二紀会とは?「第二の紀元」から始まった二紀展の歴史と特徴を初心者向けに解説

1947年の第二紀会創立者の一人である画家・熊谷守一の肖像

「二紀展」という名前を見て、「二科展と関係があるの?」「“二紀”とは何の略?」と思う人は少なくありません。

実際、二紀会の歴史は二科会と深くつながっています。ただし、二紀会は二科会の単なる別名でも、二科会の第二部門でもありません。

二紀会は1947年(昭和22年)、戦前の二科会で活動していた9人の画家が、「美術の第二の紀元を画する」という意図のもとに「第二紀会」を創立したことから始まります。

戦争で日本の美術界が大きく断絶したあと、戦前の二科会を「第一期」と見なし、戦後に新しい時代を始めようとしたのです。

その後、名称は「二紀会」となり、1951年には彫刻部を設置。現在は絵画・彫刻の2部門を持つ全国規模の公募美術団体として活動しています。

この記事では、なぜ「二紀」という名前なのか、戦前の二科会とどうつながるのか、創立者9人は誰だったのか、戦後どのように発展したのか、そして現在の二紀展はどんな仕組みなのかを初心者向けに整理します。

日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。

二紀会とは?まず30秒で分かる

二紀会は、1947年に「第二紀会」として創立された美術団体です。

創立したのは、戦前の二科会で活動していた、

  • 熊谷守一
  • 栗原信
  • 黒田重太郎
  • 田村孝之介
  • 中川紀元
  • 鍋井克之
  • 正宗得三郎
  • 宮本三郎
  • 横井礼市

の9人です。

二紀会公式の略史では、戦前の二科会の活動を「第一期」とし、戦後に「美術の第二の紀元を画する」という考えから第二紀会を創立したと説明しています。

現在の二紀会は一般社団法人で、絵画部・彫刻部の2部門から構成されています。

2026年3月31日現在、

  • 委員118人
  • 会員167人
  • 準会員303人
  • 一般応募者 約500人
  • 全国37支部

という規模です。

毎年秋に開催される「二紀展」は、公募によって一般からも作品を受け付け、審査を経て入選作品を展示する全国規模の公募展です。

「二紀」は「二科」の略ではない|名前の意味

二紀会の名前は、二科会と関係があります。

しかし「二科」を縮めて「二紀」としたわけではありません。

二紀会公式は、1947年の創立について、

「美術の第二の紀元を画する」

という意図から「第二紀会」と名付けたと説明しています。

ここでの「紀元」は、新しい時代の始まりという意味です。

では、なぜ「第二」なのでしょうか。

二紀会の公式略史PDFでは、1914年に成立した二科会が1944年に解散したことを説明したうえで、旧二科会の活動を「第一期」と位置づけています。

つまり、

戦前の二科会 → 戦争による断絶 → 戦後の「第二の紀元」

という意識が、「第二紀会」という名前に込められていました。

この名称は、戦前の美術活動をそのまま復活させるのではなく、戦後の時代にふさわしい新しい美術団体を始めようとした姿勢を表しています。

二紀会の前史|1914年の二科会から1944年の解散まで

二紀会の歴史を理解するには、戦前の二科会まで戻る必要があります。

二科会は1914年、文部省美術展覧会(文展)の洋画部に「第二科」を設けるよう求めた画家たちが、要求を受け入れられなかったことから独自展を始めた団体です。

その後、二科展は日本の代表的な在野美術展の一つとして発展しました。

二紀会を創立した9人も、この戦前の二科会で活動した画家たちです。

例えば熊谷守一は、独特の簡潔な形と色彩で知られる画家です。

宮本三郎は、戦前から二科会で活動し、戦時中には従軍画家として戦争記録画にも関わりました。

1942年に南方戦線へ派遣された藤田嗣治、宮本三郎、小磯良平
南方戦線へ派遣された従軍画家。左から藤田嗣治、宮本三郎、小磯良平、1942年(陸軍美術協会/Public Domain/Wikimedia Commons)

