中台畠中遺跡の歴史|1988年の発掘と平安時代の馬具・鉄鏃

板橋区中台二丁目の中台畠中遺跡(なかだいはたなかいせき)は、旧石器時代から平安時代まで、さまざまな時代の遺構・遺物が見つかった場所です。昭和63年(1988)から平成元年(1989)にかけて、社員寮の建設に先立つ発掘調査が行われました。特に平安時代の鉄製馬具や鉄鏃(てつぞく)は、古代の武器や馬の利用を調べるうえで注目されています。

中台二丁目の住宅地に広がる遺跡

遺跡の所在地は板橋区中台2丁目43番付近です。台地に住宅地が広がる現在の中台では、建設工事の前に地下に残る遺構を調べる発掘調査が行われてきました。1988~1989年の調査では、旧石器時代から平安時代までの人々の活動を伝える資料が多数確認されました。

古い地層から見つかる石器と、後の時代の土器や建物跡は、同じ土地が異なる時期に利用されていたことを伝えます。調査地点が住宅地に含まれるため、見つかった遺構の多くは現地で公開される遺跡公園の形にはなっていません。

平安時代の鉄製馬具と鉄鏃

中台畠中遺跡で注目されるのは、平安時代の鉄製馬具と鉄鏃です。馬具は馬に乗ったり馬を扱ったりするための道具で、鉄鏃は矢の先端に取り付ける鉄製の部品です。これらが出土したことは、当時この地域で馬具や鉄製の矢じりが使われていた可能性を考える資料となります。

平安時代には地方社会の有力者が武装し、やがて武士と呼ばれる人々が歴史に姿を現しました。板橋区の文化財マップは、中台畠中遺跡の馬具と鉄鏃を武士の発生を考えるうえで重要な遺物として紹介しています。ただし、出土した道具だけで、それを所有していた個人の身分や職業を確定できるわけではなく、ほかの遺構や同時代の資料とあわせて研究されます。

発掘調査報告書に残された記録

最初の大規模調査の成果は、平成12年(2000)刊行の『東京都板橋区中台畠中遺跡発掘調査報告書』にまとめられました。平成20年(2008)には中台二丁目42番地点の第2地点の発掘調査報告書も刊行されています。調査地点ごとの遺物や地層の記録を保存することで、建物が新しく建てられた後も、その土地に残されていた過去を調べられます。

中台・前野・西台の遺跡と比べる

中台から前野・西台にかけての地域では、縄文・弥生・古墳時代の住居跡や土器、旧石器時代の石器などが発見されています。中台畠中遺跡は、とりわけ平安時代の鉄製品が重要な特徴です。西台後藤田遺跡では旧石器時代の文化層が、前野兎谷遺跡では古墳時代前期の住居跡と土器が注目されます。

中台周辺の寺院や住宅地も含めた歴史は、常盤台・前野・西台周辺の歴史と文化財で紹介しています。

参考資料