春陽会とは?院展洋画部と草土社から始まった春陽展の歴史と特徴を初心者向けに解説

日本の創作版画運動の先駆的作品とされる山本鼎の木版画《漁夫》

「春陽展」という名前を見て、「春に開く展覧会だから春陽展なの?」と思う人もいるかもしれません。

春陽展を主催する春陽会は、1922年(大正11年)に創立された洋画・版画の公募美術団体です。

歴史をたどると、再興日本美術院の洋画部と、岸田劉生らが活動した草土社という二つの流れが合流して生まれたことが分かります。

創立会員には小杉未醒(後の小杉放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎、梅原龍三郎。さらに客員として岸田劉生、木村荘八、中川一政、萬鉄五郎らが参加しました。

一人ひとりの個性を尊重する「各人主義」を重視し、特定の一つの画風に統一しなかったことが春陽会の大きな特徴です。

現在は絵画部と版画部の二部門を持ち、毎年春に国立新美術館で春陽展を開催しています。

この記事では、春陽会がなぜ生まれたのか、院展洋画部と草土社はどう合流したのか、「各人主義」とは何か、なぜ版画が重要なのか、そして現在の春陽展までを初心者向けに整理します。

日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。

春陽会とは?まず30秒で分かる

春陽会は1922年1月14日に発足した美術団体です。

現在は一般社団法人春陽会として活動し、主な部門は、

  • 絵画部
  • 版画部

の二つです。

公式サイトによれば、現在は絵画部約200名、版画部約70名の会員を擁し、全会員が審査と運営に関わっています。

毎年春に開催される「春陽展」は一般からも作品を募集する公募展です。

2026年には第103回春陽展が国立新美術館で開催されました。

春陽会の前史①|再興日本美術院には「洋画部」があった

現在の日本美術院・院展は日本画の団体として知られています。

しかし1914年に日本美術院が再興された当初は、日本画だけでなく洋画部と彫刻部もありました。

洋画部では、小杉未醒、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎らが活動します。

ところが1920年、第7回院展を最後に洋画部の同人たちが連袂(れんべい)して脱退し、日本美術院洋画部は事実上消滅しました。

この「院展洋画部を離れた作家たち」が、2年後の春陽会創立の大きな母体となります。

現在の院展だけを見ると、日本美術院と春陽会は全く別系統のように見えます。

しかし歴史上は、春陽会の一方のルーツが日本美術院の洋画部にあるのです。

春陽会の前史②|岸田劉生らの「草土社」とは?

