日本の美術団体・公募展とは?日展・院展・二科展など主要団体の歴史と違いを初心者向けに解説

1927年から太平洋展の主要会場となった旧東京府美術館

日本の美術館へ行くと、「日展」「院展」「二科展」「国展」「春陽展」「独立展」「新制作展」「主体展」など、よく似た名前の大規模展覧会を見かけます。

初めて見る人には、「全部、同じような公募展では?」「なぜこんなに団体が多いの?」「日展と二科展は何が違う?」「院展は日本画なのに、春陽会と関係があるの?」「国展は国が主催しているの?」「人間国宝が出る日本伝統工芸展は、美術団体の公募展と同じなの?」と、かなり分かりにくい世界です。

しかし歴史をたどると、これらはバラバラに生まれたのではありません。

明治時代に西洋式の美術制度が整えられ、国が「官展」をつくり、その審査や制度に不満を持つ作家が在野団体をつくり、さらにその団体から別の団体が分かれ、日本画・洋画・版画・工芸など、それぞれの専門分野が発展していきました。

つまり、日本の美術団体・公募展の歴史は、「誰が美術を評価するのか」「作家はどこで作品を発表するのか」「新しい表現をどう受け入れるのか」をめぐる約140年の歴史です。

この記事では、主要な美術団体・公募展を一つの系譜として整理し、それぞれの違い、現在の部門、初心者がどの展覧会を見ればよいかまでまとめます。

そもそも「美術団体」「公募展」とは?

美術団体

美術家が研究、制作、展覧会運営、後進育成などを目的としてつくる組織です。

一つの画風だけで結ばれた団体もあれば、複数ジャンルを抱える大規模団体もあります。

公募展

一般の作家から作品を募集し、審査・鑑査などによって選ばれた作品を展示する展覧会です。

美術館が所蔵作品や借用作品を企画して並べる通常の「企画展」とは仕組みが異なります。

公募展では、一般出品→入選→受賞→会友・準会員→会員、のように継続出品を通じて作家が団体の中で活動を深めていく仕組みを持つことが多くあります。ただし名称や昇格条件は団体ごとに違います。

なぜ日本には美術団体がこんなに多いのか

理由を一言でいえば、「一つの展覧会制度では、すべての作家の価値観を収めきれなかったから」です。

明治政府は美術教育や展覧会制度を整備しました。1907年には文部省美術展覧会、いわゆる「文展」が始まります。

国が主催する大規模展覧会は、作品を全国へ知らしめる巨大な舞台でした。

一方で、「審査が保守的だ」「新しい表現が評価されにくい」「官展から独立したい」「別の日本画をつくりたい」「具象・抽象といった流派で作家を縛りたくない」など、作家側の考えは一致しません。

その結果、新しい団体が次々とつくられます。

団体同士は完全に孤立していたわけでもありません。ある団体の会員が別団体を創立したり、日本画部だけが独立したり、解散した団体の一部が別組織として継続したりしました。

この「人の移動」と「分裂・合流」を見ることが、美術団体史を理解する最も重要なポイントです。

最初に全体像|主要16団体を一覧で比較

団体・展覧会歴史上の主な起点現在につながる組織上の節目現在の主な分野
太平洋美術会・太平洋展1889年 明治美術会1902年 太平洋画会、1957年 太平洋美術会絵画・彫刻・版画・染織
日本美術院・院展1898年 日本美術院1914年 再興日本画
日展1907年 文展帝展・新文展・戦後日展を経て1958年民間法人化日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書
光風会・光風会展1912年白馬会解散後に創立絵画・工芸
二科会・二科展1914年文展洋画部の「第二科」要求から独自展絵画・彫刻・デザイン・写真
国画会・国展1918年 国画創作協会1925年洋画部、1928年国画会絵画・版画・彫刻・工芸・写真
春陽会・春陽展1922年院展洋画部+草土社の人的流れ絵画・版画
白日会・白日会展1924年会派横断の研究団体として創立絵画・彫刻
独立美術協会・独立展1930年一九三〇年協会等の流れから14人で創立洋画
日本版画協会・版画展1931年日本創作版画協会+洋風版画会+無所属版画
新制作協会・新制作展1936年官展不参加・反アカデミックを掲げ創立絵画・彫刻・スペースデザイン
一水会・一水会展1936年二科会を離れた8人が創立洋画
二紀会・二紀展1947年戦前二科会系9人が「第二の紀元」を掲げ創立絵画・彫刻
創画会・創画展1948年 創造美術新制作協会日本画部を経て1974年創画会日本画
日本工芸会・日本伝統工芸展1954年 第1回日本伝統工芸展1955年 日本工芸会設立陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸
主体美術協会・主体展1964年自由美術家協会からの大量退会を起点に結成絵画

