創画会とは?創造美術から新制作協会日本画部を経て創画展へ|歴史と特徴を初心者向けに解説

1948年の創造美術結成に参加した日本画家・秋野不矩の1955年の肖像

「創画展」という名前を聞いても、「院展とは何が違うの?」「創画会はいつできた団体なの?」と聞かれると、少し分かりにくいかもしれません。

創画会は、現在、日本画の公募展「創画展」と「春季創画展」を開催する美術団体です。

ただし、その歴史は1974年の「創画会」結成から突然始まったわけではありません。

1948年、第二次世界大戦後の日本画壇で、秋野不矩(あきの・ふく)、上村松篁(うえむら・しょうこう)、福田豊四郎(ふくだ・とよしろう)、山本丘人(やまもと・きゅうじん)ら13人が「創造美術」を結成しました。

彼らが掲げたのは、「世界性に立脚する日本絵画の創造」。

1951年には新制作派協会と合流して「新制作協会日本画部」となり、23年間にわたって新制作展の中で活動します。

そして1974年、日本画部の会員37人全員が新制作協会を離れ、新たに「創画会」を結成しました。

つまり、

創造美術 → 新制作協会日本画部 → 創画会

という三段階の歴史を持つ団体なのです。

この記事では、創画会がなぜ生まれたのか、戦後の日本画壇で何を変えようとしたのか、新制作協会との関係、創画展の公募制度、院展・日展との違い、そして現在の活動まで初心者向けに整理します。

日本の主要な美術団体・公募展の全体像は、日本の美術団体・公募展の歴史と違いで整理しています。

創画会とは?まず30秒で分かる

創画会は、日本画の公募美術団体です。

現在は一般社団法人創画会として、

  • 秋の「創画展」
  • 東京春季創画展
  • 京都春季創画展

を開催しています。

創画会公式は、自らの歴史の起点を1948年の「創造美術」結成に置いています。

その後、1948年に創造美術、1951年に新制作協会日本画部、1974年に創画会と組織の形を変えてきました。

現在の創画会が掲げているのは、「自由と創造の精神」のもとで現代の日本画表現を追求することです。

正会員全員が審査と展覧会運営を担うことも特徴です。

なぜ1948年に「創造美術」が生まれたのか

創画会の歴史は、第二次世界大戦直後の1948年1月26日に始まります。

創造美術が結成されたのです。

東京文化財研究所の当時の記録は、創造美術について、「世界性に立脚する日本絵画の創造」を目指して結成された在野日本画団体と説明しています。

創画会公式の沿革では、創造美術は「在野精神を尊重し自由と独立を標榜」して結成されたとされています。

ここでいう「在野」とは、政府系の展覧会制度の中心から距離を置き、自分たち自身で作品発表や評価の場をつくろうとする立場です。

戦前から続く官展・日展の制度が戦後も大きな影響力を持つ一方で、新しい時代の日本画をつくろうとする作家たちは、別の場を必要としていました。

京都国立近代美術館も、創造美術について、戦後の民主主義時代にふさわしい新しい日本画団体として社会的にも注目されたことを紹介しています。

「世界性に立脚する日本絵画」とは何だったのか

創造美術の宣言で特に重要なのが、「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」という考え方です。

これは、「日本画を西洋画に変える」という意味ではありません。

戦前から受け継がれてきた日本画の材料・技法・伝統を単に保存するのではなく、世界の美術と同じ時代を生きる絵画として、日本画をもう一度つくり直そうという問題意識でした。

戦後の日本では、社会制度も価値観も大きく変化していました。

美術の世界でも、「日本画とは何なのか」「伝統はどう受け継ぐのか」「西洋美術とどう向き合うのか」「現代の作家は何を描くべきなのか」という問いが改めて突きつけられます。

創造美術は、その問いに対して「自由」「独立」「世界性」という言葉で応えようとした団体でした。

創立した13人は誰だった?

