虎ノ門から新橋・汐留へ|消えた江戸城外堀を歩く歴史散歩

虎ノ門から新橋、汐留へ。現在はオフィスビルと幹線道路が続くこの一帯には、江戸時代、江戸城を守る外堀が通っていました。地上から姿を消した堀をたどると、溜池、虎ノ門、幸橋門、新橋、汐留が一本の水の道としてつながります。

江戸の城郭都市が、明治の官庁街と鉄道の玄関口へ変わっていく過程も、この散歩ルートには凝縮されています。虎ノ門から汐留まで、現在の街に残る痕跡を順に見ていきます。

江戸城外堀は虎ノ門から汐留まで続いていた

江戸城の外堀は、城の外郭を囲む防御線であると同時に、江戸の街の骨格を形づくる水路でもありました。虎ノ門周辺では溜池から続く堀が東へ延び、幸橋門、新橋付近を経て汐留へ向かっていました。

江戸城三十六見附の図
江戸城三十六見附。外堀には門と石垣が設けられ、江戸城外郭の防御線を形成していました。

現在の地図だけを見ると、虎ノ門、新橋、汐留は別々の街に見えます。しかし、かつての外堀の流れを意識すると、三つの地域の成り立ちが連続したものとして見えてきます。

徳川将軍家系図
徳川将軍家系図。江戸城と外堀は、徳川幕府の城下町整備の中で拡張されました。

溜池は江戸城を守る巨大な人工池だった

「溜池山王」の駅名に残る溜池は、慶長11年(1606)ごろにつくられた人工の池です。港区は、浅野幸長あさの よしながが江戸城防備の外堀の一部として整備し、飲料用の上水を確保する役割も担ったと説明しています。当時は現在の不忍池を上回る大きさがありました。

その後、周囲の埋め立てが進み、明治初期には堰堤の石が取り除かれて陸地化しました。現在は交差点名や駅名に「溜池」の名が残り、虎ノ門周辺の石垣がかつての水辺を伝えています。

虎ノ門は江戸城外郭の門だった

虎ノ門は、現在では駅名や地名として親しまれていますが、もともとは江戸城外郭に設けられた門の名です。門そのものは明治6年(1873)に撤去されました。その後も交通の要所の名として残り、現在の町名へ受け継がれています。

虎ノ門の碑
虎ノ門の碑。かつて江戸城外郭の虎ノ門があった場所を伝えます。撮影:Aimaimyi/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

地下に残る江戸城外堀の石垣

虎ノ門駅近くの江戸城外堀跡地下展示室では、長さ約20メートル、高さ約7.4メートルの石垣を見ることができます。石垣は寛永13年(1636)の外堀普請で築かれ、佐賀藩主の鍋島勝茂なべしま かつしげらが工事を担当しました。

石には、切り出す際につけた矢穴や大名家を示す刻印が残ります。現在のビル街の地下に江戸時代の石垣がそのまま保存されているため、外堀の規模を立体的に感じられる場所です。

溜池櫓台

虎ノ門の外堀跡から溜池側へ進むと、外堀の防御施設に関わる溜池櫓台の跡があります。現在は堀の水面がないため位置関係が分かりにくいものの、虎ノ門の石垣と合わせて見ると、この一帯が江戸城の外郭だったことを実感できます。

外堀沿いの大名屋敷と虎ノ門金刀比羅宮

外堀沿いには大名屋敷が並びました。虎ノ門金刀比羅宮もその歴史を伝える場所です。讃岐丸亀藩主・京極家の江戸藩邸に勧請された金刀比羅宮は、藩邸の移転に伴って現在地へ移りました。

虎ノ門金刀比羅宮の社殿
虎ノ門金刀比羅宮。丸亀藩邸とともに現在地へ移された神社です。撮影:Rs1421/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

虎ノ門・新橋周辺の神社や史跡をさらに詳しく知りたい方は、「虎ノ門と新橋の史跡巡り」もあわせてどうぞ。

明治の霞が関に帝国議会が置かれた

虎ノ門から霞が関へ進むと、帝国議会の仮議事堂があった場所に近づきます。最初の仮議事堂は明治23年(1890)、現在の霞が関一丁目、経済産業省付近に完成し、同年11月29日に第1回帝国議会が開かれました。