この写真中央に写る宮本三郎は、戦後の第二紀会創立者の一人となり、1967年に二紀会が社団法人化した際には初代理事長を務めます。

しかし戦争末期の1944年、第30回二科展を最後に二科会は解散しました。

ここで戦前の一つの時代が終わります。

戦後、旧二科会の作家たちは全員が同じ道を選んだわけではありません。

再建された二科会へ戻る人もいれば、別の道を選ぶ人もいました。

その中で熊谷守一、宮本三郎ら9人が選んだのが、新しい団体「第二紀会」の創立でした。

1947年、旧二科会の9人が第二紀会を創立

1947年の第二紀会創立者の一人である画家・熊谷守一の肖像
熊谷守一、1951年以前/Wikimedia Commons(Public Domain)

1947年、熊谷守一、栗原信、黒田重太郎、田村孝之介、中川紀元、鍋井克之、正宗得三郎、宮本三郎、横井礼市の9人によって第二紀会が創立されました。

この9人は全員、旧二科会の会員でした。

ただし、第二紀会は「二科会をそのまま再建した団体」ではありません。

戦後には二科会そのものも別に再結成されています。

第二紀会は、旧二科会の一部の画家たちが、戦前の活動を踏まえながら「第二の紀元」として新たに創設した別組織です。

この違いは、美術団体の系譜を理解するうえで重要です。

二科会 → 戦争で解散 → 戦後に二科会再建

という流れと、

旧二科会会員9人 → 第二紀会創立 → 二紀会へ発展

という流れが並行して存在します。

第1回第二紀会展は1947年9月、東京都美術館で開催

1947年第1回第二紀会展の会場となった旧東京都美術館の建物
旧東京府美術館(後の東京都美術館旧館)/国立国会図書館・Wikimedia Commons(Public Domain)

第1回第二紀会展は1947年9月、東京都美術館で開催されました。

東京展の後、

  • 10月 名古屋・松坂屋
  • 11月 大阪・阪急

でも開催されています。

創立した9人は「展覧会委員」となり、第1回展から新しい同人組織を導入しました。

二紀会公式の記録では、企画運営は同人から選ばれた実行委員・会務委員が担ったとされています。

また、第1回展から「二紀賞」「K氏賞」「奨励賞」などが設けられ、新人を評価する仕組みも始まっています。

これは現在まで続く二紀会の特徴につながります。

作品を展示するだけでなく、公募・審査・受賞・推挙を通じて新しい作家を育てることが、創立時から重要な役割だったのです。

二紀会が掲げた4つの考え方

二紀会の50年史では、会の主張が次のように整理されています。

  1. 美術の価値を「新しい流派か古い流派か」という分類だけで判断しない
  2. 具象・非具象という単純な区分にこだわらない
  3. 流行に振り回されず、新しい価値と創造的な個性を尊重する
  4. 情実を排して新人を積極的に抜擢する

