板橋区・安養院の歴史と文化財|釈迦四面像・紅頗梨色阿弥陀如来・旧松平家の庫裡

2025年1月に撮影された板橋区東新町の安養院の山門

板橋区東新町二丁目の安養院には、江戸時代の仏像、武家ゆかりの建築、銅鐘、古文書が残されています。寺の由緒は鎌倉時代にさかのぼると伝わり、現在の境内には中世以来の信仰と近代建築の歴史が重なっています。

安養院の由緒と上板橋の歴史

安養院は真言宗の寺院で、鎌倉幕府の執権・北条時頼ほうじょうときよりによって創建されたと伝わります。所在地は板橋区東新町二丁目30番23号。旧上板橋村の地域に残る寺院であり、江戸時代から昭和期にかけての古文書は、寺院の経営や周辺の真言宗寺院の活動を伝えます。

2025年1月に撮影された板橋区東新町の安養院の山門
安養院の山門(2025年)。Asanagi/Wikimedia Commons、CC0 1.0。

紅頗梨色阿弥陀如来坐像――赤い肌と孔雀座

安養院の紅頗梨色ぐはりじき阿弥陀如来坐像は、寺の前立ち本尊として安置されています。宝冠をかぶり、弥陀定印みだじょういんを結んで孔雀座に座る像で、肌は赤く彩色されています。衣には繊細な切金文様が施され、金属製の宝冠には透かし彫りがあります。作風から江戸時代初期の制作と考えられています。

阿弥陀如来の像としては、上半身に天衣てんねや条帛じょうはくをまとう姿が珍しく、孔雀座に座る宝冠阿弥陀像は天台宗系の常行堂にも例があります。板橋区は1990年3月30日に区指定有形文化財(歴史資料)に指定しました。

像高は28.2センチメートル、総高は99.8センチメートルです。仏像の赤い肌は、地・水・火・風・空の五大を五色に配する考えに基づき、阿弥陀如来を「火・赤」に結びつけたものです。

安養院の本堂に安置された紅頗梨色阿弥陀如来坐像と孔雀座
本堂に安置される紅頗梨色阿弥陀如来坐像。撮影:ゆる歴史散歩会。
安養院の紅頗梨色阿弥陀如来坐像と華麗な装飾の正面
紅頗梨色阿弥陀如来坐像と周囲の彫刻。撮影:ゆる歴史散歩会。
安養院の紅頗梨色阿弥陀如来坐像を斜めから見た姿と孔雀の彫刻
像と孔雀座を側面から見る。撮影:ゆる歴史散歩会。

釈迦四面像――厨子の中に表した釈迦の生涯

釈迦四面像しゃかしめんぞうは、四方に扉を備える厨子ずしの内部に山を組み上げ、釈迦の誕生・説法・涅槃ねはんなどを立体的に表した文化財です。扉は発心門・修行門・菩提門・涅槃門と呼ばれ、仏教で説く釈迦の成道の過程を空間として表現しています。

修行門の内部には説法像が置かれ、その手前の扉を開くと目連と迦葉の像が現れます。涅槃門には涅槃像と彩色された蓮池が設けられています。厨子の扉と天井には狩野派の仏画が描かれ、狩野探幽らの落款が確認されています。『新編武蔵風土記稿』には、武田信玄の守本尊が紀州徳川家に伝わり、後に安養院へ寄進されたという由来が記されています。本像も1990年に区指定有形文化財となりました。

厨子の巌山の両脇には、羅漢像を彫った円柱状の木があり、回転する仕組みになっています。釈迦の誕生から入滅までを、彫刻、開閉する小扉、彩色画を組み合わせて表現しています。

安養院釈迦四面像の厨子の一面、釈迦像と彩色された扉
釈迦四面像の厨子の一面。撮影:ゆる歴史散歩会。
安養院釈迦四面像の厨子の別の面にある立体的な木彫
立体的な木彫を組み合わせた厨子の別の面。撮影:ゆる歴史散歩会。
安養院釈迦四面像の厨子、彩色扉と横たわる釈迦像
扉の彩色画と厨子の内部に置かれた横臥像。撮影:ゆる歴史散歩会。
安養院釈迦四面像の厨子の一面、開いた扉の彩色絵画と木彫
扉絵と木彫が残る厨子の一面。撮影:ゆる歴史散歩会。

旧伯爵松平基則邸を移築した庫裡

安養院の庫裡くりは、もともと東京市麹町区にあった旧前橋藩松平家の伯爵・松平基則まつだいらもとのりの邸宅でした。1902年(明治35年)に建てられ、1930年(昭和5年)に安養院へ移築されたと板橋区の寺院案内に記されています。武家の系譜を引く華族邸宅が、昭和初期に寺院の生活・運営空間へ姿を変えました。近代の和風建築を知る貴重な建物です。

銅鐘と古文書が伝える寺院の営み

境内の鐘撞堂には、江戸時代に制作された銅鐘が伝わります。板橋区の文化財解説では1689年(元禄2年)の鋳造、1802年(享和2年)の再鋳と記され、国の重要美術品とされています。安養院文書は江戸時代から昭和期までの寺院経営や地域の宗教活動を調べる資料です。

文化財の公開

2026年の「いたばし文化財ふれあいウィーク」では、安養院庫裡、釈迦四面像、紅頗梨色阿弥陀如来坐像が特別公開の対象となりました。歴史的な建築と仏像を同じ境内で見ることのできる機会です。

参考資料