一水会は、1936年(昭和11年)に創立された洋画の公募美術団体です。
現在の一水会が掲げる創立精神は、
「西洋絵画の伝統である写実の本道を守り、安易な会場芸術を非とし、技術を重んじ高雅なる芸術をめざす」
というものです。
会名の「一水会」も独特です。
清代初期の中国の画論・技法書『芥子園画伝(かいしえんがでん)』にある「十日一水五日一石」という言葉から採られました。
十日をかけて一つの水を描き、五日をかけて一つの石を描く。
それほど入念に制作する姿勢を表す名称です。
創立者は、有島生馬、石井柏亭、木下孝則、木下義謙、小山敬三、硲伊之助、安井曾太郎、山下新太郎の8人。
その多くは二科会で活動した洋画家でした。
この記事では、なぜ二科会を離れた画家たちが一水会をつくったのか、「十日一水五日一石」の意味、写実の本道とは何か、現在の公募制度、そして2026年第87回一水会展までを初心者向けに整理します。
日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。
一水会とは?まず30秒で分かる
一水会は1936年12月22日に組織された洋画団体です。
現在の一水会展では、一般から、
- 油彩
- 水彩
- パステル
の作品を募集しています。
現在の代表は山本耕造。
本展は毎年秋に東京都美術館で開催されます。
一水会の最大の特徴は、創立時から「写実の本道」と「技術」を明確に重視してきたことです。
1935年「帝展改組」が一水会誕生の背景
一水会の創立を理解するには、1935年の帝展改組を見る必要があります。
当時、日本の洋画界には、国の展覧会制度である帝展、在野団体の二科会、春陽会、国画会、独立美術協会など、多くの発表の場がありました。
1935年、帝国美術院の制度が大きく改組されると、美術家の立場をめぐって画壇が混乱します。
この時、有島生馬、石井柏亭、安井曾太郎、山下新太郎らは二科会を離れ、帝国美術院会員となりました。
翌1936年には、木下孝則、木下義謙、小山敬三、硲伊之助も二科会を離れます。
そしてこの8人が、新しい団体をつくります。
1936年12月22日、8人が一水会を創立
東京文化財研究所の同時代記録『日本美術年鑑』は、1936年12月22日に一水会が組織されたと記録しています。
創立者は、
- 有島生馬
- 石井柏亭
- 木下孝則
- 木下義謙
- 小山敬三
- 硲伊之助
- 安井曾太郎
- 山下新太郎
の8人です。

安井曾太郎は一水会創立者の一人で、日本近代洋画を代表する画家です。
彼も二科会で長く活動した後、1935年に離れ、一水会創立へ進みました。
一水会は「二科会が名前を変えた団体」ではありません。
旧二科会の有力作家8人が、帝展改組後の新しい状況の中で別組織として立ち上げた団体です。
「写実の本道を守る」とは?
一水会公式が掲げる創立精神は、
「西洋絵画の伝統である写実の本道を守り、安易な会場芸術を非とし、技術を重んじ高雅なる芸術をめざす」
というものです。
ここでいう「写実」は、写真のように対象をコピーすることだけを意味しません。
西洋絵画が長い時間をかけて培ってきた、デッサン、構図、色彩、油彩技法、対象観察などを重視し、その上で作家自身の表現をつくる態度です。
また「会場芸術」とは、大きな展覧会場で目立つことだけを狙った、表面的・効果的な作品への批判として理解すると分かりやすいでしょう。
一水会は、派手さよりも制作の積み重ねを重視する姿勢から出発しました。
「一水会」という名前の由来
会名は石井柏亭の発案です。
中国・清朝初期の絵画技法書『芥子園画伝』の、「十日一水五日一石」という言葉から採られました。
十日かけて水を描き、五日かけて石を描く。
つまり、一つの対象を簡単に処理せず、時間をかけて入念に描くという意味です。
この名称そのものが、「技術を大切にし、時間をかけて作品をつくる」という一水会の創立精神を表しています。
1937年第1回一水会展
第1回一水会展は1937年11月26日から12月10日まで、東京府美術館で開催されました。
国立国会図書館の展覧会目録資料でも、第1回展の図録と開催日を確認できます。

