2025年7月、エア・ウォーターの連結子会社・日本ヘリウムで、帳簿上は存在するのに実際には存在しない在庫が見つかりました。最初に会社が把握した影響額は、他の3案件を含めて約25億円でした。
調査が広がると、在庫の過大計上、評価損の先送り、売上の先行・過大計上、引当金の計上回避、費用の資産計上、工事原価の操作などが複数の子会社・事業で見つかりました。さらに、内部監査、会計監査人への説明、特別調査委員会への資料提出まで問題が広がります。
2026年4月30日、東京証券取引所はエア・ウォーター株を5月1日付で特別注意銘柄に指定し、上場契約違約金9,120万円を徴求しました。問題の中心にあったのは、会計処理の個別ミスではなく、業績目標を最優先する企業文化、M&Aで拡大したグループを支える管理機能の弱さ、経営トップを止める牽制機能の不足でした。
不正会計の基本的な手口と監査・内部統制の役割は「不正会計はなぜ繰り返される?」、経営トップの業績プレッシャーと会計処理の関係は「東芝の不正会計問題とは?」で詳しく扱っています。
- 約25億円の在庫問題から始まった
- 日本ヘリウム|存在しない在庫を資産として残す
- エコロッカ|約4.8億円の損失を5年に分ける計画
- メカトロニクス|在庫・賞与・売上を三方向から動かす
- プラントガス部|「目立つ金額」を分けて処理する
- エア・ウォーター防災|費用を仕掛品へ移す「M番号」
- 特別調査委員会への虚偽説明・資料改ざん
- 日本海水|追加調査で売上・費用・資産計上へ拡大
- 「売上1兆円」はなぜ重要だった?
- M&A261社と連結経理6人|拡大に管理が追いつかなかった
- なぜ取締役会・経理・内部監査は止められなかった?
- J-SOXはなぜ「有効」から訂正された?
- あずさ監査法人はどう扱われた?
- 東証はなぜ特別注意銘柄に指定した?
- 2026年9月現在、会社はどこまで変わった?
- 東芝・カネボウと比べると何が違う?
- 参考文献
約25億円の在庫問題から始まった
発端は2025年7月の日本ヘリウムです。自主点検で在庫管理に問題が見つかり、その後、エア・ウォーター・エコロッカ、エア・ウォーター・メカトロニクス、本体のプラントガス部へ調査対象が広がりました。
2025年10月時点で会社が把握していた影響額は、日本ヘリウム約19.0億円、エコロッカ約4.5億円、メカトロニクス約1.0億円、プラントガス部約0.2億円で、合計約25億円でした。同月、外部専門家による特別調査委員会が設置されます。
その後の調査では、当初の4案件を超えてエア・ウォーター防災、日本海水などでも不適切な会計処理が確認されました。調査範囲の拡大によって、個別子会社の在庫問題からグループ全体の内部管理問題へ性格が変わっていきました。
日本ヘリウム|存在しない在庫を資産として残す
日本ヘリウムでは、2019年度ごろから実際には失われたヘリウム原料について損失を計上せず、未返却容器に残っているような形で帳簿上の在庫が残されていました。
2025年7月に容器を実測した結果、帳簿上存在するヘリウム原料の半分以上が実在しない状態だったと特別調査委員会は認定しました。2025年9月末までに、累計約20億円の在庫減耗損失が計上されています。
会計上の作用は単純です。存在しない在庫を資産として残せば、在庫減耗損が損益計算書に出ず、資産と利益が実態より大きく見えます。
2025年3月には、未処理の損失が子会社社長やエア・ウォーター側の上位管理者へ伝わりました。それでも損失を一括計上せず、翌期以降へ分散する方向が採られました。問題は現場担当者だけで完結していませんでした。
エコロッカ|約4.8億円の損失を5年に分ける計画
エア・ウォーター・エコロッカでは、在庫入力ミス、在庫単価の調整、滞留在庫の評価減不足、本来費用となる支出の資産計上などが重なりました。
2024年には約5億円規模の在庫差異が認識され、一括処理案も検討されました。特別調査委員会によると、上位経営層から一括損失計上に否定的な反応があり、約4.8億円を2026年度から2030年度まで5年間に分けて処理する計画が作られました。
2025年の内部監査でも、監査部門の責任者が一括処理以外の方法を提案し、会計監査人に問題を発見されにくくすることを意識した対応が調査報告書に記録されています。社内の第3線にあたる内部監査まで、適正な会計処理を促す機能を十分に果たせませんでした。
メカトロニクス|在庫・賞与・売上を三方向から動かす
エア・ウォーター・メカトロニクスでは、滞留在庫の評価減、賞与引当、売上計上時期が問題となりました。
滞留在庫について約1億円の評価減が提案された際には、予算目標への影響を理由に処理が先送りされました。2024年上期には、業績目標達成のため賞与関連費用を翌期へ送る対応も行われ、対象4社で約8,600万円の費用が当期から外されました。
売上では、契約上必要な性能確認が完了していない設備を顧客と調整して検収済みとして扱い、売上を早期認識した案件が確認されています。
| 処理 | 数字への効果 |
|---|---|
