原宿駅から青山へ向かうと、街の表情は竹下通りの路地、表参道のケヤキ並木、青山の寺町へと次々に変わります。華やかな通りの足元には、川の跡、関東大震災後の集合住宅、1945年の空襲の記憶が重なっています。
このルートは2023年7月の夜散歩で歩いたコースをもとにしています。ブラームスの小径から参道橋跡、表参道ヒルズ、慰霊碑「和をのぞむ」、青山善光寺まで、現在の景色と歴史を一緒にたどります。
表参道は明治神宮の参道として生まれた
表参道という名は、1920年に創建された明治神宮へ向かう正面参道に由来します。原宿側から青山通りへ伸びる大通りは、明治神宮の鎮座とともに東京の新しい軸線となりました。現在のケヤキ並木も、この参道の景観を特徴づけています。
1945年5月の山の手空襲では、表参道周辺も大きな被害を受け、ケヤキの多くが焼けました。戦後の植え直しを経た並木には、参道の成立、戦災、復興という東京の20世紀史が重なっています。
戦後の原宿・代々木では、米軍住宅ワシントンハイツが1963年に返還され、翌1964年の東京オリンピックでは跡地に選手村や国立代々木競技場などが整備されました。明治神宮の参道として始まった一帯は、戦後の大規模な都市改造を経て現在の原宿・表参道へつながっています。

原宿の路地から、地面の下の旧渋谷川へ
ブラームスの小径
竹下通りの一本裏に延びるブラームスの小径は、石畳と植栽の間を細く抜ける路地です。人通りの多い竹下通りから数十メートル離れるだけで、原宿の景色は大きく変わります。
小径を表参道方面へ抜けていくと、やがて旧渋谷川の流路に沿う道へつながります。現在の街路だけを見ていると分かりにくい原宿の高低差と水の流れを、歩きながら感じられる区間です。

参道橋跡とキャットストリート
表参道が旧渋谷川を横切る地点には、かつて参道橋が架かっていました。渋谷区によると、宮下公園付近から表参道交番付近まで続く旧渋谷川遊歩道は、川を地下に通した暗渠の上につくられた道です。現在のキャットストリートは、その旧河道をたどる区間を含んでいます。
水面も橋も街路から姿を消しましたが、道の曲がり方や橋の名に川の記憶が残っています。表参道のブランドショップが並ぶ風景と、かつての水辺が同じ場所に重なるのが、この地点の面白さです。

旧渋谷川の流路をさらに渋谷方面へ歩くコースは、「渋谷〜原宿(キャットストリート)」でも紹介しています。
関東大震災が生んだ同潤会青山アパート
1923年の関東大震災は、東京の住宅政策を大きく変えました。翌1924年、国内外から寄せられた義援金を基金として同潤会が設立され、住宅供給と被災者の生活再建に取り組みます。木造住宅が密集していた東京で、鉄筋コンクリート造の集合住宅は耐震・耐火の面でも新しい試みでした。
表参道沿いの同潤会青山アパートは1927年に完成しました。水道、電気、ガス、水洗便所など当時としては先進的な設備を備え、表参道の街並みを長く形づくりました。後年には住居だけでなく店舗やギャラリーも入り、蔦に覆われた建物は表参道を象徴する風景になります。

老朽化した青山アパートは2003年に解体され、その跡地では再開発が進みました。2006年に開業した表参道ヒルズでは、旧青山アパートの記憶を受け継ぐ建物として「同潤館」が設けられています。建物全体もケヤキ並木との高さの調和や、表参道の坂に沿う内部動線を意識して設計されました。