この表で重要なのは、「一番古い年=現在の法人がその年から同じ形で存在する」という意味ではないことです。

日展、国画会、創画会、日本工芸会などは、展覧会や前身団体の歴史と現在の組織成立年を分けて考える必要があります。

第1章 明治時代|まず「発表する場所」をつくる

1889年 明治美術会

主要団体の中で最も古い系譜を持つのが太平洋美術会です。

源流は1889年、小山正太郎、浅井忠らによる明治美術会。当時、日本では西洋式の絵画や彫刻を学び、発表する制度そのものがまだ形成途上でした。

明治美術会は展覧会だけでなく教場も開き、洋画教育を担います。1902年、組織を再編して太平洋画会となり、1957年に現在の太平洋美術会へ改称しました。

1898年 日本美術院

岡倉天心を中心に1898年、日本美術院が創立されます。

横山大観、菱田春草、下村観山らが新しい日本画を模索しました。

一度活動が低迷しますが、1914年に横山大観らが再興。現在の院展は日本画専門です。

ただし再興当初は洋画部・彫刻部もあり、後の春陽会につながる重要な人的流れが生まれました。

第2章 1907年の文展|日本美術団体史の巨大な分岐点

1907年の第1回文展で二等賞を受賞した和田三造の油彩画《南風》
和田三造《南風》、1907年。第1回文展二等賞受賞。撮影:Sailko/Wikimedia Commons(CC BY 3.0)

1907年、文部省美術展覧会、通称「文展」が始まります。

国が全国規模で作品を公募・審査する「官展」です。

文展はその後、文展→帝展→新文展→戦後の日展、と制度を変えます。

1958年、日展は日本芸術院から分離し、民間の社団法人として自主運営へ移行しました。

現在の日展は国営展ではありませんが、官展の歴史を受け継ぐ最大級の公募展です。

そして重要なのは、この官展が「反対側の団体」を生む原因にもなったことです。

第3章 官展の外へ|1910~20年代に在野団体が続々誕生

1912年 光風会

光風会は、白馬会解散後、中澤弘光、山本森之助、三宅克己、杉浦非水ら7人が創立。

設立趣意書では、特定の「主義」の看板よりも、無名の作家を紹介する「広い花園」をつくることを重視しました。

現在は絵画・工芸です。

1914年 二科会

文展洋画部に「第二科」を設け、新しい傾向の作品も評価するよう求めた運動から誕生。

要求が受け入れられず、作家たちは官展から独立して二科展を始めました。

現在は絵画・彫刻・デザイン・写真の4部門です。

1918年 国画創作協会

小野竹喬、土田麦僊、村上華岳ら京都の若い日本画家が創立。

「創作の自由」を掲げ、文展の外で新しい日本画を目指しました。

1918年第1回国画創作協会展に出品された土田麦僊の日本画《湯女》
土田麦僊《湯女》、1918年。第1回国画創作協会展出品/Wikimedia Commons(Public Domain)

1925年に梅原龍三郎らの洋画部を設置。1928年、日本画側が解散した後、洋画側を中心に現在の国画会が成立しました。

そのため現在の国画会には日本画部がなく、絵画・版画・彫刻・工芸・写真の5部門があります。

1922年 春陽会

再興日本美術院の洋画部を離れた小杉未醒、山本鼎らと、岸田劉生ら草土社系の作家が集まり春陽会を創立。

現在は絵画・版画。「各人主義」を掲げ、一つの画風に統一しないことを重視しました。

1924年 白日会

中澤弘光、川島理一郎らが、既存会派を横断する研究団体として白日会を創立。

現在は写実を強く掲げる絵画・彫刻団体ですが、創立時から現在と同じ「写実専門」の形だったわけではありません。

戦後の再建を通じて、現在の「写実の王道」が明確になりました。

第4章 1930年代|「どんな作品を評価するか」がさらに分かれる

1930年 独立美術協会

1930年11月1日、清水登之、児島善三郎、林武、福沢一郎、三岸好太郎ら14人が独立美術協会を創立。

一九三〇年協会などの流れを背景に、当時の若い洋画家が新しい発表の場をつくりました。

1931年 日本版画協会

1918年の日本創作版画協会を中心に、洋風版画会と無所属作家が結集して日本版画協会が発足。公式図録では発足時の会員は42名です。

山本鼎、恩地孝四郎、平塚運一、長谷川潔らが関わります。

日本版画協会創立会員・恩地孝四郎による1915年の木版画《抒情 あかるい時》
恩地孝四郎《抒情 あかるい時》、1915年/Wikimedia Commons(Public Domain)