この考え方は、二紀会を理解するうえで非常に重要です。

「二紀会らしい画風」を一つ探すより、「具象か抽象かに関係なく、個人の創造性をどう評価しているか」を見る方が、二紀会の理念に近いのです。

特に「新人を抜擢する」という方針は、現在の公募制度や春季二紀展にもつながっています。

1950年に造型部、1951年に彫刻部を設置

創立当初の第二紀会は絵画を中心とした団体でした。

しかし1950年には造型部を設置します。

この造型部は1954年に解散しました。

さらに1951年8月、彫刻部が新たに設けられます。

創設時の彫刻部委員には、

  • 川上全次
  • 菅沼吾郎
  • 中川為延
  • 松村外次郎
  • 八柳恭次

が名を連ねました。

以後、二紀会は絵画・彫刻の二本柱を持つ団体として発展します。

現在もこの構成は続いています。

宮本三郎、鴨居玲、宮永岳彦、真鍋博――多様な作家が参加

二紀会には、その後の日本美術・デザイン史で重要になる多くの作家が参加しました。

創立者の宮本三郎、熊谷守一のほか、

  • 鴨居玲
  • 宮永岳彦
  • 真鍋博
  • 児玉幸雄
  • 遠藤彰子

など、多様な表現を持つ作家が二紀展で活動しています。

例えば真鍋博は、後にイラストレーションや書籍装丁でも広く知られるようになりますが、1955年の第9回二紀展で二紀賞を受賞しています。

鴨居玲も若い時期に二紀展で活動しました。

ここでも二紀会の特徴が見えます。

創立時から「流派の新旧に価値を置かない」「具象・非具象を論じない」と掲げたため、特定の一様な画風だけを集める団体ではありませんでした。

1967年に社団法人化|初代理事長は宮本三郎

二紀会は創立から20年を迎えた1967年、社団法人二紀会となりました。

初代理事長は創立者の宮本三郎です。

公式略史は、この法人化について、国際的な文化交流が活発になる時代に対応するため、会の機構を整備・近代化する目的があったと説明しています。

その後、田村孝之介、宮永岳彦、成井弘、山本貞らが理事長を務めました。

2012年には公益法人制度改革に伴い、一般社団法人二紀会へ移行。

2026年現在の会長は山本貞、理事長は南口清二です。

現在の二紀会はどれくらい大きい?

2026年3月31日現在、二紀会公式が示している規模は次の通りです。

区分人数・規模
委員118人
会員167人
準会員303人
一般応募者約500人
支部全国37支部

現在の部門は絵画部と彫刻部です。

また全国の支部では、地域展、研究会、作品批評、二紀展への搬入支援などが行われています。

二紀会公式は、支部活動について初心者や美術愛好者にも参加を開いていると説明しています。

つまり二紀会は、東京の本展だけで完結する組織ではありません。

全国の支部活動から本展、公募、研究会までが一つにつながっています。

二紀展は誰でも応募できる?

二紀展は公募展です。

2026年第79回展の出品規約では、年齢を問わず応募できます。

一般出品では、絵画・彫刻を募集しています。

作品は自己の創作による未発表作品が基本です。

一般出品料は2点まで15,000円で、25歳以下は10,000円。

絵画は30号以上100号以下、彫刻にも高さ・面積・重量の規定があります。

応募した作品はすべて展示されるわけではありません。

二紀会の委員による審査を経て、入選した作品が国立新美術館に展示されます。

また2026年の規約には、本展出品者は「性質を同じくする他の公募展に出品しないものとする」という規定もあります。

公募展には団体ごとに応募条件が異なるため、「誰でも自由に同じ作品を複数の公募展へ出せる」というわけではないことも分かります。

受賞するとどうなる?二紀展の賞と作家区分

2026年第79回展では、文部科学大臣賞、東京都知事賞、二紀賞、優賞、奨励賞、準会員優賞、準会員賞、会員優賞、会員賞、宮本賞、田村賞、宮永賞、成井賞、黒田賞、鍋井賞、栗原賞、小島賞、恩田賞、佐伯賞、SOMPO美術館賞、新人奨励北原賞など、多数の賞が設けられています。

二紀会では、一般出品者、準会員、会員、委員といった段階があります。

長く出品し受賞や評価を重ねることで、より上の区分へ推挙されていきます。

つまり二紀展は、単に一度作品を展示するイベントではありません。

継続的に出品し、批評を受け、評価されながら作家として成長していく仕組みを持っています。

春季二紀展は「新人を前に出す」展覧会

二紀会では本展とは別に「春季二紀展」も開催しています。

春季展は隔年開催です。

2026年3月には、東京都美術館で第17回春季二紀展が開かれました。

春季展の特徴は、若手・新人へ注目が集まりやすい構成にしていることです。

二紀会公式は、準会員・一般出品者には大きな作品を出せる一方、会員以上は小型作品に制限することで、若手出品者を目立たせる仕組みにしていると説明しています。

2026年の春季展でも、新人選抜大賞、新人選抜優賞、新人選抜奨励賞などが絵画・彫刻それぞれに設けられました。

創立以来掲げる「新人を抜擢し積極的に世に送る」という考え方が、現在の制度にも表れています。

2007年から国立新美術館へ

二紀展は長く東京都美術館を中心に開催されてきました。

2007年の第61回展から、東京展の会場は国立新美術館へ移ります。

二紀展の東京会場となる六本木の国立新美術館
二紀展の東京会場・国立新美術館。撮影:Yo Hibino/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

国立新美術館は、国内最大級の展示スペースを持つ美術館で、公募展の主要会場として利用されています。

二紀展では現在、館内展示だけでなく彫刻作品のため野外展示場も使用します。

絵画と彫刻を同時に見ることができる点も、二紀展の特徴です。

2026年第79回二紀展はいつ?どこで開催?

