「版画展」という名前だけを見ると、木版画だけが並ぶ展覧会を想像するかもしれません。
しかし、日本版画協会が主催する「版画展」は、木版だけでなく、銅版、リトグラフ、シルクスクリーンなど、多様な「版」の表現を扱う現代版画の大規模公募展です。
日本版画協会の設立は1931年(昭和6年)。
その直接の前身には、1918年に山本鼎(やまもと・かなえ)らが結成した日本創作版画協会と、1929年に結成された洋風版画会がありました。
さらに時代をさかのぼると、明治末から大正期に広がった「創作版画運動」に行き着きます。
浮世絵では一般に、絵を描く絵師、版木を彫る彫師、紙に摺る摺師が分業していました。
これに対して創作版画の作家たちは、作品を構想し、自ら版をつくり、自ら摺ることを重視しました。
つまり日本版画協会の歴史は、「版画を複製技術ではなく、作家自身の表現として確立していく歴史」でもあります。
この記事では、山本鼎《漁夫》、日本創作版画協会、恩地孝四郎、1931年の日本版画協会設立、現代版画の多様化、現在の公募制度、そして2026年第93回版画展までを初心者向けに整理します。
日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。
日本版画協会とは?まず30秒で分かる
日本版画協会は1931年1月に設立された版画家の団体です。
現在の正式名称は一般社団法人日本版画協会。
英語名は The Japan Print Association です。
1931年、日本創作版画協会を中心に、洋風版画会と無所属の作家たちが結集し、岡田三郎助を会長として発足しました。
日本版画協会の公式展覧会図録では、発足時の会員は42名とされています。
現在も毎年「版画展」を開催し、一般から作品を公募しています。
2026年は第93回版画展です。
日本版画協会の前史|「創作版画」とは何だったのか
日本の版画と聞くと、まず浮世絵を思い浮かべる人が多いでしょう。
江戸時代の浮世絵版画では一般に、絵師が絵を描き、彫師が版木を彫り、摺師が紙に摺るという分業が行われていました。
これは高度に専門化された制作システムです。
ところが明治末から、自分で描き、自分で彫り、自分で摺ることで、版画を画家自身の直接的な表現にしようとする動きが強まります。
これが「創作版画」と呼ばれる運動です。
須坂版画美術館は、日本創作版画協会の歴史を説明する中で、従来の分業に対し「すべての工程を一人で作家が行う」版画が明治末からつくられるようになったと紹介しています。
1904年、山本鼎《漁夫》が象徴する転換

創作版画史を語るとき、頻繁に登場するのが山本鼎の《漁夫(ぎょふ)》です。
1904年に制作された木版画で、山本自身が下絵だけでなく彫り・摺りまで行った作品として知られています。
この作品一枚だけから日本の創作版画運動が突然始まったわけではありません。
しかし、「版画を誰かに複製してもらうのではなく、自分自身でつくる」という考え方を象徴する重要な作品です。
山本鼎はその後、1918年の日本創作版画協会、1931年の日本版画協会の双方に関わります。
1918年、日本創作版画協会が結成される
1918年、日本創作版画協会が結成されました。
Art Platform Japanは活動期間を1918年から1931年としています。
須坂版画美術館は、結成に山本鼎、織田一磨、戸張孤雁、寺崎武男らが関わったと説明しています。
翌1919年から1928年までに8回の展覧会を開催。
版画を独立した美術表現として社会に認めてもらうこと、作家同士が研究・発表できる場をつくることに大きな役割を果たしました。
この団体が、後の日本版画協会の最も重要な母体となります。
版画は当時、美術界でまだ弱い立場だった
現在では、美術大学に版画専攻・版画コースがあり、美術館でも版画が独立したジャンルとして展示されます。
しかし20世紀初頭には、版画は油彩画や日本画などと比べ、独立した「美術」としての制度的な位置づけが十分ではありませんでした。
創作版画の作家たちは、「版画も絵画と同じように作家の表現である」ことを社会へ示す必要がありました。
日本版画協会の古い公式図録は、前身・日本創作版画協会の課題として、帝展に版画を受理させること、美術教育の中に版画を位置づけること、定期展覧会を開くことなどを挙げています。
現在当たり前に見える「版画という美術ジャンル」は、作家たちの活動によって制度の中に場所を獲得していったのです。
恩地孝四郎と抽象版画

日本版画協会の歴史を理解するうえで、恩地孝四郎(おんち・こうしろう)は欠かせません。
恩地は版画家であるだけでなく、詩人、装幀家、写真家などとしても活動しました。
