志村・大野家文書の歴史|1685年の年貢割付状と名主が残した村政記録

板橋区志村には、江戸時代の村役人を務めた大野家に伝わる文書があります。「大野幸雄家文書」には貞享2年(1685)の年貢割付状をはじめとする土地関係の記録が残り、別の「大野和夫家文書」には領主の支配や鷹場に関する資料が保存されています。いずれも志村地域の村政と暮らしを考えるための古文書です。

堀之内村の名主・組頭を務めた大野家

江戸時代の志村周辺は、複数の村に分かれていました。大野幸雄家は代々「武兵衛」を称し、志村の堀之内村で名主、組頭、百姓代などの村役を務めました。村役人は年貢の取りまとめや土地の管理、領主からの命令の伝達などを担っていました。

名主の家に保管された文書は、個人の暮らしだけを記録したものではなく、村全体の行政に関わる資料を多く含みます。村の仕事を引き継ぐために残された書類が、数百年後の地域史研究の基礎になっています。

1685年の年貢割付状と土地の記録

大野幸雄家文書の古い資料には、貞享2年(1685)の年貢割付状があります。年貢割付状は、領主側が村に納めるよう命じた年貢の量や内訳を記した文書です。田畑の広さや収穫の見積もりを踏まえて、村が負担する額が示されました。

文書群は明治時代までの土地関係文書を多く含みます。名主が年貢や村の土地を扱ってきたことが分かる一方、明治以降に土地所有や行政制度が変わった過程も検討できます。大野幸雄家の敷地には、改築を受けながら長屋門が残されていると文化財マップに記されています。私有地のため、内部見学はできません。

大野和夫家文書に残る領主と鷹場

別の大野和夫家は、志村の名主で「藤左衛門」を世襲名とした家です。その文書には、江戸時代前期に板倉氏が領主だった時代の検地帳や、尾張藩の鷹場に関する史料が含まれます。

鷹場は大名や将軍が鷹狩をする場所で、周辺の村々にも土地の利用や人手の負担に関わる取り決めがありました。鷹場関係の文書を読むと、農村が年貢を納めるだけでなく、江戸の武家社会の活動を支えていたことが分かります。

志村の村政から近代の役場へ

明治22年(1889)の町村制施行で志村が成立すると、従来の村々は近代的な自治体の仕組みに組み込まれました。役場は初め延命寺に置かれ、明治36年(1903)の火災を経て、大正2年(1913)に現在の志村二丁目へ移りました。名主の時代から役場の時代への変化は、旧志村役場跡地の歴史で詳しく紹介しています。

非公開の文書と研究資料の利用

大野幸雄家文書は志村二丁目に伝わる個人所蔵の古文書で、一般公開の施設に展示されている資料ではありません。大野和夫家文書の一部は板橋区立郷土資料館で管理されています。板橋区公文書館には区史編さん時に収集した複製史料もあり、史料の閲覧には所蔵者の承諾が必要な場合があります。

志村城跡や中山道の歴史も含めた地域の変化については、志村・小豆沢周辺の歴史と文化財で紹介しています。

参考資料