九段下から飯田町を抜け、飯田橋へ。江戸の武家地だった一帯が、明治以降に学校と鉄道の街へ変わっていく流れをたどる歴史散歩です。専修大学の黒門、飯田町の地名由来、北辰社牧場跡、讃岐高松藩上屋敷庭園跡、旧飯田町駅、東京大神宮、牛込見附をつないで歩きます。東京大神宮では夏の納涼盆踊り大会にも立ち寄る構成です。

今回のコース概要
- 専修大学 黒門
- 飯田町の町名由来板
- 北辰社牧場跡
- 讃岐高松藩上屋敷庭園跡
- 旧飯田町駅・甲武鉄道の痕跡
- 東京大神宮
- 旗本屋敷跡
- 牛込見附跡
九段下・神保町側から飯田町へ進み、飯田橋駅周辺へ抜ける流れです。江戸の城下町、明治の近代教育、鉄道の発達、現在の富士見・飯田橋の街並みが短い範囲に重なっています。
専修大学 黒門――神保町に残る学校街の記憶
専修大学の前身「専修学校」は1880年に京橋区で開校し、1885年に神田へ移転しました。1888年の校舎増築時、正門に黒く塗られた冠木門が置かれ、「黒門」が学校の象徴として定着しました。現在の黒門は創立130年を記念し、2010年に設置されたものです。
神田・神保町には明治以降、専修大学をはじめ多くの学校が集まりました。学生と教員が集まる街は、書店・古書店・出版業の集積とも結びつきます。黒門は、神保町が学生街・本の街へ発展していく入口として見ると位置づけが分かりやすくなります。
飯田町――徳川家康の江戸入府から続く地名
1590年、徳川家康が江戸へ入った際、周辺を案内した村人が飯田喜兵衛でした。千代田区の町名由来板によると、土地の事情を詳しく説明した喜兵衛は名主に任じられ、地名も「飯田町」とするよう命じられました。江戸時代の武家地では正式な町名を持たない場所も多く、飯田町は通称として受け継がれ、1872年に正式な町名となりました。
現在の「飯田橋」という駅名・町名の背後には、江戸初期から続く飯田町の記憶があります。九段下から飯田橋へ歩くと、地名がそのまま都市史の手掛かりになります。
北辰社牧場跡――明治の都心に牧場があった
明治初期の東京では、旧大名屋敷や武家地の広い土地が新しい産業に転用されました。飯田橋周辺で牧場を経営した人物の一人が榎本武揚です。北辰社牧場跡の碑は、現在のオフィス街からは想像しにくい、明治東京の酪農の姿を伝えています。
牛乳は保存と輸送が難しかったため、消費地に近い都心部にも牧場が置かれました。武家地から近代都市へ移る途中の東京では、学校、工場、牧場、鉄道が短い期間に入り混じっていました。
讃岐高松藩上屋敷庭園跡――再開発地に残る江戸の庭

飯田橋三丁目周辺には、江戸時代に讃岐高松藩松平家の上屋敷がありました。再開発に伴う発掘調査では庭園の泉水を囲んだ護岸石が確認され、現在の「平川の径」にもその石が生かされています。
高層ビルが並ぶ街区の足元に大名屋敷の庭園遺構が残る点は、飯田町周辺を歩く大きな見どころです。建物が入れ替わっても、敷地の使われ方や地面の痕跡には江戸の都市構造が残ります。
旧飯田町駅と甲武鉄道――中央線につながる鉄道史
甲武鉄道は1889年に新宿―立川間で開業し、1895年に飯田町まで延伸しました。飯田町駅は都心側の始発駅として人と物資を集め、1904年には飯田町―中野間で電車運転が始まります。甲武鉄道は1906年に国有化され、現在の中央線へつながりました。