最初の建物は火災で焼失し、その後も第二次、第三次の仮議事堂が建てられました。現在の国会議事堂が完成した昭和11年(1936)まで、この一帯は近代日本の議会政治を支える場所でした。江戸の外堀と大名屋敷の街が、明治には官庁街へ姿を変えたことが分かります。

幸橋門から新橋へ、埋め立てられた外堀を追う

霞が関から新橋方向へ進むと、外堀は幸橋門の付近を通っていました。現在は道路や建物に置き換わり、水面を目で追うことはできません。地名や門跡、橋跡をつなぐことで、かつての堀筋をたどれます。

昭和初期の都市建築「堀商店」

外堀通り沿いには、昭和7年(1932)に建てられた「堀商店」が残ります。文化庁の国指定文化財等データベースでは、鉄筋コンクリート造4階建・塔屋付とされ、平成10年(1998)に国の登録有形文化財となりました。

外壁のテラコッタや連続する窓など、昭和初期の商業建築らしい意匠が目を引きます。江戸の外堀跡を歩く途中で、近代東京の建築史も重なって見える場所です。

「新橋」という地名は橋から始まった

新橋という名は、現在の駅より古く、汐留川に架けられた橋に由来します。港区によると、慶長9年(1604)に東海道が日本橋まで延長された際、汐留川に新橋が架けられました。江戸時代には東海道上の重要な橋の一つでした。

橋は昭和39年(1964)の東京オリンピックに合わせた開発の中で姿を消しましたが、親柱が残されています。駅名として知られる「新橋」の原点を、街角で確認できる史跡です。

烏森駅が現在の新橋駅になった

現在の新橋駅は、明治42年(1909)に「烏森駅」として開業しました。大正3年(1914)、東京駅の開業に伴って烏森駅が新橋駅へ改称され、1872年に開業した初代の新橋駅は汐留駅となりました。

新橋駅と旧新橋停車場の鉄道史は、「新橋の歴史と旧新橋停車場」で詳しく解説しています。

汐留で水の交通から鉄道の時代へ

「汐留」という地名は、江戸城外堀と海を仕切る堰が土橋付近に設けられ、海水が外堀へ入り込むのを止めたことに由来します。港区は「汐が留まる」ことから地名になったと説明しています。

江戸時代の汐留には大名屋敷が並び、海に面した屋敷には船入も設けられました。全国から江戸へ運ばれる物資を受け入れる、水運と深く結びついた土地でした。

1899年頃の新橋停車場
1899年頃の新橋停車場。British Library所蔵資料より。Wikimedia Commons/Public Domain

明治5年(1872)10月14日、日本初の鉄道が新橋―横浜間で開業すると、この地域は近代交通の玄関口へ変わります。東京駅が開業した1914年には旧新橋駅が汐留駅となり、その後は貨物駅として使われました。

再現された旧新橋停車場のホーム側
再現された旧新橋停車場。1872年開業当時の駅舎外観を同じ場所に再現しています。撮影:Sushiya/Wikimedia Commons/CC BY 3.0

現在の旧新橋停車場は、発掘調査で確認された駅舎基礎などをもとに、開業当時の外観を同じ場所へ再現した施設です。虎ノ門から外堀を追ってきた散歩は、江戸の水運から明治の鉄道へ交通の主役が移った場所で終わります。

虎ノ門から汐留までの歴史散歩ルート

  1. 江戸城外堀跡①
  2. 江戸城外堀跡②
  3. 溜池櫓台
  4. 虎ノ門金刀比羅宮
  5. 帝国議事堂跡
  6. 幸橋門跡
  7. 堀商店(堀ビル)
  8. 乙女と盲導犬の像
  9. 烏森駅開業時の柱
  10. 新橋跡の親柱
  11. 旧新橋停車場

外堀の石垣、門跡、橋跡、鉄道遺構を順にたどることで、現在のビル街の下に重なる江戸と明治の地形を一続きの歴史として歩けます。

江戸城外堀を続けて歩く

江戸城外堀をさらにたどる散歩として、銀座〜東京の江戸城外堀シリーズ東京〜九段下の江戸城外堀シリーズがあります。区間をつなげて歩くと、現在の東京の道路や鉄道の中に外堀の輪郭が残っていることが分かります。

参考資料