国立西洋美術館の所蔵絵画には、旧約聖書のアブラハムとイサク、新約聖書のキリストの受難、聖母や聖人の伝承、ギリシャ・ローマ神話を題材とした作品があります。登場人物の持物や身振り、周囲の風景は、物語の場面を見分ける手がかりです。所蔵作品の展示状況は時期によって変わります。
画題の目次
旧約聖書(6画題) | 新約聖書と関連図像(19画題) | 聖母・聖人とキリスト教伝承(23画題) | ギリシャ・ローマ神話と寓意(10画題)
旧約聖書:アブラハムとイサク/バラムとロバ/ロトの脱出/ダヴィデとゴリアテ/スザンナ/ユディト
新約聖書:聖母の訪問/キリスト降誕/羊飼いの礼拝/東方のマギ/エジプト逃避/最後の晩餐/ゲッセマネ/捕縛/荊冠/十字架を運ぶ/磔刑/哀悼/埋葬/サロメと牢獄/ヨハネの首とサロメ/ペテロの解放/ミカエルと龍/昇天/キリスト像
キリスト教伝承:聖母子/聖母子と幼児ヨハネ/聖母子と諸聖人/聖家族/悲しみの聖母/聖母の教育/聖母被昇天/小道の聖母/ピエタ/聖三位一体/聖トマス/聖ヒエロニムス/聖カタリナ/神秘の結婚/聖ニコラウスと諸聖人/聖ペテロの伝承/聖ヴェロニカ/聖フスタとルフィーナ/聖ヤコブ伝/聖ステパノ伝/マグダラのマリア/聖アウグスティヌス/聖アントニウスの誘惑
神話・寓意:ヘラクレスとオンファレ/ディアナとアクタイオン/ヴィーナスとキューピッド/ヴィーナスとウルカヌス/パリスの審判/アエネアスの武具/ヴィーナスによる顕彰/サテュロスとニンフ/ニンフの風景/神々の会議
旧約聖書に由来する6画題
1.アブラハムとイサク
アブラハムは神から、待ち望んで得た息子イサクをささげるよう命じられます。父子は山に登り、イサクは薪を背負います。アブラハムが刃物を取ると天使が止め、茂みにいた雄羊が身代わりになります。年配の父、若い息子、薪、ロバ、天使、雄羊が見分ける手がかりです。旅の途中だけを描く作品もあります。典拠は『創世記』22章です。
2.バラムとロバ
モアブ王バラクから呼ばれたバラムはロバに乗って旅をします。途中、剣を持つ天使が道に立ちふさがりますが、天使を見たのはロバだけでした。ロバは道をそれ、石垣に身を寄せ、最後は座り込みます。理由のわからない主人は、三度ロバを打ちます。やがて神がバラムの目を開き、天使の存在を知ります。ロバに乗る男、杖や鞭、剣を持つ天使が目印です。『民数記』22章。
3.ロトのソドム脱出
ソドムの町に住むロトは、町が滅ぼされる前に天使から逃げるよう促されます。妻と二人の娘を連れて脱出しますが、妻は振り返って塩の柱になります。絵画では天使が家族の手を取り、遠景に燃える町が描かれることがあります。荷物を抱えた家族と炎、白い柱が物語を示します。『創世記』19章。
4.ダヴィデとゴリアテ
羊飼いの少年ダヴィデは、イスラエル軍を挑発するペリシテ人の戦士ゴリアテに挑みます。鎧を着けず、投石器で放った石を額に当てて倒し、相手の剣で首を切り落としました。若者、投石器、大剣、巨大な頭部が目印です。勝利後に頭を持つ構図では、戦いそのものが省かれることもあります。『サムエル記上』17章。
5.スザンナと二人の長老
庭で水浴しようとしたスザンナは二人の長老から脅されます。要求を拒むと、長老たちは彼女が密会していたと偽証します。若いダニエルが二人を別々に尋問して証言の矛盾を暴き、スザンナの無実が明らかになります。庭で女性に近づく老人たち、あるいは裁判の群衆とダニエルが描かれます。カトリックの『ダニエル書』13章にある物語です。
6.ユディトとホロフェルネス