同じ関東大震災後の東京では、学校や公園も耐火・防災を意識して再編されました。震災復興の都市計画は、「関東大震災後、東京はなぜ学校の隣に52の公園をつくったのか」で詳しく紹介しています。
表参道交差点に残る山の手空襲の記憶
1945年5月25日夜から26日未明にかけて、東京は大規模な山の手空襲を受けました。港区の記録では、赤坂・青山一帯の大半が焼け、表参道と青山通りの交差点周辺でも多くの人が亡くなっています。表参道のケヤキも焼失し、現在の華やかな街並みの中に戦災の跡が刻まれました。
交差点近くに立つ「和をのぞむ」は、この空襲の犠牲者を慰霊するため、港区政60周年を機に2007年に建立された碑です。毎年5月25日には追悼の献花が行われ、地域の記憶が受け継がれています。
表参道を明治神宮の参道として見ると、1920年代の整備、1945年の戦災、戦後の復興が一本の通りの上でつながります。ケヤキ並木は、その時間の重なりを最も目にしやすい場所の一つです。
青山善光寺は江戸から続く表参道の寺
表参道交差点から北青山へ入ると、善光寺の仁王門が現れます。青山善光寺は信州善光寺の別院で、1601年に徳川家によって谷中に設けられました。火災で焼失した後、1703年に現在の青山へ移りました。表参道が整備されるより300年以上前から続く寺の系譜です。
境内には幕末の蘭学者高野長英の碑があります。長英は幕府の対外政策を批判した『夢物語』を書いて投獄され、脱獄後に各地を潜行しました。碑の文章は、幕末の政治家勝海舟によるものです。長英が最期を迎えた青山の地と、善光寺の境内がここで結びつきます。
境内には、明治初期の人力車発明を記念する碑もあります。本堂には床下の暗い回廊を巡る「戒壇巡り」があり、江戸以来の信仰と近代東京の歴史を同じ境内でたどれます。

善光寺は現在も地域行事の場として親しまれ、夏には盆踊りなどが行われます。2023年7月の夜散歩でも、歴史散歩の終盤に善光寺へ立ち寄りました。
青山から赤坂方面へ続く史跡散歩は、「青山一丁目から赤坂まで、史跡を巡りながらお散歩します」にもつながります。
表参道から青山を抜け、西麻布・六本木まで歩く夜のルートは、「表参道・青山・西麻布・六本木の歴史散歩」で紹介しています。
2023年7月の夜散歩で歩いた5スポット
2023年7月に実施した表参道〜青山の夜散歩では、原宿側から青山へ向かって次の5地点を歩きました。現在も同じ順序でたどると、川の跡から震災復興、戦災、江戸以来の寺院へと時代が移っていきます。
- ブラームスの小径 — 原宿の路地から旧渋谷川の流路へ向かう入口
- 参道橋跡 — 表参道と旧渋谷川が交差した地点
- 表参道ヒルズ 同潤館 — 関東大震災後の集合住宅の記憶を継ぐ場所
- 和をのぞむ — 1945年5月の山の手空襲を伝える慰霊碑
- 青山善光寺 — 江戸初期から続く信州善光寺の別院
開催レポート|女子限定・表参道~青山の夜散歩と善光寺の納涼盆踊り大会
2023年7月31日19時30分から、女子メンバー限定で表参道〜青山の歴史を巡る夜散歩を開催しました。参加者は13人。夜景、暗渠、史跡を巡ったあと、最後は青山善光寺で青山表参道商店会の納涼盆踊り大会を楽しみました。

集合後、原宿方面へ出発。夜の街を歩きながら、最初にWITH HARAJUKUへ向かいました。



続いてブラームスの小径へ。渋谷川支流の暗渠を意識しながら、にぎやかな大通りとは雰囲気の異なる夜の路地を歩きました。


表参道ヒルズでは同潤館へ立ち寄り、外観だけでなく建物の中も歩きました。解説で触れた同潤会青山アパートの記憶を、現地の空間と重ねながら見ていきます。


その後は、表参道交差点近くの戦災犠牲者慰霊碑「和をのぞむ」へ。現在の華やかな街並みの中に残る山の手空襲の記憶に触れました。

明治神宮表参道の大石灯籠でも足を止め、表参道が参道として整えられた歴史を確認しました。

最後は青山善光寺へ。青山表参道商店会の納涼盆踊り大会が開かれており、歴史散歩の締めくくりに盆踊りを楽しみました。

夜景、暗渠、震災復興、戦災、参道の歴史を一度に巡り、最後は地域の夏の行事へつながる散歩会になりました。