2026年の第79回二紀展は、2026年10月14日(水)~10月26日(月)に国立新美術館で開催されます。

休館日は10月20日(火)。

使用するのは、展示室1C・1D、展示室2C・2D、展示室3B、野外展示場C・Dです。

作品ジャンルは絵画・彫刻。

観覧料は一般1,000円、20人以上の団体は800円。

大学生以下、70歳以上、障害者手帳を持つ人と付添者1人までは無料です。

最終日は午後2時30分閉会、入場は午後2時までです。

10月17日には国立新美術館講堂で授賞式と美術講演会が予定されています。

批評会・美術研究会も実施予定です。

また本展終了後、その一部による全国主要都市への巡回展も予定されています。

※本記事では公式発表に基づく2026年の情報を紹介しています。実際に第79回二紀展を訪れた現地レポートは別記事として制作します。

2026年は独立展と二紀展を同じ日に比較できる

2026年第79回二紀展と第93回独立展は、どちらも2026年10月14日~26日、どちらも国立新美術館で開催されます。

しかも展示室は隣接しています。

独立展は洋画のみ。

二紀展は絵画・彫刻。

両団体は成立した時代も違います。

独立美術協会は1930年、戦前の若い洋画家たちによって創立。

二紀会は1947年、旧二科会会員9人が戦後の「第二の紀元」として創立。

同じ日に両方を見ると、作品の大きさ、具象/抽象の幅、受賞作、一般出品者と会員作品、彫刻の有無、会場構成、団体が作品をどう見せているかを直接比較できます。

美術団体の違いを文章だけでなく実際の展覧会で理解するには、非常に良い機会です。

二科会・独立美術協会・新制作協会と何が違う?

戦前から戦後にかけて生まれた主要な在野美術団体を比べると、二紀会の位置が分かりやすくなります。

団体創立・起点現在の主な分野
二科会1914年、文展に「第二科」を求めた画家たちが独自展を開始絵画・彫刻・デザイン・写真
独立美術協会1930年、一九三〇年協会の流れと複数団体から若手が合流洋画
新制作協会1936年、帝展改組後に官展参加を拒んだ若手が創立絵画・彫刻・スペースデザイン
二紀会1947年、旧二科会会員9人が「第二の紀元」として創立絵画・彫刻

二紀会は、この中では戦後に誕生した団体です。

しかし、その創立者は戦前の二科会を経験した世代でした。

そのため、戦前の在野美術団体の歴史と、戦後美術の再出発をつなぐ位置にあります。

まとめ|「二紀」という名前は戦後美術の再出発を表している

二紀会は1947年、旧二科会会員9人によって「第二紀会」として始まりました。

「二紀」という名前は「二科」の略ではありません。

戦前の二科会活動を第一期とし、戦争後の新しい美術を「第二の紀元」として始めようという意思を表した名称です。

1950年には造型部、1951年には彫刻部を設置。

1967年には社団法人化し、宮本三郎が初代理事長となりました。

現在は絵画・彫刻の2部門、委員118人、会員167人、準会員303人、一般応募者約500人、全国37支部という規模で活動しています。

そして現在の二紀展も、単に長い歴史を持つ公募展ではありません。

「流派の新旧で価値を決めない」「具象・非具象にとらわれない」「創造的な個性を尊重する」「新人を抜擢する」という考え方を、現在の公募・審査・春季展・支部活動へつなげています。

第79回二紀展を見るときは、作品だけでなく、「戦後の“第二の紀元”として始まった団体が、現在どんな新しい表現を選んでいるのか」という視点を持つと、二紀展の歴史がより立体的に見えてきます。

美術団体・公募展シリーズ

日本の美術団体・公募展の全体像|二科会・二科展|独立美術協会・独立展

参考文献・確認資料