敵軍に包囲された町を救うため、寡婦ユディトは侍女と敵陣へ向かいます。将軍ホロフェルネスが宴席で酔って眠ると、その剣で首を切り落とし、袋に入れて町へ持ち帰ります。剣を持つ女性、切り取られた頭、侍女、寝台が画題の目印です。斬首の瞬間と勝利後の姿がそれぞれ描かれます。『ユディト記』8~16章、特に13章。『ユディト記』はカトリックでは旧約聖書の第二正典、プロテスタントでは一般に外典として扱われます。
新約聖書と関連する19画題
7.聖母の訪問
イエスを身ごもったマリアは、親族エリサベトを訪ねます。エリサベトも高齢で子を宿しており、その子は後の洗礼者ヨハネです。マリアの挨拶に胎児が躍り、エリサベトは祝福の言葉を語ります。若いマリアと年配のエリサベトが抱き合う姿が典型的です。『ルカによる福音書』1章39~56節。
8.キリスト降誕
マリアとヨセフは住民登録のためベツレヘムへ向かい、そこでイエスが生まれます。マリアは幼子を布に包み、飼葉桶に寝かせました。幼子のそばで祈るマリア、見守るヨセフ、粗末な建物が見分ける手がかりです。牛やロバは後世の図像伝統による要素です。『ルカによる福音書』2章1~7節。
9.羊飼いの礼拝
夜に羊の群れを守っていた人々は天使から救い主の誕生を聞き、ベツレヘムへ急ぎます。飼葉桶に寝る幼子イエスを見つけ、喜びを人々に伝えました。杖、羊、質素な衣服をまとった訪問者が羊飼いです。豪華な贈り物を持つ東方のマギの礼拝とは登場人物が異なります。『ルカによる福音書』2章8~20節。
10.東方のマギの礼拝
東方から来たマギは星をたどって幼子イエスを訪れ、黄金・乳香・没薬をささげます。福音書は訪問者の人数や名前を記していませんが、三種類の贈り物にちなみ後世には「三博士」「三王」として表されました。冠や豪華な衣服、星、贈り物の器が手がかりです。『マタイによる福音書』2章1~12節。
11.エジプト逃避と旅の休息
ヘロデ王が幼子イエスの命を狙うと、ヨセフは夢で天使の警告を受け、マリアと幼子を連れてエジプトへ逃げます。聖書にあるのは出発と避難の経過です。木陰で家族が休息する場面は後世の伝承や美術で発達しました。母子、ヨセフ、ロバ、旅の荷物が代表的な図像です。『マタイによる福音書』2章13~23節。
12.最後の晩餐
イエスは逮捕前夜に十二使徒と食事を囲み、弟子の一人が自分を裏切ると告げます。パンを裂き、杯を分ける行為はキリスト教の聖餐と結びつきます。食卓の中央のイエス、左右に並ぶ弟子、パンと杯が目印です。ユダは財布や、食卓の手前に離れて置かれる姿で示されることがあります。マタイ26章、マルコ14章、ルカ22章、ヨハネ13章。
13.ゲッセマネの祈り
最後の晩餐のあと、イエスはオリーブ山で迫る苦難を前に祈ります。ペトロ、ヤコブ、ヨハネは眠り、イエスは神の意志に従うことを願います。ひざまずくイエス、眠る三人の弟子、苦難の象徴である杯、天使が画題を示します。遠方にユダの率いる捕縛隊が描かれる場合もあります。マタイ26章36~46節など。
14.キリスト捕縛とユダの接吻
ユダは接吻を合図に、武装した人々へイエスの所在を知らせます。イエスが捕らえられると弟子の一人が剣を抜き、大祭司の僕の耳を切り落とします。抱き寄せるユダ、イエス、松明や槍を持つ兵士、剣を振るう弟子が特徴です。『ヨハネによる福音書』は剣を抜いた人物をペトロと記します。マタイ26章47~56節ほか。
15.荊冠のキリスト