もう一つの流れが草土社です。

草土社は1915年、岸田劉生を中心に結成された洋画グループでした。

木村荘八、椿貞雄、中川一政らが活動し、身近な風景や人物を細密に見つめる独自の写実表現を展開しました。

草土社は1922年まで活動します。

同じ1922年に春陽会が創立されると、岸田劉生、木村荘八、中川一政、椿貞雄ら草土社系の画家も春陽会に客員として加わりました。

春陽会公式は、春陽会について「院展洋画部と草土社が合流した団体」と説明しています。

ただし、両団体が組織としてそのまま合併したと考えるより、それぞれの作家が新しい発表の場へ集まったと理解する方が分かりやすいでしょう。

1922年、春陽会が発足

1922年1月14日、春陽会が発足しました。

創立会員は、

  • 足立源一郎
  • 梅原龍三郎
  • 倉田白羊
  • 小杉未醒
  • 長谷川昇
  • 森田恒友
  • 山本鼎

の7人です。

創立客員には、

  • 石井鶴三
  • 今関啓司
  • 岸田劉生
  • 木村荘八
  • 椿貞雄
  • 中川一政
  • 山崎省三
  • 萬鉄五郎

が名を連ねました。

この顔ぶれを見ると、春陽会が最初から一つの師弟グループや一つの画風で固められた団体ではなかったことが分かります。

院展洋画部、草土社、二科会など、それぞれ異なる活動歴を持つ画家たちが集まりました。

「各人主義」とは?春陽会に一つの画風がない理由

春陽会の特徴を説明するとき、公式が使っている重要な言葉が「各人主義」です。

これは、全員が同じ作風を目指すのではなく、作家一人ひとりの個性を尊重する考え方です。

春陽会は現在も、日本の風土と伝統に根差しながら、個性を尊重する「各人主義」を創立以来の理念として説明しています。

そのため、「春陽会の絵は全部こういう絵」という一つの様式を探すのは適切ではありません。

岸田劉生と萬鉄五郎では表現が大きく違い、梅原龍三郎と中川一政にもそれぞれ異なる個性があります。

違う方向の作家が同じ展覧会に並ぶこと自体が、春陽会の特徴だったのです。

1923年第1回春陽会展|2,466点搬入、入選51点

第1回春陽会展は1923年に開催されました。

公式沿革によれば、一般からの搬入作品は2,466点。

そのうち入選は51点でした。

第1回から非常に多くの応募が集まっていたことが分かります。

同年、創立時の客員制度は廃止され、客員だった作家たちも会員となりました。

春陽展は創立メンバーだけの発表会ではなく、最初から公募を通じて新しい作家を選び出す場として始まったのです。

版画部の形成と展覧会の発展

1927年から東京府美術館へ

1927年の第5回春陽会展から、会場は東京府美術館、現在の東京都美術館の前身へ移りました。

1927年から春陽展の主要会場となった旧東京府美術館
旧東京府美術館(後の東京都美術館旧館)/国立国会図書館・Wikimedia Commons(Public Domain)

東京府美術館は、帝展、日展、二科展、独立展、国展など、多くの公募美術展が開催された上野の中心的な会場です。

春陽展もここで長く開催されました。

2007年、第84回展から東京会場を六本木の国立新美術館へ移しています。

山本鼎と版画――春陽会に版画部がある理由

春陽会創立会員・山本鼎が1904年に制作した木版画《漁夫》
山本鼎《漁夫》、1904年/Wikimedia Commons(Public Domain)

