嘉永5年(1852)の「小日向絵図」は、現在の文京区小日向、水道、関口、目白台寄りの地域を描く切絵図です。台地と谷、神田上水、武家屋敷、寺社が複雑に組み合わさり、現在の文京区に残る坂道と緑の多い住宅地の骨格を江戸時代までさかのぼって読めます。
小日向絵図の基本情報
尾張屋清七が刊行した江戸切絵図の一枚で、国立国会図書館所蔵本は1852年の資料です。現在の文京区小日向から水道、関口周辺を中心に、神田川と上水路、台地上の武家地や寺院を描きます。

地図の見方――川と台地の高低差を読む
小日向は小日向台と神田川沿いの低地から成ります。切絵図には等高線がありませんが、坂、川、上水、寺社の位置を追うと地形の起伏が見えてきます。現在も茗荷谷から江戸川橋方面へ下る道には大きな高低差があります。
白い武家地が台地上に多く、低地には水路と町場が続きます。地形による土地利用の違いが比較しやすい一枚です。
神田上水――江戸の飲料水を運んだ水路
神田上水は江戸の主要上水の一つで、井の頭池を水源とする神田川系統の水を市中へ届けました。文京区の資料では、現在の水道二丁目と小日向二丁目の間にある巻石通り付近を上水が流れていたことが紹介されています。
水は小日向から後楽、水道橋方面へ流れ、掛樋を通って江戸城や神田・日本橋方面へ供給されました。現在の「水道」という町名は、この上水の記憶を直接伝えています。
切支丹屋敷――禁教政策の現場
小日向には切支丹屋敷が置かれました。江戸幕府がキリスト教を禁じる中で、捕らえられた宣教師や関係者を収容・取り調べる施設として使われた場所です。文京区の地域史でも、小日向一丁目付近の歴史的地点として紹介されています。
江戸の住宅地の一角に、宗教統制と対外政策に関わる施設が存在したことは、小日向の地図を読む上で重要です。長崎などの海外交流拠点だけでなく、江戸にも禁教政策の実務を担う場所がありました。
寺社と武家屋敷が並ぶ台地
小日向台には寺社と武家屋敷が多く、広い区画が並びます。江戸中心部の商人町とは異なり、低密度で起伏のある住宅地でした。坂道と寺院の配置は現在の小日向にもよく残ります。
台地上の屋敷地は明治以降、学校や住宅地へ転用されました。文京区が現在も教育機関の多い地域である背景には、まとまった旧武家地や寺社地を利用できたことも関係します。
神田川と関口――水辺の景観
神田川沿いの関口は、上水の取水と水辺景観の両面で重要な地域でした。川沿いの低地と小日向・目白台の崖線が接し、現在も江戸川公園付近では急な斜面を確認できます。
水路と台地の関係を地図で把握すると、椿山荘周辺から江戸川橋、小日向へ続く現在の緑地と坂道が、江戸期の地形を強く引き継いでいることがわかります。
明治から現在へ――上水路が道路になる
近代水道の整備とともに神田上水は役割を終え、上水路の一部は道路へ変わりました。巻石通りはその経路を伝える代表例です。水路そのものが消えても、道路の線と町名に江戸のインフラが残りました。
現在の小日向は住宅地・教育地区として知られます。切絵図に描かれた武家地、寺社、上水、坂を重ねると、静かな街並みの形成過程を具体的に追えます。
関連する古地図:東都小石川繪圖では小石川の武家地と寺町を、音羽絵図では神田上水沿いから護国寺・目白台方面を続けて読めます。尾張屋版江戸切絵図 全29図の案内から全地域へ移動できます。