兵士たちはイエスを「ユダヤ人の王」として嘲り、茨で編んだ冠をかぶせ、紫や緋色の衣を着せます。葦の棒は王笏をまねた道具です。冠、赤紫の衣、傷、縛られた手が絵画の目印です。ピラトがイエスを人々の前に示す「エッケ・ホモ」と関連します。マタイ27章27~31節、ヨハネ19章1~5節。
16.十字架を運ぶキリスト
死刑を宣告されたイエスはゴルゴタへ向かいます。ヨハネ福音書では自ら十字架を運び、他の福音書ではキレネ人シモンが十字架を担わされます。茨の冠をかぶったイエス、大きな十字架、兵士、助ける男性が主要な要素です。顔を布で拭う聖ヴェロニカの場面は後世の伝承に由来します。ルカ23章26~32節ほか。
17.キリストの磔刑
イエスはゴルゴタで十字架につけられ、左右には別の二人が処刑されます。十字架の近くには聖母マリア、使徒ヨハネ、マグダラのマリア、兵士などが描かれます。三本の十字架、茨の冠、槍、海綿、足元の頭蓋骨が伝統的な要素です。人物の組み合わせは福音書と後世の図像伝統により異なります。マタイ27章、ヨハネ19章ほか。
18.キリスト哀悼
十字架から降ろされたイエスの亡骸を、母マリアや弟子たちが囲んで嘆く画題です。白い布に横たわるイエス、悲しむ女性、遺体を支える男性が目印です。母マリアが一人で遺体を膝に抱く「ピエタ」とは人物の構成が異なります。福音書の埋葬記事を基礎に、中世以降の信仰と美術で発達しました。
19.キリストの埋葬
アリマタヤのヨセフはピラトからイエスの遺体を引き取り、亜麻布で包んで墓に納めます。ヨハネ福音書には香料を持つニコデモも登場します。遺体を運ぶ人々、白布、石棺や洞窟状の墓、香料の壺が目印です。亡骸を囲んで悲しむ「哀悼」と、墓に向けて運ぶ「埋葬」は動作によって見分けます。ヨハネ19章38~42節ほか。
20.洗礼者ヨハネの牢獄とサロメ
洗礼者ヨハネは、ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻だったヘロディアを迎えたことを非難し、投獄されます。宴席で踊ったヘロディアの娘は、母に促されヨハネの首を求めました。福音書は娘を名づけておらず、「サロメ」の名は後世の歴史資料に由来します。牢獄や少女を主題とする絵には、聖書の物語を画家が独自に再構成した表現もあります。マルコ6章17~29節。
21.洗礼者ヨハネの首を持つサロメ
ヘロデは宴席での約束を守り、牢にいる洗礼者ヨハネを処刑させます。その首は盆に載せられて少女へ渡され、少女から母ヘロディアへ届けられます。美しく着飾った少女、盆に載った男性の頭、侍女や母親が目印です。斬首の現場を描く作品と、盆を持つ少女だけを描く作品があります。マルコ6章、マタイ14章。
22.聖ペテロの解放
使徒ペテロはヘロデ王によって牢に入れられます。夜、天使が光とともに現れてペテロを起こすと、鎖が外れ、門が開きます。ペテロは天使に従って牢の外へ出てから、それが現実の出来事だと気づきます。鎖につながれた老人、眠る番兵、輝く天使が目印です。『使徒言行録』12章1~11節。
23.聖ミカエルと龍
『ヨハネの黙示録』では、天でミカエルと天使たちが龍と戦い、龍は地上に投げ落とされます。龍は悪魔を象徴します。絵画では翼を広げ、鎧を着たミカエルが剣や槍で龍を踏みつける姿が多く見られます。天上での戦いを示すほか、悪に対する勝利の象徴でもあります。『ヨハネの黙示録』12章7~9節。
24.キリストの昇天
復活したイエスは弟子たちの前に現れ、やがて天へ上げられます。天を仰ぐ使徒たち、両手を挙げて上昇するキリスト、雲や天使が主要な図像です。イコンではキリストを囲む天上の円形の光、下に立つ聖母と使徒たちが描かれる場合があります。『ルカによる福音書』24章50~53節、『使徒言行録』1章6~11節。
