解説付き!入谷の歴史スポットをめぐる散歩と「入谷朝顔まつり」を楽しみます♪

入谷朝顔まつり イベント

今回訪れる予定の場所

入谷朝顔まつりの歴史

この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。

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庚申 猿田彦大神 観世菩薩

庚申
干支(えと)の組み合わせの一つです。「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干(じっかん)と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支(じゅうにし)を甲子、乙丑、丙寅、・・・など全部で60種類の組み合わせがああります。その一つが「庚申」で「かのえさる」や「こうしん」と読みます。昔は暦を干支で認識しており、60日ごとに庚申日が訪れ、60年に一度庚申年が巡ってきます。「還暦」というのは、この60の干支の組み合わせが一巡したことを意味します。次の庚申の年は2040年、前回は1980年でした。

干支を冠した時間の名前などがあります。
乙巳の変(645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏を滅ぼした政変)
壬申の乱(672年に発生した古代日本最大の内乱)
戊辰戦争(1868年に新政府軍と旧幕府軍が戦った近代日本最大の内戦)
甲申政変(1884年に朝鮮で起こった独立党によるクーデター)

庚申信仰
十干十二支じっかんじゅうにしの暦のうえで、60日ごとにある庚申の日かのえさるのひに行われる信仰行事で、中国の不老長寿を目指す道教の教えのひとつ、庚申待ちが起源といわれている。人の体内には、三尸さんしと呼ばれる虫がいて、庚申の日かのえさるのひの夜、人が眠ると、この虫が体内から抜け出し、その人の行状を天帝に知らせに行く。知らせを受けた天帝は、行いの悪い人の寿命を縮めてしまうというのだ。そこで、長生きしたければ、三尸さんしの虫が天帝の元へ行かないように、庚申の日かのえさるのひは、一日中眠ってはならない。この教えが、庚申信仰へとつながっていった。わが国では、平安時代以降に、貴族などの間で行われ、その後、仏教や神道などと結びついて庶民の間に広がり、江戸時代には最も盛んであった。

旧陸奥宗光邸
陸奥宗光(1844~1897)は明治時代に活躍した外交官・政治家です。第二次伊藤博文内閣の時に外務大臣として不平等条約の改正や下関条約締結に貢献するなど辣腕を振るいました。頭が切れることから「カミソリ大臣」とも呼ばれていました。
台東区根岸にある陸奥宗光が住んでいた別邸は都内最古の住宅用洋館の一つです。根岸という地名の由来は、上野の崖の下にあり、かつて海が入り込んでいた頃、木の根のように岸辺が続いていたためといわれています。江戸時代、お金持ちがこぞって別邸を建てたそうです。明治時代には文人・画人に好まれた場所でした。正岡子規や洋画家・書家の中村不折、画家の酒井抱一の他、饗庭篁村(あえば こうそん)、岡倉天心、幸田露伴などの「根岸党」と呼ばれる文人の一団も根岸に住んでいました。鶯が多かったことから「鶯の里」とも呼ばれていました。根岸に住んでいた正岡子規は「雀より 鶯多き 根岸かな」という句を詠んでいます。

鍵屋

江戸時代に酒屋の店内で酒が提供される居酒(いざけ)が評判となり、やがてあちこちに居酒屋が誕生したと本に書いてあるのを読んだことがあります。ここ『鍵屋』は江戸の居酒(いざけ)を体験出来る貴重なお店でした。

江戸時代から続く老舗。先代の遺言により女性客だけの入店はお断りです。男性が責任を持って、女性を送り届ける必要があるとのこと。

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小野照崎神社

ご由緒
東京の下町「入谷」に鎮座する小野照崎神社。御祭神は、百人一首にも撰された平安初期有数の歌人であり、漢詩は「日本の白楽天」と呼ばれ、その文才は天下無双、「その才は神に至る」と評される程の絵の大廈でもあり、法律に明るい当代きっての学者で、参議という国の要職も務めた小野篁公(おのたかむら)です。852年(仁寿2年)、篁公が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建され、寛永寺の建立とともに現在の地に遷されました。江戸後期には、学問の神様である菅原道真公(すがわらみちざね)も回向院より御配神として当社に遷され、境内にある末社を含めると、15柱もの神様がお祀りされています。