創造美術の創立会員は13人でした。

創画会公式が挙げているのは、

  • 秋野不矩
  • 上村松篁
  • 奥村厚一
  • 加藤栄三
  • 菊池隆志
  • 沢宏靱
  • 高橋周桑
  • 橋本明治
  • 広田多津
  • 福田豊四郎
  • 向井久万
  • 山本丘人
  • 吉岡堅二

です。

東京と京都の日本画家が共同で立ち上げたことも重要です。

特定の一つの師弟集団が、そのまま新団体をつくったわけではありません。

官展などで実績を持ちながらも、新しい日本画を求めた東西の作家たちが集まったのです。

1948年の創造美術結成に参加した日本画家・秋野不矩の1955年の肖像
秋野不矩、1955年。『アサヒグラフ』/Wikimedia Commons(Public Domain)

秋野不矩は創造美術の創立会員の一人です。

後年、インドへの滞在を契機として独自の風景表現を発展させ、文化勲章を受章する日本画家となりました。

上村松篁も、戦前には帝展・日展系で活躍していましたが、戦後の審査制度への失望を経て創造美術の結成に加わります。

創立者たちの経歴を見るだけでも、創造美術が「無名の新人だけがつくった反体制グループ」ではなく、既存制度の中ですでに評価を得ていた中堅作家が自ら新しい場をつくった運動だったことが分かります。

第1回創造展は1948年、東京都美術館で開催

1948年9月、東京都美術館で第1回創造展が開催されました。

1948年第1回創造展の会場となった旧東京都美術館の建物
旧東京府美術館(後の東京都美術館旧館)/国立国会図書館・Wikimedia Commons(Public Domain)

第1回展の会期は1948年9月18日から10月2日。

東京の後、京都・大阪でも開催されました。

翌1949年には東京と京都で春季展も始まり、同年から東京・京都それぞれで毎月研究会も開かれています。

つまり創造美術は、年1回の展覧会だけを開催する団体ではありませんでした。

本展 → 春季展 → 研究会という仕組みを早い段階から持ち、作品を発表しながら継続的に研究する場をつくっていました。

現在の創画会が、秋の創画展だけでなく東京・京都の春季創画展や研究会を重視していることは、この時代からの継続と見ることができます。

1951年、なぜ新制作派協会と合流した?

創造美術はわずか3年間、単独団体として活動した後、1951年に大きな選択をします。

新制作派協会と合流したのです。

創画会公式は、「相互理解のもとに、新たな美術運動の理想を求めて合流」したと説明しています。

新制作派協会は、1936年に猪熊弦一郎、小磯良平ら若手洋画家が創立した在野美術団体です。

創立時から「反アカデミック」を掲げ、官展に関与せず、自分たち自身の制作と展覧会を重視していました。

この姿勢は、戦後に「自由と独立」「世界性」を掲げた創造美術と共通する部分がありました。

1951年9月10日、創造美術は新制作派協会と合流。

新たに「新制作協会日本画部」となります。

同時に団体全体の名称も「新制作派協会」から「新制作協会」へ改められました。

1951~1973年|日本画と洋画・彫刻・建築が同じ団体にいた

新制作協会日本画部は、1973年まで活動しました。

この時代の新制作協会には、油絵、彫刻、建築(後のスペースデザイン)、日本画が同居していました。

これは現在の美術団体の分類から見ると、かなり興味深い構成です。

日本画部では、創造美術時代からの春季展も東京・京都で継続されました。

また新しい会員が加わり、1974年までに日本画部会員は37人となります。

この時期には、加山又造(かやま・またぞう)、石本正(いしもと・しょう)、稗田一穂(ひえだ・かずほ)など、後に現代日本画を代表する作家も新制作協会日本画部で活動しました。

現在の「創画会」と「新制作協会」は別々の団体ですが、23年間は同じ団体の中にいたのです。

1974年、37人全員が新制作協会を離脱

1974年5月25日、大きな転換が起きます。

新制作協会日本画部の会員37人全員が、新制作協会から離脱しました。

そして新たに「創画会」を結成します。

創画会公式は、その理由を、「再び新しい環境と純粋性を求めて」と表現しています。

ここで重要なのは、一部の作家だけが分裂したのではなく、日本画部会員37人全員が離脱したことです。

そのため新制作協会の日本画部は消滅し、創画会として独立します。

同年9月、第1回創画展を東京都美術館で開催。

11月には京都でも開催されました。

現在まで続く「創画展」の回数は、この1974年の第1回から数えています。

1948年創立なのに、なぜ2026年が「第53回創画展」?