1914年、田中恭吉、藤森静雄とともに詩と版画の雑誌『月映(つくはえ)』を刊行。
1915年の《抒情 あかるい時》は、日本における初期の抽象表現を代表する作品として紹介されています。
つまり創作版画運動は、「自分で彫って摺る」という制作方法だけの運動ではありません。
版という技法を使って、それまでにない抽象・造形・詩的表現を生み出す場にもなりました。
恩地は1918年の日本創作版画協会で活動し、1931年には日本版画協会の創立会員となります。
戦後に恩地の創作版画から刺激を受け、木版による抽象表現を発展させた内間安瑆については、「内間安瑆・俊子展|東京とニューヨークをつないだ木版画・コラージュと戦後美術」で、日米の戦後美術ネットワークとあわせて紹介しています。
1929年、もう一つの流れ「洋風版画会」
1931年の日本版画協会は、日本創作版画協会だけから生まれたわけではありません。
1929年には「洋風版画会」が結成されました。
このグループには岡田三郎助ら、油彩画を中心に活動しながら版画にも取り組む作家が参加しました。
日本創作版画協会の作家だけではなく、洋風版画会、無所属の版画家が合流することで、より大きな全国組織をつくる動きが進みます。
1931年、日本版画協会が発足|42人の大同団結
1931年1月、日本版画協会が発足しました。
公式の第89回版画展図録では、日本創作版画協会、洋風版画会、無所属作家が結集したと説明されています。
発足時の会員は42名。
会長は岡田三郎助でした。
主要な創立メンバーには、
- 旭正秀
- 石井鶴三
- 織田一磨
- 恩地孝四郎
- 川上澄生
- 小泉癸巳男
- 永瀬義郎
- 長谷川潔
- 平塚運一
- 藤森静雄
- 逸見享
- 前川千帆
- 山本鼎
らがいました。
木版だけでなく、銅版、石版など異なる技法・経歴を持つ作家が集まった点が重要です。
日本版画協会は、特定の一技法を守る団体ではなく、日本の「版画」全体を発展させる組織として始まったのです。
第1回版画展は1931年9月
第1回版画展は1931年9月に開催されました。
その後、日本版画協会は定期展を継続します。
公式図録によれば、年次展が開催されなかったのは、1934年、1945年、2020年です。
1934年はパリ展を開催した年。
1945年は終戦時の混乱。
2020年は新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言の時期です。
この3回を除き、長期にわたって年次展を続けてきたことが、2026年の「第93回」という数字につながっています。
海外へも版画を紹介した
日本版画協会は国内の公募展だけを行ってきたわけではありません。
1934年にはパリで日本現代版画展を開催。
恩地孝四郎の年譜などからも、1930年代に日本の現代版画を欧米へ紹介する活動が行われたことが確認できます。
版画は紙を支持体とする作品が多く、油彩や大型彫刻と比べると輸送しやすいという特徴もあります。
日本の近代版画は、海外展や国際交流を通じて国際的な評価を得ていきました。
現在の版画表現と版画展
「版画=木版画」ではない
現在の日本版画協会を理解するうえで重要なのが、版画=木版画ではないという点です。
版画には大きく、
- 凸版――木版など
- 凹版――銅版、エッチングなど
- 平版――リトグラフなど
- 孔版――シルクスクリーンなど
さまざまな技法があります。
さらに現代では、複数技法の組み合わせや新しい素材・技術を取り入れた「版表現」も発展しています。
銅版画家・渡辺千尋が収集したポーランド・ポスターについては、「ポーランド・ポスター2|1989年東欧革命の前後、ポスターはどう変わった?」で紹介しています。日本の創作版画史とは異なる流れですが、版画家が印刷文化に向けた関心を知る例として参照できます。
国立新美術館の過去の日本版画協会巡回展も、テクノロジーの進歩によって「版」の表現方法が多様化していることを紹介しています。
版画展を見るときは、「何が描かれているか」だけでなく、「どんな版を使い、どう紙や素材へ像を移したのか」を見ると面白くなります。
現在の版画展は新人の登竜門
日本版画協会は、会員作品を展示するだけではありません。
一般公募を通じて新しい作家を発掘することを大きな役割としています。
公式図録も、国内外を問わず新人作家を発掘・育成し、「新進版画家の登竜門」として活動してきたと説明しています。
2026年第93回版画展でも、一般公募が行われています。
2026年第93回版画展の公募制度
2026年第93回版画展では、一般公募作品がサイズによってA・Bの2部門に分けられています。
A部門
額外寸75cm以上200cm以内。1人2点まで。出品料10,000円。