25.単独のキリスト像
イエスの顔や胸像を中心に置く礼拝用の絵画は、特定の物語の瞬間を示す場合と、救い主そのものの姿を表す場合があります。十字を組み込んだ光輪、祝福の手、書物、茨の冠や傷が図像の手がかりです。穏やかな姿は教えや祝福を、血や傷のある姿は受難を強調することがあります。姿の意味は持物と制作された時代の図像伝統によって判断します。
聖母・聖人とキリスト教伝承の23画題
26.聖母子
母マリアが幼子イエスを抱く「聖母子」は、キリスト教美術の代表的な礼拝像です。母子が頬を寄せる姿、幼子を人々に示す姿、玉座の上に座る姿などがあります。マリアの青い衣、幼子の光輪、玉座や冠が目印です。母子像の多くは福音書の特定の出来事を再現するより、母と子の結びつきやキリストの神聖さを表します。
27.聖母子と幼児洗礼者ヨハネ
マリアと幼子イエスに、幼い洗礼者ヨハネを加えた画題です。ヨハネはイエスに祈る姿や、小さな十字架の杖を持つ姿で描かれます。年齢の近い二人の子供の関係を通して、のちにヨハネがイエスに洗礼を授ける出来事を思わせます。幼少時に二人が会ったことを詳しく語る場面は、後世の図像と伝承に由来します。
28.聖母子と諸聖人
玉座の聖母子を囲んで、さまざまな時代の聖人が集まる画題は「聖会話」と呼ばれることがあります。同じ時代に生きていない聖人が同じ空間に登場するのは、祈りや崇敬を表すためです。聖人は鍵、剣、書物、百合、殉教の棕櫚などの持物で識別できます。聖母子の左右にいる聖人の組み合わせは、作品の注文主や教会の信仰と結びつくことがあります。
29.聖家族
聖家族は幼子イエス、母マリア、養父ヨセフの三人を中心とした画題です。親族の幼いヨハネや聖人が加わる場合もあります。ヨセフは年配の男性として描かれることがあり、木工の道具や旅の杖が目印になる場合があります。家庭で過ごす静かな姿は、福音書の記述を基礎に後世の敬虔な生活像としても発達しました。
30.悲しみの聖母
「悲しみの聖母」は、息子イエスの受難を思って悲しむマリアの姿です。涙を浮かべ、胸に手を当てる女性として描かれ、心臓に剣が刺さる象徴表現もあります。老シメオンがマリアに苦しみを予告した『ルカによる福音書』2章35節が重要な背景です。磔刑場面のマリアと異なり、単独の祈りの画像にもなります。
31.聖母の教育
幼いマリアに母アンナが読み書きや信仰を教える姿が「聖母の教育」です。書物を開く母親と、それに目を向ける少女が典型的です。マリアの両親ヨアキムとアンナの名は、正典福音書ではなく『ヤコブ原福音書』などの後世の伝承に登場します。家庭の教育風景に信仰を重ねて描く画題です。
32.聖母被昇天
「聖母被昇天」は、地上の生涯を終えたマリアが天の栄光へ迎えられるというキリスト教の信仰を表します。マリアが天使に囲まれて上昇し、地上には驚く使徒たちや空の墓が描かれることがあります。正典福音書にこの場面の詳しい記述はなく、古代以来の伝承や教義を通じて発達した画題です。
33.小道の聖母と聖母に見立てた人物像
「聖母」の名を持つ近代絵画には、福音書の特定の場面を描く宗教画だけでなく、日常の女性や母性を聖母のイメージに重ねた象徴的な表現もあります。光輪やキリストの姿が描かれない場合、題名と画家の制作意図が解釈の手がかりです。聖母の称号があることと、聖書の物語をそのまま表すことは分けて考えられます。
34.ピエタ