ここは初心者が最も混乱しやすい点です。

創画会の歴史の起点は1948年です。

しかし「創画展」の回数は1974年から数えます。

理由は簡単です。

1948~1950年 → 「創造展」

1951~1973年 → 「新制作協会展」の日本画部

1974年~ → 「創画展」

と、展覧会名そのものが変わっているためです。

創画会は、1948年の創造美術から続く歴史を自らの系譜として扱っています。

そのため2017年には「創画会70周年記念展」を開催しました。

一方、「創画展」は1974年から数えるため、2026年が第53回となります。

「団体の歴史年数」と「現在の展覧会の回数」が一致しないのは、このような組織再編の歴史があるためです。

創画会は現在、何を目指している?

現在の創画会の定款では、「日本美術の伝統を基に、新時代の自由と独立の自覚をもって」展覧会や研究活動を行い、日本美術の創造を奨励することを目的としています。

1948年の「自由と独立」「世界性」という考え方と、現在の目的がつながっていることが分かります。

創画会公式はまた、出品者を作家として尊重すること、正会員は平等な関係を築くこと、作品本位の公平な審査を行うことを明記しています。

これは創画会の歴史的な在野精神を、現在の展覧会運営へつなげるものといえます。

創画展は誰でも応募できる?

創画展は公募展です。

一般の作家も応募できます。

2026年第53回創画展では、未公開の日本画作品、100号S(162×162cm)まで、1人2点までという条件で募集しています。

出品料は1点12,500円、2点18,500円です。

作品は正会員による審査を受け、入選した作品が東京都美術館で展示されます。

つまり、美術館があらかじめ選んだ有名作家だけを展示する企画展ではありません。

一般応募 → 審査 → 入選 → 展示という公募展の仕組みを持っています。

会友・准会員・正会員はどう違う?

創画会には、会友、准会員、正会員という作家区分があります。

現在の定款では、会友は創画展に通算3回入選し、正会員の推挙など所定の手続きを経て入会します。准会員は創画展で創画会賞を受賞し、正会員の推挙など所定の手続きを経て入会します。正会員は創画会賞を3回受賞し、正会員の推挙・社員総会の決議などを経て入会します。

そのため創画展は、一度作品を出品して終わる場ではありません。

継続して作品を発表し、入選・受賞を重ねることで、団体との関係が深まっていく仕組みを持っています。

正会員になると、展覧会の審査と企画運営にも関わります。

創画会賞は「正会員への道」にもつながる

創画展で重要な賞が「創画会賞」です。

創画会公式の記事を見ると、創画会賞を3回受賞した作家が正会員へ推挙されています。

つまり創画会賞は、その年の優秀作品を選ぶだけではありません。

団体の次世代を担う作家を選び、正会員へつなげる制度の一部でもあります。

2021年には従来の奨励賞が廃止され、現在は創画会賞が特に重要な賞となっています。

初心者が創画展を見る場合も、創画会賞の受賞作を見ると、「現在の創画会がどのような作品を評価しているのか」を知る手がかりになります。

春季創画展は東京と京都で別々に開催

創画会には秋の創画展だけでなく、春季創画展があります。

ただし「一つの春季展を東京と京都へ巡回する」のではありません。

東京春季創画展と京都春季創画展は、それぞれ別に公募・審査されます。

正会員も東京・京都に分かれて出品します。

一般出品者は東京・京都の両方へ応募することもできます。

2026年の第52回東京春季創画展は4月24日~29日、東京・大崎のO美術館で開催されました。

この春季展も公募展で、秋の創画展とは異なるサイズ規定や審査制度を持っています。

創造美術時代の1949年から春季展の活動が始まっているため、これも創画会の長い伝統の一つです。

研究会も創画会の重要な活動

創画会の活動は展覧会だけではありません。

定款では、美術展覧会、講習会・講演会、調査・研究、国際交流、研究会への助成、研究冊子・図書の刊行などを事業として定めています。

創造美術が1949年から東京・京都で毎月研究会を行っていたことを考えると、「研究する美術団体」という性格も創立初期から続いています。

現在も地域ごとの研究会展などが行われています。

作品を公募して展示するだけではなく、作家同士が継続的に作品を研究・批評することが、公募美術団体の大きな役割なのです。

2026年第53回創画展はいつ?どこで開催?