B部門
額外寸75×75cm未満。1人3点まで。出品料10,000円。
U30
30歳以下は出品料5,000円。若手作家の応募負担を下げる制度です。
賞には、日本版画協会賞30万円、沼津市山口源新人賞25万円+受賞作品買上げ、新人賞15万円+受賞作品買上げ、A部門奨励賞、B部門奨励賞、ギャラリー賞などがあります。
公募条件・賞金は年度によって変更される可能性があるため、応募時にはその年の公式要項を確認する必要があります。
2026年第93回版画展の日程

2026年第93回版画展は、2026年10月9日(金)~10月22日(木)、東京都美術館で開催予定です。
2026年8月10日付の武蔵野美術大学案内では、開場9:30~17:30、休館日は10月19日(月)とされています。
東京都美術館の年間公募団体展予定では、日本版画協会の施設使用期間を10月6~22日と掲載していますが、一般観覧用の案内としては10月9日開始の情報が示されています。
入場料については、2026年の確実な公式値を確認できなかったため、本記事では記載していません。
※本記事作成時点では第93回版画展の開催前です。ユーザーが訪問した現地レポートではありません。
日本版画協会と「日本版画会」は別団体
非常に紛らわしい名称があります。
「日本版画協会」と「日本版画会」は別の団体です。
日本版画協会は1931年設立で、この記事で扱っている団体です。
一方、日本版画会は別組織として「日本版画会展」を開催しています。
2026年にも東京都美術館で別の日程に日本版画会展が予定されています。
検索すると両者の情報が混ざりやすいため、「協会」なのか「会」なのかを確認することが重要です。
国画会版画部・春陽会版画部との違い
日本の主要美術団体には、日本版画協会以外にも版画部があります。
日本版画協会は、団体そのものが版画専門であることが最大の違いです。
そのため一つの展覧会で、異なる版種・サイズ・表現をまとめて比較できます。
初めて版画展を見るなら、何を見る?
1. 技法名を見る
木版、銅版、リトグラフ、シルクスクリーンなど、作品表示に技法があれば確認してください。
同じ黒い線でも、版の作り方によって質感が全く違います。
2. 紙の質感を見る
版画は紙そのものも作品表現の一部です。
和紙、洋紙、厚い紙、薄い紙など、光の反射やインクの沈み方を近くで見ると違いが分かります。
3. 大作と小作品を比較する
2026年公募でもA・B部門がサイズによって分かれています。
大型作品と小型作品で「版」の使い方がどう変わるかを見ると面白くなります。
4. 新人賞・協会賞を見る
新人の登竜門という団体の役割を理解するなら、受賞作を見るのが早い方法です。
まとめ|日本版画協会は「版画を作家自身の美術にする」運動から生まれた
日本版画協会は1931年、日本創作版画協会、洋風版画会、無所属作家が結集して誕生しました。
その背景には、明治末からの創作版画運動があります。
山本鼎《漁夫》に象徴される「自分自身で版をつくり、摺る」という考え方。
1918年の日本創作版画協会。
恩地孝四郎が開拓した抽象表現。
そして1931年、42人による日本版画協会の発足。
これらはすべて、「版画は単なる複製ではなく、作家が直接つくる独立した美術である」という考えにつながっています。
現在の版画展では、木版だけでなく、銅版、リトグラフ、シルクスクリーンなど幅広い表現を見ることができます。
約100年前の作家たちが版画の地位を確立しようとした運動が、現在の多様な版表現へどうつながったのか。
その視点を持つと、版画展が単なる「版画作品の集合」ではなく、日本近代美術の一つの運動の現在形として見えてきます。
美術団体・公募展シリーズ
日本の美術団体・公募展の全体像|国画会・国展|春陽会・春陽展
参考文献・確認資料
- 一般社団法人日本版画協会
- 一般社団法人日本版画協会「About us」
- 一般社団法人日本版画協会「最新の版画展情報」
- 一般社団法人日本版画協会「版画技法」
- 日本版画協会『第89回版画展図録』
- Art Platform Japan「日本版画協会」
- Art Platform Japan「日本創作版画協会」
- 国立国会図書館 Web NDL Authorities「日本版画協会」
- 須坂版画美術館「日本創作版画協会 100年の歩み 展」
- Art Platform Japan「恩地孝四郎《抒情 あかるい時》」
- 武蔵野美術大学「第93回版画展」
- 東京都美術館「令和8(2026)年度 公募団体展・学校教育展一覧」
- 日本版画会(別団体)
- Wikimedia Commons「Onchi 1915.jpg」