現在の東京都美術館につながるこの会場は、一水会だけでなく、帝展、日展、二科展、国展など日本の主要公募展が集まる場所でした。
一水会も、創立直後からこの大規模な公募展会場を活動の中心としました。
二科会との関係をどう理解する?
一水会と二科会は歴史的に非常に近い関係があります。
有島生馬、石井柏亭、安井曾太郎、山下新太郎は二科会の創立・発展に深く関わった画家でした。
木下孝則、木下義謙、小山敬三、硲伊之助も二科会で活動しました。
しかし1930年代半ばになると、帝展改組をめぐって作家たちの立場が分かれます。
その結果、一水会という別団体が誕生しました。
したがって、「二科会から一水会へ改名した」「一水会は二科会の支部」という理解は誤りです。
作家の人的系譜は深くつながっていますが、別の美術団体です。
一水会は「写実」だけで全員同じ画風?
創立精神に「写実の本道」とあるため、一水会の作品は全部同じような写実画だと思うかもしれません。
しかし、創立者自身の作品を比べても、安井曾太郎、石井柏亭、有島生馬、小山敬三では表現が異なります。
一水会が重視したのは、特定の一つの筆触や色彩をコピーすることではなく、基礎技術、対象をよく見ること、絵画としての構成、時間をかけた制作です。
現在の展覧会でも、油彩、水彩、パステルという異なる技法の作品が公募されています。
一時期は陶芸部もあった
一水会の歴史では、絵画だけでなく陶芸を扱った時代もありました。
公式小史では1958年第20回展で陶芸部を新設したと記録されています。
一方、創立者の一人・硲伊之助の公式プロフィールでは1959年創立と記載され、資料間に1年の差があります。
陶芸部には、荒川豊蔵、今泉今右衛門、金重陶陽、酒井田柿右衛門、藤原啓など、日本陶芸史で非常に重要な作家が関わりました。
ただし、現在の一般公募は油彩・水彩・パステルであり、陶芸は募集していません。
そのため現在の一水会を「絵画と陶芸の団体」と説明するのは誤りです。
現在の一水会展の公募と審査
現在の一水会は洋画公募展
現在の一水会展は、東京都美術館の公募展分類でも「洋画」とされています。
2026年第87回展の募集作品は、油彩・水彩・パステルです。
作品は未発表に限られます。
コンピューターで原画をつくり、印刷した作品は受理しないことも明記されています。
一水会が、手による絵画制作と技術を現在も重視していることが分かります。
2026年第87回展の応募条件
2026年第87回展では、1人2点まで出品できます。
作品サイズは30号以上、F100号まで。Sサイズは80号まで。
一般出品手数料は15,000円。
40歳未満は5,000円です。
入選者には別途、図録協力費10,000円が必要です。
すべての出品作品が審査を受け、入選作品だけが会場に展示されます。
初入選の中でも優秀な作品には特別賞が与えられます。
審査体制
2026年度は、全運営委員、年度担当の委員18人、外部審査員2人が審査に関わります。
外部審査員は清水康友、橋本善八。
公募団体内部の作家だけでなく、外部の視点も加えて審査する仕組みです。
現在の作家区分
一水会では、長年の出品・評価を通じて、一般出品者、会友、会員、委員などの段階へ進む仕組みがあります。
現在の公式サイトでは、委員・会員などの作品やプロフィールも紹介されています。
一度入選して終わる展覧会ではなく、継続的に出品しながら作家活動を深める場として機能しています。
2026年第87回一水会展

2026年第87回一水会展は、2026年9月19日~10月4日に東京都美術館で開催されます。
会場はロビー階第1・第2・第3・第4展示室。
休館日はありません。
最終日は13時入場締切、14時閉会です。
2026年の本展後には、大阪・名古屋・金沢へ巡回します。
※本記事作成時点では第87回展の開催前です。実際に訪問した現地レポートは別記事として制作します。
初めて一水会展を見るなら
1. 筆触と絵具を見る
Web画像では分かりにくい油彩の厚み、筆の運び、下地などを見ると、「技術を重んじる」という団体の考え方が実感できます。
2. 写実=写真そっくり、ではない
人物や風景を見ながら、作家がどこを強調し、どこを省略しているかを見ると、作家ごとの違いが分かります。
3. 初入選・受賞作品を見る
一水会は新人育成も重視しています。
一般公募の中からどの作品が評価されたかを見ると、その年の傾向をつかみやすくなります。
4. 二科展と比較する
一水会創立者の多くは二科会で活動していました。
現在の二科展と一水会展を両方見ると、一つの歴史的系譜から異なる団体がどう発展したかを比較できます。
白日会・光風会と何が違う?
白日会、光風会、一水会はいずれも具象を重視する作家が多い団体ですが、成立事情は異なります。
光風会は1912年、白馬会解散後に創立。
白日会は1924年、会派を横断する研究団体として創立し、戦後に「写実の王道」を明確化。
一水会は1936年、二科会を離れた有力洋画家たちが「写実の本道」と「技術」を明確に掲げて創立しました。
一水会では、創立時から写実と技術への姿勢が明文化されていたことが大きな特徴です。
まとめ|一水会の名前そのものが制作姿勢を表している
一水会は1936年12月22日、有島生馬、石井柏亭、木下孝則、木下義謙、小山敬三、硲伊之助、安井曾太郎、山下新太郎の8人によって創立されました。
背景には、帝展改組と二科会からの離脱があります。
彼らが掲げたのは、「写実の本道を守る」「技術を重んじる」「安易な会場芸術を避ける」という考え方でした。
そして「一水会」という名前も、「十日一水五日一石」という、時間をかけて丁寧に描く姿勢から取られています。
第1回展は1937年。
現在も油彩・水彩・パステルの公募展として続いています。
一水会展を見るときは、「リアルな絵が並ぶ展覧会」だけではなく、「90年前に“時間をかけ、技術を磨き、対象と向き合う”ことを掲げた団体が、今その考えをどう表現しているか」という視点を持つと、より深く楽しめます。
美術団体・公募展シリーズ
日本の美術団体・公募展の全体像|二科会・二科展|白日会・白日会展|光風会・光風会展