春陽会の現在の二部門は「絵画」と「版画」です。

版画が独立した柱になっている背景には、創立会員の一人・山本鼎(やまもと・かなえ)の存在があります。

山本鼎は日本の創作版画運動を考えるうえで重要な人物です。

1904年に制作した《漁夫》は、画家自身が描き、彫り、刷るという創作版画の先駆的作品として知られています。

文化遺産オンラインでも1904年の木版画《漁夫》が確認できます。

この《漁夫》は春陽展出品作ではなく、春陽会創立会員・山本鼎と、後の春陽会版画部の歴史を理解するための資料です。

春陽会では1928年、第6回展に「版画室」を新設しました。

さらに1951年、第28回展から「版画部」と改称し、絵画部と並立する正式な部門となります。

その後、長谷川潔、駒井哲郎、清宮質文など、日本近現代版画史で重要な作家たちが春陽会に参加しました。

つまり春陽展の版画は、絵画展の付属コーナーではありません。

約100年に及ぶ独自の歴史を持つ主要部門なのです。

1951年には「舞台美術部」もあった

現在の春陽会は絵画・版画の二部門ですが、かつて別の部門もありました。

1951年、第28回展で「舞台美術部」が新設されます。

舞台美術部は1961年に廃止されました。

現在だけを見ると春陽会は平面作品中心の団体ですが、歴史上は舞台美術まで公募展の中に取り込んだ時期があったのです。

春陽会の100回記念関連資料では、初期に素描・水墨室、挿絵室、版画室など、多様な表現の場を設けていたことも紹介されています。

この幅の広さも「各人主義」の歴史を理解する手がかりになります。

戦後の発展と現在の春陽会

戦争による中断と再開

春陽展も戦争の影響を受けました。

1944年の第22回展以降、1946年まで一般公募が中止されました。

1945年には展覧会そのものが開催されていません。

1947年、第24回春陽展から公募展として再開します。

戦後は再び東京都美術館で毎年開催されました。

長い公募展の回数には、このような戦争による中断も含まれています。

戦後の作家たち

春陽会は創立者の世代だけで終わりませんでした。

その後も、

  • 岡鹿之助
  • 中谷泰
  • 南大路一
  • 長谷川潔
  • 駒井哲郎
  • 清宮質文

など、日本近現代美術史で重要な作家が参加します。

特に版画部は、銅版画を含む多様な版表現を発展させました。

1952年には「フランス現代銅版画特別陳列」も開催されています。

春陽会が国内の公募だけでなく、海外の版画表現にも目を向けていたことが分かります。

1984年に社団法人化、現在は一般社団法人

1984年、春陽会は社団法人春陽会として発足しました。

現在の正式名称は一般社団法人春陽会です。

展覧会だけでなく、研究会、講演会、地域活動なども行っています。

公式サイトは現在、絵画部約200名、版画部約70名の会員が所属すると説明しています。

全会員による審査・運営も現在の特徴です。

研究会活動と「各人主義」

春陽会は研究会活動にも力を入れています。

全国各地で研究会や研究会展が行われ、作品について会員同士が批評し合う場になっています。

春陽会の過去の研究会資料では、各人主義について、「同じ型へ作家をはめるのではなく、それぞれの良い部分を伸ばす」という方向で語られています。

公募展は一年に一度作品を持ち込むだけの仕組みに見えますが、実際にはこうした日常的な研究活動が団体を支えています。

現在の公募制度

春陽展は公募展です。

2026年第103回春陽展では、一般から絵画・版画を募集しました。

絵画には油彩、水彩、素描、ドローイングなどを含みます。

版画は凹版、凸版、平版、孔版など多様な版形式が対象です。

本人制作の未発表作品が基本条件です。

2026年は1人6点まで応募可能。

出品手数料は3点まで10,000円で、1点増すごとに2,000円。

初めて春陽展へ出品する人には、出品手数料半額の制度もありました。

公募展への最初の挑戦を後押しする仕組みとして特徴的です。

春陽会賞・奨励賞と会友

入選作品の中から、春陽会賞や奨励賞などが選ばれます。

2026年第103回展でも絵画・版画の一般出品者や会友から受賞者が選ばれました。

春陽会の作品紹介ページでは、会員・新会員・会友・一般などの区分を確認できます。

長く出品し、入選・受賞・推挙を重ねることで、団体との関係が深まっていく公募美術団体の仕組みがあります。

ただし、細かな推挙条件は年度・規約に基づくため、応募する場合は最新の公募規約を確認してください。

2026年第103回春陽展

現在の春陽展東京展が開催される東京・六本木の国立新美術館
春陽展の東京会場・国立新美術館。撮影:Yo Hibino/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

2026年の第103回春陽展は、2026年4月15日~4月27日に国立新美術館で開催されました。

会場は、

  • 2A
  • 2B
  • 2C
  • 2D
  • 3B

の5展示室。

作品ジャンルは絵画・版画です。

休館日は4月21日。

観覧時間は10時~18時、最終日は15時まででした。

2026年の一般観覧料は800円で、大学生以下・70歳以上・障害者手帳を持つ人と付添者1人までは無料でした。

会期中にはギャラリートーク、一般出品者向けの講評、授賞式なども行われました。

特別展示として、メゾチントなどで知られる版画家・広田雅久と春陽会の関係を紹介する展示も設けられました。

※2026年第103回春陽展はすでに終了しています。本記事は春陽会そのものを解説する恒久記事であり、実際に会場を訪問したレポートではありません。

初めて春陽展を見るなら、何を見る?

初めて見る場合は「春陽会らしい一つの画風」を探さないことがポイントです。

1. 絵画と版画を必ず両方見る

春陽会は版画部に長い独立した歴史があります。

絵画だけを見て帰ると、春陽会の半分を見落とします。

2. 作家ごとの差を見る

各人主義を掲げる団体なので、作品の違いそのものが見どころです。

人物、風景、抽象的な表現などを横断し、「同じ団体なのになぜこれほど違うのか」と比べると面白くなります。

3. 受賞作を見る

春陽会賞や奨励賞を見ると、その年の公募で何が評価されたのかが分かります。

4. 会員・会友・一般を見比べる

作家区分が分かれば、公募から継続的な活動へつながる仕組みも見えてきます。

院展・国展・二科展とは何が違う?

春陽会は他の在野美術団体と歴史的につながりがあります。

団体・展覧会歴史上の起点現在の主な分野
日本美術院・院展1898年創立、1914年再興日本画
二科会・二科展1914年、文展洋画部の「第二科」要求から独自展絵画・彫刻・デザイン・写真
国画会・国展1918年の国画創作協会を源流に1928年国画会成立絵画・版画・彫刻・工芸・写真
春陽会・春陽展1922年、院展洋画部と草土社の流れから創立絵画・版画

春陽会の特徴は、再興日本美術院の洋画部と草土社という異なる流れをつなぎ、個性尊重の「各人主義」を重視した点です。

また、版画を早くから独立した分野として育てたことも重要です。版画専門の日本版画協会と比較すると、春陽会では絵画と版画の二部門が同じ団体内にある点が分かります。

まとめ|春陽会は「一つの主義にしない」ことを主義にした

春陽会は1922年、再興日本美術院の洋画部を離れた画家たちと、草土社系の作家たちなどが集まって創立されました。

創立会員は小杉未醒、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎、梅原龍三郎。

客員には岸田劉生、木村荘八、中川一政、萬鉄五郎らが加わりました。

第1回展は1923年。

1928年には版画室を設置し、1951年に版画部へ発展。

一時期は舞台美術部も存在しました。

戦争による中断を経ながら、現在は絵画・版画の二部門を中心とする公募美術団体として活動しています。

春陽会を理解する鍵は「各人主義」です。

全員を同じ画風へ揃えるのではなく、一人ひとりの個性を尊重する。

だからこそ春陽展を見るときは、「春陽会らしい絵」を一枚探すより、作品同士の違いを楽しむ方が、この団体の100年以上の歴史に近い見方なのです。

美術団体・公募展シリーズ

日本の美術団体・公募展の全体像日本美術院・院展国画会・国展日本版画協会・版画展

参考文献・確認資料