| 在庫評価損を遅らせる | 損失を減らし、在庫資産を大きく見せる |
| 賞与費用を翌期へ送る | 当期費用を減らし、利益を大きく見せる |
| 売上を早く計上する | 将来の売上・利益を当期へ持ってくる |
プラントガス部|「目立つ金額」を分けて処理する
本体のプラントガス部では、使用できなくなった予備品約2,000万円を廃棄・評価減する必要がありました。
2023年11月に約2,000万円の廃棄申請が出されると、上位者から金額が目立つという趣旨の指示があり、約800万円だけ処理し、残り約1,200万円の損失が後へ送られました。
金額は他案件より小さい一方、適正な処理案がすでに示されていたのに、当期業績への見え方を理由に処理時期が変えられた点で、組織の判断基準が表れた事例です。
エア・ウォーター防災|費用を仕掛品へ移す「M番号」
エア・ウォーター防災では、2014年ごろから、本来当期費用となる製造関連費用を「M番号」と呼ばれる管理番号へ付け替え、仕掛品として資産に残す処理が行われました。
2018年度末の残高は約10.55億円、2020年3月時点でも約9.01億円が残っていました。本来1億円の費用を仕掛品という資産へ移せば、当期費用は1億円減り、利益と資産がその分だけ大きく見えます。
2020年には基幹システム更新によって不自然な処理が会計監査人に見える可能性が高まり、会社側では入力履歴を残さない方法など、問題を見えにくくする対応が検討されました。上位経営者へも情報が上がっています。
同社では工事の売上・利益を早期認識する処理も確認されました。2020年末には内部通報もありましたが、十分な形で会計監査人へ伝わらず、損失を徐々に処理する対応が続きました。
特別調査委員会への虚偽説明・資料改ざん
調査の過程では、会計処理そのものに加えて調査対応も問題となりました。特別調査委員会は、一部関係者による事実と異なる説明、納品書や注文書の作成・改変、データ改ざん、取引先から説明に合わせた資料を取得する行為などを認定しています。
2025年12月には社内リニエンシー制度が導入され、2026年3月20日までに875件の申請が寄せられました。調査が進むにつれ、会計処理だけでなく、問題を報告・検証する仕組みそのものの弱さが明らかになりました。
日本海水|追加調査で売上・費用・資産計上へ拡大
2026年6月には日本海水に関する追加調査報告書が公表されました。決算期末の商品押し込みと翌期の買い戻し、代理人的な取引の総額売上計上、修繕費や人件費の固定資産への振替などが問題となりました。
電力関連の一部取引では、会社が在庫リスクや価格決定権を負わない代理人的な立場だったのに総額で売上を計上し、累計約20.56億円について売上と売上原価をともに過大計上していました。
追加調査では、意図的な損益調整と会計判断の誤りが区別されています。エア・ウォーターの全案件を一括して同じ性質の「粉飾」と扱うと、調査報告書が認定した違いを失います。
「売上1兆円」はなぜ重要だった?
エア・ウォーターは2010年度から長期成長ビジョンで売上1兆円を掲げ、M&Aを活用しながら産業ガスから医療、農業・食品、エネルギー、物流などへ事業領域を広げました。
特別調査委員会は、2023年3月期に連結売上1兆円が事実上の必達目標として認識されていたと分析しています。2023年2月末、年度末まで約1か月という段階でも、1兆円を割らないための売上積み上げが強く求められました。
会社は2023年5月、売上収益1兆49億円を達成したと発表しました。ところが2026年の過年度訂正後、2023年3月期の売上収益は約9,540億円となり、1兆円を下回りました。営業利益も約622億円から約227億円、親会社株主に帰属する利益も約401億円から約93億円へ大きく修正されています。
| 2023年3月期 | 訂正前 | 訂正後 |
|---|---|---|
| 売上収益 | 約1兆49億円 | 約9,540億円 |
| 営業利益 | 約622億円 | 約227億円 |
| 親会社株主に帰属する利益 | 約401億円 | 約93億円 |
売上目標そのものが会計不正を生むのではなく、未達を許容しない組織運営と、会計・内部統制を独立して守る機能の弱さが組み合わさったことが問題でした。
M&A261社と連結経理6人|拡大に管理が追いつかなかった
2025年3月時点で、エア・ウォーターの国内外の関係会社は261社に達していました。特別調査委員会は、それに対して本社の連結決算を担う担当者が6人だったことを指摘しています。
買収先の自主性を重視する運営の中で、PMI、グループ経理、内部監査、子会社から親会社への報告経路が十分に整備されませんでした。グループ企業が増えるほど、異なるシステム、商慣行、人事制度を統一的に監督する負荷も増えます。
2026年3月末でもグループ会社は262社、連結子会社206社、連結従業員は2万1,824人に上ります。M&Aによる成長に管理部門の人員・権限・情報システムをどう追いつかせるかが、再発防止の中心課題となりました。
なぜ取締役会・経理・内部監査は止められなかった?