版画を単なる複製ではなく、作家自身の独立した美術表現として確立する運動の流れを受けた団体です。

1936年 新制作協会

帝展改組による美術界の混乱の中で、猪熊弦一郎、小磯良平らが新制作協会を創立。

「反アカデミック」を掲げ、官展に関与しないことを明記しました。

現在は絵画・彫刻・スペースデザイン。

1936年 一水会

同じ年、有島生馬、石井柏亭、安井曾太郎ら8人が一水会を創立。

彼らの多くは二科会で活動していました。

一水会は「写実の本道」「技術」を重視。名称も『芥子園画伝』の「十日一水五日一石」に由来し、時間をかけて入念に制作する姿勢を表しています。

第5章 戦後|既存団体の再編と新しい出発

1947年 二紀会

戦前の二科会で活動した宮本三郎ら9人が、「美術の第二の紀元を画する」という意図で第二紀会を創立。後に二紀会へ改称しました。

現在は絵画・彫刻です。

1948年 創造美術 → 1974年 創画会

秋野不矩、上村松篁、山本丘人ら13人が1948年に創造美術を結成。

1951年、新制作派協会と合流して新制作協会日本画部となります。

1974年、日本画部会員37名全員が新制作協会を離れ、創画会を結成。

現在も日本画専門の公募団体です。

第6章 文化財制度から生まれた工芸の公募展

1954年 日本伝統工芸展

戦後の1950年、文化財保護法が施行され、工芸の「わざ」そのものを無形文化財として守る制度が整えられました。

1954年、第1回日本伝統工芸展が開催。1955年、日本工芸会が設立されます。

1955年に日本工芸会へ参加した陶芸家・富本憲吉の肖像
富本憲吉、1917~1918年頃/Wikimedia Commons(Public Domain)

日本工芸会には、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝を含む工芸作家が参加します。

ただし、人間国宝を認定するのは国であり、日本工芸会ではありません。

現在は陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸の7部会です。

第7章 1964年|自由美術家協会から主体美術協会へ

戦後美術団体の再編を考えるうえで、1964年の主体美術協会結成も重要です。

自由美術家協会では同年8月、まず38人が集団退会を決め、その後さらに多数の同調退会者が続きました。

退会者全員がそのまま主体美術協会へ移ったわけではありません。東京文化財研究所の同時代記録では、9月に麻生三郎・糸園和三郎を除く86人が主体美術協会を新たに結成したとされています。

一方、自由美術協会側も別団体として存続しました。

つまりこの流れは、自由美術家協会が主体美術協会へ「改名」したのではなく、大量退会を起点とする人的分裂です。

主体美術協会は1964年9月に結成され、1965年に第1回主体展を開催。現在は絵画専門の公募展として活動しています。

一枚で見る「分裂・合流・人的系譜」

官展を中心とする流れ

文展(1907)
↓
帝展
↓
新文展
↓
戦後の日展
↓
1958年以降、民間の日展

文展への反発から二科会

文展洋画部
↓
第二科設置を要求
↓
1914年 二科展・二科会

そして人的流れとして、二科会から1936年の一水会、戦後には1947年の二紀会へつながる流れがあります。

日本美術院から春陽会

1914年 再興日本美術院
↓
洋画部
↓
1920年 洋画部同人が離脱
+
草土社系作家
↓
1922年 春陽会

光風会から新制作協会へ

1912年 光風会
↓
1936年 猪熊弦一郎、小磯良平らが離脱
↓
新制作派協会

創画会の流れ

1948年 創造美術
↓
1951年 新制作協会日本画部
↓
1974年 創画会

国画会の複雑な流れ

1918年 国画創作協会(日本画)
↓
1925年 洋画部新設
↓
1928年 日本画側が解散
↓
洋画側を中心に国画会

自由美術家協会から主体美術協会へ

1937年 自由美術家協会
↓
1964年 集団退会・同調退会
├─ 残留側:自由美術協会として継続
└─ 退会者の大部分:主体美術協会を結成

「前身」「後継」と単純に一本線で結ぶのではなく、どの部門・どの作家が移動したのかを見ることが大切です。

現在のジャンルで選ぶなら?

