中台馬場崎貝塚の歴史|5500年前の貝塚と若木三丁目貝塚公園

板橋区若木三丁目の中台馬場崎貝塚(なかだいばばさきかいづか)は、縄文時代前期の貝塚と住居跡が発見された遺跡です。昭和42年(1967)の発掘では約5500年前の貝殻の堆積と土器・石器などが見つかり、昭和55年(1980)にも確認調査が行われました。現在、遺跡の一部は区立若木三丁目貝塚公園として保存されています。

若木の台地に残る縄文時代の貝塚

中台馬場崎貝塚は、荒川沿いの低地を望む武蔵野台地の縁にあります。貝塚とは、貝殻や魚・獣の骨、土器などがまとまって残る場所で、食生活や周辺の自然環境を調べる手がかりとなります。遺跡は明治時代から知られ、研究者による調査が重ねられてきました。

現代の若木周辺は内陸の住宅地ですが、縄文時代前期には海水面が現在より高い時期がありました。海が河川の低地へ入り込んだ「縄文海進」によって、東京湾につながる河口や入り江の環境が現在より内陸まで広がっていました。

1967年の発掘とヤマトシジミ

昭和42年(1967)の発掘調査では、縄文時代前期の住居跡と貝殻の堆積が確認されました。貝には河口付近の汽水域で採れるヤマトシジミが多く含まれ、ハマグリやマガキなども見つかりました。貝の種類は、当時の人々が利用した水辺の環境を知る資料になります。

調査では土器や石器も出土しました。土器は食べ物の煮炊きや保存などに使われ、石斧などの石器は木材加工をはじめとする生活の仕事に関わります。住居跡と貝塚が近接していたことから、台地上で暮らした人々が周辺の水域の資源を利用していた様子を調べられます。

1980年の確認調査と各時代の遺構

昭和55年(1980)、板橋区が遺跡の残存状況を確認するために調査を行いました。縄文時代早期の炉穴や別の時期の住居跡が見つかり、この台地が長い期間にわたって利用されていたことが分かりました。令和7年度版の板橋区文化財マップでは、縄文時代から平安時代までの遺構・遺物が発見されたと紹介されています。

縄文時代の早期・前期・後期など、異なる年代の資料が同じ遺跡から出土しています。貝塚が形成された時期と、後に土地が利用された時期を区別することが、地域の暮らしの変化を調べるうえで必要になります。

若木三丁目貝塚公園としての保存

調査を経て遺跡の保存が図られ、平成2年(1990)に「若木三丁目貝塚公園」が整備されました。公園内の遺跡部分は平成5年度(1993年度)に板橋区登録記念物(史跡・遺跡)となりました。発掘後の遺構は保護のために埋め戻されており、公園では案内板などからその歴史を知ることができます。

所在地は板橋区若木3丁目4番付近です。近くには若木稲荷神社があり、明治時代の農作業を描いた「四季農耕図」絵馬とあわせて、縄文時代から近代までの地域の暮らしをたどれます。周辺の考古資料は、常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財でも紹介しています。

参考資料