| 機能 | 問題となった点 |
|---|---|
| 取締役会 | 業績・M&Aに比べ、コンプライアンスと内部統制リスクの議論が弱かった |
| 経理・管理部門 | グループ拡大に対して人員・権限・会計知識が不足 |
| 内部監査 | 多数の子会社を十分な頻度・深度で監査できず、一部案件では不適切処理を是正できなかった |
| 子会社管理 | 買収後のPMIや親会社への報告経路が弱かった |
会社自身も、業績目標の達成を最優先とする企業文化、トップダウン型の組織マネジメント、経理・管理機能と内部統制システムの実効性不足、会計リテラシーと倫理意識の不足を主な原因として整理しています。
J-SOXはなぜ「有効」から訂正された?
エア・ウォーターは過去の内部統制報告書で、財務報告に係る内部統制を有効と評価していました。調査結果を受け、2021年3月期から2025年3月期までの内部統制報告書を訂正し、会社全体の統制、決算・財務報告プロセス、業務プロセスなどに開示すべき重要な不備があったと評価を改めました。
2026年7月31日時点でも、再発防止策の運用実績が十分に積み上がっていないとして、重要な不備の是正完了には至っていません。制度上の評価手続が存在していても、経営者による統制の無効化や情報隠蔽、内部監査の機能不全が重なると、内部統制評価そのものが誤ることがあります。
J-SOXの仕組みと限界は「不正会計はなぜ繰り返される?」で詳しく解説しています。
あずさ監査法人はどう扱われた?
エア・ウォーターの会計監査人は有限責任 あずさ監査法人です。特別調査委員会は、会社側による会計監査人への虚偽説明や、監査で問題を発見されにくくする対応を認定しています。
2026年3月期の連結財務諸表について、あずさ監査法人は限定付適正意見を出しました。エア・ウォーター防災などで、過年度の売上・原価計上時期を裏付ける十分かつ適切な監査証拠を取得できない部分が残ったためです。
現時点で、あずさ監査法人が不適切会計へ共謀したという公的認定は公表されていません。担当会計士の故意による虚偽証明が認定されたカネボウ事件とは監査上の性格が異なります。カネボウと中央青山監査法人の関係は「カネボウ粉飾決算事件とは?」で詳しく扱っています。
東証はなぜ特別注意銘柄に指定した?
東京証券取引所は2026年4月30日、エア・ウォーター株式を5月1日付で特別注意銘柄に指定し、上場契約違約金9,120万円を徴求しました。
東証は、在庫の過大計上・評価損の先送り、売上の過大・先行計上、引当金の計上回避、資産性のない支出の資産計上に加え、経営トップを含む一部経営陣の関与、取締役会・管理部門・内部監査の牽制不足、M&A後のグループ管理、監査法人や特別調査委員会への虚偽説明・資料改ざんなどを問題として挙げました。
2026年9月8日現在、特別注意銘柄の指定は続いており、東証の審査状況は「改善中」です。
2026年9月現在、会社はどこまで変わった?
エア・ウォーターは再発防止策を、企業風土改革、ガバナンス改革、経営管理基盤・内部統制の再構築、事業ポートフォリオ見直しの4本柱で進めています。
2026年6月には責任調査委員会を設置し、2020年度から2025年度上期までの現旧取締役・監査役らについて、善管注意義務を含む法的責任の調査を開始しました。9月8日時点で最終結果は公表されていません。
9月22日には臨時株主総会が予定され、監査等委員会設置会社への移行、取締役選任、報酬制度変更などが議案となっています。現時点では移行前です。
会社は経営改革を進めていますが、内部統制の重要な不備と東証の特別注意銘柄指定はいずれも2026年9月8日時点で継続しています。
東芝・カネボウと比べると何が違う?
| 事件 | 中心となった問題 |
|---|---|
| カネボウ | 担当会計士の故意による虚偽証明まで認定され、監査人自身の独立性が崩壊 |
| 東芝 | 「チャレンジ」と複数事業での損失先送り・利益前倒し、取締役会・監査の牽制不足 |
| エア・ウォーター | 売上1兆円への業績プレッシャー、M&A後のグループ管理、第3線の内部監査まで含む統制不全 |
1990年代以降の金融・会計不祥事を時系列で確認する場合は「バブル崩壊後の金融・会計不祥事史」で扱っています。