ピエタは、十字架から降ろされた息子イエスの亡骸を、母マリアが抱きしめる姿です。マリアの膝に横たわるイエス、傷の残る手足、母の静かな悲しみが典型的です。福音書の埋葬記事に結びつく中世以来の信仰図像で、母子二人を中心に置く点が「キリスト哀悼」との代表的な違いです。
35.聖三位一体と寄進者
キリスト教の「三位一体」は、唯一の神が、父・子・聖霊という三つの位格において存在するという教義です。絵画では父なる神、十字架上のキリスト、鳩として表される聖霊が組み合わされます。近くにひざまずく人物は、祭壇画の制作を依頼した寄進者である場合があります。聖母や洗礼者ヨハネが祈る姿で添えられる構図もあります。
36.使徒聖トマス
トマスはイエスの十二使徒の一人です。復活したイエスが現れたという知らせを疑い、手と脇腹の傷を確かめたいと語ります。再びイエスが現れて傷を見るよう促すと、トマスは信仰を告白します。使徒の単独像では槍や大工の直角定規など、殉教伝承や後世の象徴物を持つことがあります。『ヨハネによる福音書』20章24~29節。
37.聖ヒエロニムス
ヒエロニムスは4~5世紀の聖書学者で、ラテン語聖書の翻訳・校訂に大きく関わりました。書斎で本を書く姿、荒野で祈る姿、赤い枢機卿風の衣をまとった姿が描かれます。書物、頭蓋骨、十字架、ライオンが代表的な持物です。ライオンの足から棘を抜いたという物語は後世の聖人伝に由来します。
38.アレクサンドリアの聖カタリナ
聖カタリナはアレクサンドリアの学識ある王女として語られる殉教聖人です。皇帝の命に従わず信仰を守り、拷問に使われる車輪が壊れたため、最後は剣で処刑されたと伝えられます。歯のついた車輪、剣、棕櫚の枝、冠や書物が目印です。生涯の細部は歴史上の事実として確定しておらず、聖人伝の伝承として受け継がれました。
39.聖カタリナの神秘の結婚
聖カタリナが幼子キリストから指輪を受け取る場面を「神秘の結婚」と呼びます。信仰によってキリストと結ばれることを表す伝承です。幼子イエス、聖母マリア、豪華な衣のカタリナ、指輪の受け渡しが見分ける手がかりです。ほかの聖人が同席する作品もあり、宗教的な結びつきを象徴する婚礼場面として描かれます。
40.聖ニコラウスと女性聖人たち
ミラの司教聖ニコラウスは貧しい人を助けた伝承で知られ、司教冠や三つの金の玉を持つ姿が見られます。聖カタリナは車輪や剣、聖ルキアは目を載せた皿、聖アポローニアは歯を抜く鉗子、聖マルゲリータは龍などで示されます。複数の聖人が並ぶ祭壇画では、互いに同じ物語を演じるのではなく、持物によって信仰の対象を見分けます。
41.聖ペテロと初期キリスト教徒の迫害
ペテロはイエスの十二使徒の一人で、初期キリスト教の指導者として重視されました。後世の伝承ではローマで殉教したとされます。鍵は天国の鍵を授けられた使徒の象徴です。古代競技場や殉教者を描く近代の歴史画には、ローマ帝国下での迫害を再現した想像的な表現もあります。誰が描かれているかは題名の帰属が未確定の場合もあります。
42.聖ヴェロニカ
聖ヴェロニカは十字架を運ぶイエスの顔を布で拭い、その布に顔が写ったという伝承の人物です。布を広げて正面にキリストの顔を示す女性の姿が代表的です。この出来事は正典の四福音書には詳しく記されず、受難をめぐる中世の信仰と「十字架の道行き」の中で広まりました。
43.聖フスタと聖ルフィーナ
フスタとルフィーナはスペインのセビリアで信仰を守って殉教した姉妹として伝えられます。陶器を売る仕事に携わったという物語から、壺や皿が持物になりました。棕櫚の枝は殉教を示します。セビリアの守護聖人としての崇敬から、市内の塔ヒラルダをともに支える姿で描かれることもあります。
