重要文化財に指定されています。

清洲橋――復興東京を象徴する吊橋

昭和3年(1928)に完成した清洲橋きよすばしも、関東大震災後の復興事業で架けられました。永代橋と対になる存在として計画された吊橋で、現在は国の重要文化財です。

清洲橋の上流では、江戸初期に開削された小名木川おなぎがわが隅田川につながります。行徳の塩などを江戸へ運ぶ重要な水路で、深川の発展にも大きな役割を果たしました。

浅草へ到着――海防・港・水運を一本の航路でたどる

隅田川を北上して浅草へ到着しました。浅草寺せんそうじの門前町として発展した浅草は、江戸時代から多くの参詣者を集め、隅田川沿いでは舟遊びや花見も盛んでした。

お台場から浅草までのクルーズでは、幕末の品川台場、近代東京港、竹芝、隅田川の水運、震災復興橋梁を水上からたどりました。45人で船内とデッキを行き来しながら、東京の街をつくった海と川を体感する一日となりました。

隅田川から東側へ延びた江戸の水路については、岩本町から浜町川の暗渠を歩いた記事でも、秋葉原貨物駅の船溜から浜町川へ続く物流の歴史を紹介しています。

開催概要

  • 開催日時:2023年9月17日 10:00
  • 参加人数:45人
  • コース:お台場から竹芝を経て浅草へ

主な参考資料