日本画を見たい

  • 日本美術院・院展
  • 創画会・創画展
  • 日展の日本画科

洋画・絵画を見たい

  • 二科展
  • 独立展
  • 新制作展
  • 二紀展
  • 春陽展
  • 光風会展
  • 白日会展
  • 一水会展
  • 国展
  • 太平洋展
  • 主体展
  • 日展

ただし「洋画」と一括りにしても、団体の理念は大きく違います。

写実を見たい

特に比較しやすいのは、白日会、一水会、光風会です。

版画を見たい

  • 日本版画協会
  • 国画会版画部
  • 春陽会版画部

工芸を見たい

  • 日本工芸会・日本伝統工芸展
  • 日展工芸美術
  • 国画会工芸部
  • 光風会工芸部

初心者が最初に見るならおすすめ5展

1. 日展

5科を一度に見られるため、日本の公募展そのものを理解する入口として分かりやすい展覧会です。

2. 二科展

「官展から独立した在野団体」という歴史が分かりやすく、絵画・彫刻・デザイン・写真を横断できます。

3. 院展

日本画専門団体として、日展の日本画科とは別の歴史を持つことを実感できます。

4. 独立展または二紀展

洋画の大規模公募展をじっくり見るなら有力です。

5. 日本伝統工芸展

絵画中心の公募展とは全く違う世界を見られます。

同じ会場で何が分かる?東京都美術館と国立新美術館

1926年に開館した東京府美術館は、帝展、日展、国展、春陽展、一水会展、主体展など、多くの公募展の舞台になりました。

現在も東京都美術館では院展、春陽展、日本版画協会、主体展など多くの公募展が開かれています。

日展・二科展・新制作展・独立展など多数の公募展が開催される国立新美術館
国立新美術館。撮影:Yo Hibino/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

2007年に国立新美術館が開館すると、日展、二科展、新制作展、独立展、二紀展、国展など多くの大規模団体が六本木へ移りました。

同じ美術館で会期を変えて複数団体を見ると、会場規模や展示方法をそろえた状態で団体の違いを比較できます。

公募展を見るときの7つの観察ポイント

  1. どのジャンルを扱っているか
  2. 一般公募がどれくらいあるか
  3. 会員・準会員・会友などの区分
  4. 受賞作品
  5. 作品サイズ
  6. 具象・抽象など表現の幅
  7. 初心者向け解説やギャラリートークの有無

「古い団体=保守的」「新しい団体=前衛的」ではない

美術団体史を年代だけで見ると、古い団体=保守、新しい団体=革新、と考えたくなります。

しかし実際はそう単純ではありません。

二科会は1914年創立ですが、創立理念は新しい価値の尊重です。国画会は1918年の国画創作協会を源流とし、「創作の自由」を掲げます。新制作協会は1936年創立ですが、現在まで「新制作」という名前を持ち続けています。

一方、伝統を強く掲げる日本工芸会も、「昔の模倣」ではなく新しい作品を生み出すことを求めます。

団体の「年齢」より、「何を背景に生まれたか」「何を評価する仕組みをつくったか」「現在は何を目指しているか」を見る方が重要です。

主要団体の記事一覧

まとめ|美術団体の違いは「作品」だけでなく「歴史」を見ると分かる

日本には非常に多くの美術団体・公募展があります。

最初は「名前が違うだけで、どれも似ている」ように見えるかもしれません。

しかし歴史をつなげると、1889年明治美術会、1898年日本美術院、1907年文展、1912年光風会、1914年二科会、1918年国画創作協会、1922年春陽会、1924年白日会、1930年独立美術協会、1931年日本版画協会、1936年新制作協会・一水会、1947年二紀会、1948年創造美術、1954年日本伝統工芸展、1964年主体美術協会という連続した歴史が見えてきます。

その間には、官展への反発、団体からの離脱、別部門の独立、作家同士の合流、戦争による中断、戦後の再編、文化財保護制度、大規模な人的分裂がありました。

公募展を見るときに、この背景を少し知っているだけで、「なぜこの団体が存在するのか」「なぜこの作品がこの会場に並んでいるのか」が分かるようになります。

美術団体の歴史は、単なる組織の年表ではありません。

日本の作家たちが、「自分たちの作品を、誰に、どう評価してほしいのか」を考え続けてきた歴史なのです。

参考文献・公式資料