創画展の東京会場となる上野の東京都美術館正面入口
創画展の東京会場・東京都美術館/Wikimedia Commons(CC0)

2026年の第53回創画展は、東京と京都で開催されます。

東京展

2026年10月24日(土)~10月30日(金)

会場:東京都美術館

京都展

2026年11月10日(火)~11月15日(日)

会場:京都市京セラ美術館

京都展は選抜展示です。

2026年9月5日時点で創画会公式が公表している第53回展概要では、会期・会場・公募規定は発表されていますが、東京展の一般観覧料金などの詳細はまだ掲載されていません。

観覧前には創画会または東京都美術館の最新案内を確認してください。

※本記事は恒久的な創画会解説記事です。第53回創画展を実際に訪れた現地レポートは別記事として制作します。

初めて創画展を見るなら、何に注目する?

創画展を初めて見る場合、「日本画だから昔ながらの花鳥風月が並ぶ」と考えない方がよいでしょう。

創画会の出発点そのものが、「新しい日本画をどうつくるか」という問題意識でした。

見るポイントは次の4つです。

1. 日本画の材料と現代的な表現

岩絵具、和紙、膠など日本画特有の素材を使いながら、題材や画面構成は非常に多様です。

伝統的な素材と現代的な表現がどう組み合わされているかを見ると面白くなります。

2. 創画会賞

その年の創画会賞受賞作を見ると、団体が現在どのような作品を高く評価したのかを確認できます。

3. 一般・会友・准会員・正会員

作品表示に作家区分があれば、見比べてみてください。

一般公募から正会員まで、異なる段階の作家が同じ展覧会に参加していることが分かります。

4. 「世界性に立脚する日本絵画」は現在どう見える?

1948年の創立者たちは、日本画を固定された伝統として守るだけではなく、世界と同じ時代を生きる絵画にしようとしました。

現在の作品を見ながら、「この考え方は2020年代の日本画にどう残っているのか」と考えると、創画展を単なる作品展示以上に楽しめます。

院展・日展の日本画と何が違う?

日本画の大規模公募展には、創画展だけでなく院展や日展があります。

歴史上の出発点を比べると違いが分かりやすくなります。

団体・展覧会歴史上の起点現在の位置づけ
日本美術院・院展1898年、岡倉天心らが創立。1914年再興日本画専門の公募美術団体
日展1907年の文展から帝展、新文展、戦後の日展へ日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の総合展
創画会・創画展1948年の創造美術。1951~1973年は新制作協会日本画部、1974年に独立日本画専門の公募美術団体

院展は明治期の岡倉天心・横山大観らの日本画革新運動から続きます。

創画会は第二次世界大戦後、既存の日本画壇から距離を置き、「自由と独立」「世界性」を掲げた創造美術から始まりました。

どちらも日本画専門の公募団体ですが、生まれた時代と問題意識が違います。

実際に院展と創画展を同じ年に見ると、作品のサイズ、題材、画面構成、素材の使い方、受賞作、会場構成などを直接比較できます。

新制作協会と創画会は今も関係がある?

歴史上は非常に深い関係があります。

しかし現在は別々の団体です。

1951年から1973年まで、創画会の前身は「新制作協会日本画部」でした。

1974年、日本画部37人全員が新制作協会から離れ、創画会を結成しました。

現在の新制作協会は、絵画、彫刻、スペースデザインの3部門。

現在の創画会は日本画専門です。

したがって、「創画会は現在も新制作協会の日本画部」と説明するのは誤りです。

ただし両団体の記事を合わせて読むと、戦後日本の美術団体が合流と独立を繰り返してきたことがよく分かります。

まとめ|創画会は「日本画を現在の絵画にする」問いを戦後から続けている

創画会の歴史は、1948年の創造美術から始まります。

秋野不矩、上村松篁、福田豊四郎、山本丘人ら13人が掲げたのは、「世界性に立脚する日本絵画の創造」でした。

彼らは既存の日本画壇から距離を置き、「自由と独立」を重視する在野団体をつくります。

1951年には新制作派協会と合流し、新制作協会日本画部へ。

そして1974年、日本画部の37人全員が新制作協会を離れ、現在の創画会を結成しました。

現在も創画会は、秋の創画展、東京・京都の春季創画展、研究会を通じて、現代の日本画表現を追求しています。

創画展を見るときは、「日本画とは昔から決まったものではなく、何度も作り直されてきた」という視点を持つと、その歴史が見えてきます。

創画会は、まさにその問いを戦後から現在まで続けてきた美術団体なのです。

美術団体・公募展シリーズ

日本の美術団体・公募展の全体像新制作協会・新制作展日本美術院・院展

参考文献・確認資料