江戸時代には武家地が広がった飯田町が、明治になると鉄道と学校の拠点へ変わります。現在の飯田橋駅周辺の交通量の多さは、この近代化の延長線上にあります。
東京大神宮――日比谷から飯田橋へ移った「東京のお伊勢さま」
東京大神宮は1880年、東京における伊勢神宮の遥拝殿として日比谷に創建されました。関東大震災後の1928年に現在の富士見へ移転し、戦後に「東京大神宮」の社名となりました。一般の人々に向けた神前結婚式を広めた神社としても知られています。
夏には境内で納涼盆踊り大会が開かれます。歴史散歩の途中で立ち寄ると、神社の由緒と現在の地域行事が同じ場所で重なります。
牛込見附跡――飯田橋駅前に残る江戸城外郭
飯田橋駅西口近くの牛込見附跡には、江戸城外郭を守った石垣が残ります。外濠沿いの見附は、城への出入口と防御を担った場所です。現在は駅、道路、線路が集中する交通の結節点ですが、石垣を見ると江戸城の外郭が現在の街の骨格と重なっていたことが分かります。
牛込見附から神楽坂へ続く街の歴史は、神楽坂歴史散歩ガイド|坂道・横丁・花街の記憶を歩くでも詳しく紹介しています。
あわせて読みたい歴史散歩
同じ飯田町・富士見周辺をさらに深く歩くなら、富士見~飯田橋~神保町の歴史散歩|江戸の武家地から学校・鉄道・本の街へがつながります。江戸城の外濠と日本橋川を追う散歩は、水道橋から日本橋まで日本橋川を歩く|江戸城外濠・河岸・水運の歴史散歩で詳しく紹介しています。
九段下側から江戸城外郭の門跡をたどるコースは、常盤橋~俎橋の江戸城外堀散歩もあわせて楽しめます。
開催レポート|26人で九段下から飯田町、東京大神宮へ
2023年8月8日19時、26人で「九段下~飯田町の歴史を巡る夜散歩&東京大神宮盆踊大会」を開催しました。九段下でグループに分かれて自己紹介をしたあと、俎橋付近から出発。飯田町に残る史跡をたどり、最後は東京大神宮の納涼盆踊り大会へ向かいました。

俎橋から夜散歩をスタート
出発地点の俎橋は日本橋川に架かる橋です。千代田区によると、江戸時代初めにはすでに名が見られ、当初は俎のような木板を渡しただけの橋だったことが名称の由来と伝わります。現在は首都高速道路が頭上を通り、江戸の水路と現代の交通網が同じ場所で重なる景観になっています。


飯田町に残る明治東京の記憶
飯田町周辺では史跡案内の前で立ち止まり、江戸の武家地が明治以降に学校、牧場、鉄道の街へ変化していった流れを確認しました。千代田区の地域史では、明治28年(1895年)に甲武鉄道が飯田町まで延伸したことが、飯田橋・富士見地域の近代化を示す出来事として挙げられています。

北辰社牧場跡にも立ち寄りました。現在のオフィス街からは想像しにくい風景ですが、明治初期には消費地に近い都心部にも牧場が置かれていました。江戸の武家屋敷跡が新しい産業へ転用されていった時代を伝える地点です。

さらに旧飯田町駅周辺へ。甲武鉄道は1889年に新宿―立川間で開業し、1895年に飯田町まで到達しました。飯田町駅は都心側の重要拠点となり、1904年には飯田町―中野間で電車運転が始まります。1906年の国有化を経て、現在の中央線へつながる鉄道史の節目となった場所です。


東京大神宮へ向かう
飯田町の史跡を巡ったあと、東京大神宮へ向かいました。東京大神宮は1880年、東京における伊勢神宮の遥拝殿として日比谷に創建され、関東大震災後の1928年に現在の飯田橋へ移転しました。戦後に「東京大神宮」と改称され、現在も「東京のお伊勢さま」と親しまれています。



4年ぶりに復活した東京大神宮の納涼盆踊り大会
この日の締めくくりは東京大神宮の納涼盆踊り大会です。2023年は8月8日・9日の19時から21時まで開催され、2019年以来4年ぶりの復活となりました。主催は東京大神宮通り・飯田橋西口通り商業連合会。境内には色とりどりの提灯が並び、やぐらを囲んで盆踊りを楽しむ夏の景色が戻りました。
九段下から飯田町まで史跡を巡ってきた26人も、そのまま盆踊り会場へ。近代東京の鉄道や産業の跡を歩いたあと、今も地域に受け継がれる行事の中へ入ることで、街の歴史を「見る」だけでなく、現在の文化として体感できる夜散歩になりました。

TimeWalkで周辺の史跡を探す
今回の開催ではTimeWalkは利用していません。TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。九段下・飯田橋周辺を別の日に歩くときは、現在地から歩ける史跡を地図で探すことができます。