富士塚について
富士山信仰は室町末期頃に起り、江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして富士講があちこちで結成されました。それにともない、模造富士も多数築か江戸とその近郊の富士塚は五十有余を数えるに至りました。しかし、いまに伝わる塚は多くありません。富士塚は富士山から選ばれた溶岩で築き上げられています。天明2年(1782)に築かれた富士塚「下谷坂本富士」。富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その霊験あらたかな姿を伝えるべく作られた直径は約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山。一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の尊像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。先人の山守りの知恵によって今も当時の荘厳な姿を残しており、国の重要有形民俗文化財に指定されています。毎年、夏越の大祓と富士山の開山に合わせた6月30日と7月1日の2日間に限り、一般の方々に開放されています。「不二(ふたつとない)」「不尽(つきることがない)」などがいわれとされる富士山。今もその霊験あらたかな神性を求め、多くの方々が富士塚に訪れます。

江戸七富士
現在でも江戸七富士と呼ばれる七つの富士塚があり、「江戸七富士巡り」が実施されている。
品川富士(品川神社境内)
千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)
下谷坂本富士(小野照崎神社境内) – 重要有形民俗文化財「下谷坂本の富士塚」
江古田富士(茅原浅間神社境内) – 重要有形民俗文化財「江古田の富士塚」
十条富士(十条冨士神社境内) – 都市計画道路整備のため再整備工事が行われる予定
音羽富士(護国寺境内)
高松富士(富士浅間神社境内) – 重要有形民俗文化財「豊島長崎の富士塚」

日本三大に数えられる庚申塚
本大阪の「大阪四天王寺 庚申堂」、京都の「大黒山金剛寺 庚申堂」と共に「日本三大庚申」と呼ばれ崇敬を集めていた「喜宝院 入谷庚申堂」から遷祀され、道案内の神として信仰を集めた「猿田彦命」をお祀りした庚申塚。全十一基の塔のうち、最古のものは1647年(正保2年)につくられました。また、台座に「見ざる・聞かざる・云わざる」の三猿の像が掘られた青面金剛の塔は、聖徳太子作といわれる大阪四天王寺にある霊像を模造したものと伝えられています。

https://onoteru.or.jp/about/

旧町名由来案内 旧入谷町
その昔、この付近は坂本村に属す千束池であったが天正のころ(1573〜1591)鳥越村の人びとによって埋め立てられ田圃になった。 江戸時代になってから現在の金杉通り東側に少しづつ寺院などが建ち、家並みができるにつれて、いつしか元入谷・中入谷・南入谷と呼ばれるようになった。明治22年(1889) 坂本村の大部分が下谷区に編入され、その地域が下入谷町として誕生した。 昭和12年、元入谷が坂本、 金杉に町名が変わり、同四十年の住居表示で南入谷のうち、 言問通りの南側の地域が隣接する松葉町と共に、松葉町の「松」と入谷町の「谷」をとって「松が谷」となった。 松が谷一~四丁目のうち南入谷地区は松が谷三丁目の半ばと松が谷四丁目である。この地域は、今なお下町情緒を色濃くのこし、国の重要有形民俗文化財に指定された富士塚名高い小野照崎神社の祭礼(5月) 入谷朝顔祭のイベントとして盛大に催される入谷南公園朝顔音頭大会(7月) 合羽橋本通りの七夕祭り(7月)秋葉神社の火渡り式(11月)等々、数多年中行事を楽しむ町である。

入谷乾山窯元之碑
尾形乾山(けんざん)作の陶器の中で江戸入谷村(東京都台東区)で作成されたものです。尾形乾山は江戸中期の陶芸家、画師で京都屈指の呉服商雁金屋(かりがねや)の三男として生まれました。兄は尾形光琳(こうりん)。

正岡子規文学碑
正岡 子規(1867〜1902)は俳人、歌人。現在の愛媛県松山市花園町に生まれ。明治25年、俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、注目を浴びる。明治28年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血。以後、永い病床生活に入るも、文学上の仕事は活発化し、翌29年には三千以上の俳句を残す。明治31年、「歌よみに与ふる書」を発表し、短歌革新にものりだす。芭薫や古今和歌集についての自説を展開して、それらの全国的な再評価を喚起した。明治35年9月19日、脊椎カリエスにより死去。享年34。その凄絶な闘病生活は、随筆「病牀六尺」(明治35)などに詳しい。代表作は「獺祭書屋俳話」、「歌よみに与ふる書」、「病牀六尺」、「竹乃里歌」、「寒山落木」など。

確認テスト

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イベントの様子

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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