44.聖ヤコブ伝
ここでいう聖ヤコブは、ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟にあたる「大ヤコブ」です。後世にはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼と結びつきました。聖人伝には魔術師ヘルモゲネスを改心させる話があり、悪魔、杖、魔術書などが登場します。巡礼者として描かれる場合は貝殻、杖、帽子が目印です。奇跡の細部は『黄金伝説』などの中世伝承に由来します。
45.聖ステパノ伝
ステパノは初期教会で奉仕のために選ばれた人物の一人です。人々に説教しますが、議会で非難され、石を投げつけられて亡くなります。石、執事服、棕櫚の枝が目印です。埋葬や遺骨の移送、聖ラウレンティウスと並ぶ場面は後世の聖人伝に基づきます。説教と殉教は『使徒言行録』6~7章に記されています。
46.マグダラのマリア
マグダラのマリアはイエスに従った女性で、磔刑と埋葬の場に関わり、復活を知らせる重要な証人です。絵画では長い髪と香油壺で表されることが多くあります。荒野での悔悛や頭蓋骨を伴う姿は、複数の女性像を重ね合わせて発達した西方教会の図像伝統によるものです。『ヨハネによる福音書』20章1~18節など。
47.聖アウグスティヌス
アウグスティヌスは4~5世紀のキリスト教思想家で、『告白』『神の国』などを著しました。ヒッポの司教を務めたことから司教冠と司教杖を持ち、書物や羽根ペンとともに描かれます。燃える心臓は神への愛と内面的な信仰を示す象徴です。画面の書物や衣装が、使徒たちの単独像との違いを示します。
48.聖アントニウスの誘惑
エジプトの修道者アントニウスは荒野で修行するなか、悪魔から恐怖や欲望による誘惑を受けたと伝えられます。絵画では祈る老人の周囲に怪物、悪魔、美女、不思議な建物や動物が現れます。修道者の杖、書物、豚、鐘、タウ形の十字架などが手がかりです。物語はアタナシオスによる『アントニオス伝』などに由来します。
ギリシャ・ローマ神話と寓意の10画題
49.ヘラクレスとオンファレ
怪力の英雄ヘラクレスは、罪を償うためリュディアの女王オンファレに仕えることになります。後世の物語では、英雄が糸を紡ぎ、女王がライオンの毛皮や棍棒を身につけ、男女の役割が入れ替わる姿が描かれます。毛皮、棍棒、糸巻き、女王の衣装が画題の手がかりです。ギリシャ神話には伝承の異なる形があります。
50.ディアナとアクタイオン
狩人アクタイオンは森の泉で水浴していた狩猟の女神ディアナを偶然見てしまいます。怒った女神は彼を鹿に変え、アクタイオンは自分の猟犬に追われ、引き裂かれます。水辺の女神とニンフ、驚く若い狩人、猟犬、鹿が目印です。入浴を見られた瞬間と、変身後の悲劇が別々に描かれます。オウィディウス『変身物語』第3巻。
51.ヴィーナスとキューピッド
ヴィーナスは愛と美の女神で、キューピッドは翼を持つ愛の神として描かれます。ギリシャ神話ではアフロディテとエロスにあたります。ヴィーナスのそばに弓矢を持つ幼児がいる姿は、恋愛や美を表す図像として広まりました。母子の身振りによって特定の神話場面を描く場合と、愛そのものを象徴する場合があります。
52.ヴィーナスとウルカヌス
愛の女神ヴィーナスの夫ウルカヌスは、火と鍛冶を司る神です。ギリシャ神話ではアフロディテとヘパイストスに相当します。鍛冶場の炉、金属を打つ槌、金床、武具がウルカヌスを示し、ヴィーナスは美しい女神として描かれます。夫妻の場面にはさまざまな物語や寓意があり、持物と行動によって内容を読み分けます。
