嘉永から文久年間、江戸の町を地域ごとに切り分けて刊行された「尾張屋版江戸切絵図」。大名屋敷が埋め尽くす丸の内、商人と魚河岸の日本橋、寺院が集まる谷中、水路が張り巡らされた深川、宿場の内藤新宿、農地の残る渋谷や向島まで、幕末の江戸を29枚の地図でたどれます。
このページは、国立国会図書館で公開されている尾張屋版江戸切絵図の主要29図を地域別に案内する入口です。各地図の個別記事では、地図の読み方、描かれた屋敷・寺社・街道・水路、人物と事件、江戸以前の背景、幕末から明治以降の変化、現在に残る痕跡まで掘り下げています。

尾張屋版江戸切絵図とは
切絵図は、広い江戸市中を地域ごとに分割して携帯しやすくした地図です。幕末には複数の版元が江戸切絵図を刊行し、その中でも金鱗堂・尾張屋清七のシリーズは広い地域を網羅しました。大名・旗本屋敷、町名、寺社、門、橋、坂、川、堀などが細かく書き込まれ、目的地を探す実用地図として使われました。
国立国会図書館の一括資料「江戸切絵図」は28舗です。嘉永年間の26図揃から「小石川絵図」を欠く25図に、根岸谷中辺絵図、隅田川向島絵図、内藤新宿千駄ヶ谷絵図を加えた構成です。本シリーズでは、国立国会図書館が別資料として公開する嘉永7年(1854)の「東都小石川繪圖」を補い、地域を広くカバーする29図を扱います。
切絵図を読む五つの基本
現代地図との最大の違いは、北が常に上とは限らないことです。地域を紙面へ収め、道筋や屋敷名を読みやすくすることが優先されました。縮尺も厳密に一様ではありません。現在地を探すときは、方角だけで合わせるより、川、堀、街道、門、寺社など動きにくい目印を探す方が位置をつかみやすくなります。
- 方角:北を上に固定せず、一枚ごとの向きを確認します。
- 色:武家地、町人地、寺社、水面などが色分けされています。
- 家紋と屋敷名:大名上屋敷や当主を見分ける重要な手掛かりです。
- 川・堀・橋:江戸の物流、城郭、防災、土地の境界を読み取れます。
- 現在との比較:寺社、坂、旧街道、堀跡、公園などを重ねると土地の連続性が見えてきます。
古地図全般の基本は、古地図まるわかりガイド|江戸・明治の地図で東京の街歩きが楽しくなる入門でも詳しく紹介しています。
江戸城・丸の内・番町を読む
江戸城周辺では、城門と堀を中心に大名屋敷・旗本屋敷が密集します。現在も皇居の堀や門が残るため、古地図と現代を比較しやすい地域です。
- 御江戸大名小路絵図――江戸城、大手門、丸の内、大名上屋敷、奉行所
- 外桜田永田町絵図――井伊家上屋敷、桜田門外の変、永田町、霞が関
- 御江戸番町絵図――旗本屋敷、千鳥ヶ淵、番町、麹町
- 駿河台小川町絵図――神田川、駿河台、護持院ヶ原、御茶ノ水、神保町
日本橋・京橋・築地を読む
江戸の商業中心では、細かな町人地と水路の密度が一気に高まります。魚河岸、問屋、河岸、奉行所、街道を追うと、巨大都市を支えた物流と商業が見えてきます。
- 日本橋北神田浜町絵図――日本橋魚河岸、神田、浜町、両国橋西詰
- 築地八町堀日本橋南絵図――京橋、八丁堀、築地、新川、水運
芝・高輪・麻布・赤坂・青山を読む
江戸南西部には東海道、大名の中屋敷・下屋敷、寺院、丘陵が広がります。幕末の外交や江戸城無血開城、明治の鉄道建設まで、近代東京へ直結する出来事が多い地域です。
- 芝愛宕下絵図――愛宕山、増上寺、東海道、新橋
- 芝高輪辺絵図――高輪大木戸、泉岳寺、薩摩藩邸、東海道
- 麻布絵図――麻布十番、善福寺、古川、大名下屋敷
- 赤坂絵図――溜池、赤坂見附、山王、武家地
- 青山渋谷絵図――大山街道、青山、宮益坂、農村時代の渋谷
- 目黒白銀絵図――目黒、白金、三田、大名下屋敷と江戸郊外
四谷・牛込・新宿・大久保を読む
江戸西側では、外濠の門から街道・宿場・郊外へ段階的に景観が変わります。甲州街道、玉川上水、内藤新宿、鉄砲百人組など、江戸の外縁を支えた交通・軍事機能が集まります。
- 四ツ谷絵図――四谷見附、四谷大木戸、玉川上水、寺町
- 市ヶ谷牛込絵図――牛込門、市ヶ谷門、神楽坂、外濠
- 内藤新宿千駄ヶ谷絵図――甲州街道、内藤新宿、新宿御苑、千駄ヶ谷
- 大久保絵図――鉄砲百人組、百人町、大久保のつつじ
小石川・小日向・音羽・本郷・駒込・巣鴨を読む
現在の文京区から豊島区へ続く地域には、大名屋敷、寺町、街道、上水、庭園が広がりました。明治以降は大学、学校、病院、住宅地へ転用され、文教地区の基盤になった土地も多くあります。
- 東都小石川繪圖――小石川後楽園、水戸徳川家、傳通院、礫川
- 小日向絵図――神田上水、小日向台、切支丹屋敷
- 音羽絵図――護国寺、音羽通り、目白台
- 本郷湯島絵図――加賀藩上屋敷、湯島天満宮、中山道、東京大学
- 駒込絵図――六義園、染井、植木文化、寺町
- 巣鴨絵図――中山道、眞性寺、染井、巣鴨
上野・下谷・浅草・谷中を読む
上野の寛永寺、下谷の武家地、浅草の巨大寺院と幕府の米蔵、谷中の寺町。江戸北東部では宗教、物流、娯楽、郊外景観が密接につながっています。
本所・深川・向島を読む
隅田川東岸は明暦の大火後に都市化が大きく進みました。本所では武家地と運河、深川では埋立地と水運、向島では寺社と農地・行楽地が広がり、同じ城東でも地域ごとの性格が異なります。
29図を続けて読むと何がわかるか
一枚ずつ見ると地域史ですが、29図をつなぐと江戸という巨大都市の仕組みが見えてきます。江戸城の周囲に大名・旗本屋敷が集まり、日本橋に商業機能が集中し、その外側へ寺町や宿場が延び、さらに農村と行楽地へ移ります。水路は城下と隅田川東岸を結び、街道は江戸と全国をつなぎました。幕末から約200年前の江戸と比べる場合は、正保年中江戸絵図と正保年中江戸絵図で見る江戸城を並べると、明暦の大火後の都市拡張や屋敷配置の変化を追えます。
明治維新後は、大名屋敷の大区画が官庁、軍、大学、公園、鉄道施設へ転用されます。日本橋の商業、永田町・霞が関の政治機能、上野・本郷の文化・教育、新宿・渋谷の交通拠点化など、現在の東京の地域性には江戸の土地利用を受け継いだ部分があります。
画像と資料について
各記事の地図画像は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている資料を使用しています。国立国会図書館の一括資料28舗と、別資料の「東都小石川繪圖」を合わせた29図です。地名の確認や現代位置との照合には、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)の「江戸マップ」も参照しています。