53.パリスの審判
不和の女神エリスが宴席に投げ入れた黄金の林檎をめぐり、ヘラ、アテナ、アフロディテが争います。ゼウスはトロイアの王子パリスに、三女神のうち誰が最も美しいかを決めさせます。三女神はそれぞれ褒美を約束し、パリスは絶世の美女ヘレネを得られると告げたアフロディテを選びます。この選択はトロイア戦争の遠因となります。羊飼い姿の青年、三人の女神、黄金の林檎、使者ヘルメスが主な要素です。
54.アエネアスの武具を依頼するヴィーナス
トロイア出身の英雄アエネアスがイタリアで戦う際、母ヴィーナスは夫ウルカヌスに武具を作らせます。神の鍛冶場では職人たちが鎧や盾を作ります。女神、鍛冶神、炎、槌、盾が描かれていれば、母が息子を守ろうとする場面かもしれません。ウェルギリウス『アエネイス』第8巻に由来します。
55.ヴィーナスに導かれる人物の顕彰
近世の天井画や記念画には、実在の人物が古代の神々によって天上へ迎えられる姿があります。ヴィーナス、勝利の女神、名声を示す人物像などが登場し、英雄や政治家の功績を称えます。神話上の女神が登場しても、古代の一つの物語を再現するのではなく、歴史的人物を称える寓意である場合があります。冠、勝利の枝、雲や天使状の人物が目印です。
56.サテュロスとニンフ
サテュロスは森や酒の神ディオニュソスに従う半獣の存在で、ニンフは泉、樹木、山野などに結びつく女性の精霊です。踊り、笛、酒、花や木々とともに描かれることが多くあります。山羊の脚や角、獣の耳を持つ男性がサテュロスの手がかりです。祝祭的な情景として描かれる場合、特定の神話の筋を伴わない作品もあります。
57.ニンフのいる風景
古典神話のニンフは自然と結びつく女性の精霊です。川辺や森、岩陰、木陰に座る姿や、衣を脱いで水浴する姿で現れます。画面の主題が風景そのものである場合、ニンフは古代の理想的な自然を象徴する存在として添えられます。川や森と女性像の関係を見て、特定の神話場面か、神話的な風景表現かを読み分けます。
58.神々の会議
オリンポスの神々が集まって相談する「神々の会議」は、古代叙事詩にも現れる設定です。王笏や鷲を伴うゼウス、知恵の女神アテナ、愛の女神アフロディテなど、持物や姿によって神々を見分けます。近世美術では宮廷の政策や婚姻を神々の会議に重ねた寓意として描く場合もあります。特定の作品では、誰が何を決めているかを制作背景とあわせて調べます。
主な典拠・参考資料
- 国立西洋美術館・所蔵作品検索(作品の名称・所蔵確認)
- 国立美術館所蔵作品総合目録検索システム(絵画の収蔵区分)
- USCCB・聖書本文(創世記、民数記、サムエル記、ダニエル書、ユディト記、四福音書、使徒言行録、ヨハネの黙示録)
- メトロポリタン美術館・聖母の図像と信仰
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー/オウィディウス『変身物語』と絵画
- オウィディウス『変身物語』、ウェルギリウス『アエネイス』、ホメロス『イリアス』
- ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』、アタナシオス『アントニオス伝』、聖母伝承および聖人伝
展示室にある作品と、所蔵されていても展示されていない作品は区別する必要があります。展示の有無は国立西洋美術館の最新の案内で確認できます。
