東京都江戸川区の小松川と船堀は、荒川・旧中川・新川という水路の歴史をたどると一続きに見えてきます。小松川には荒川放水路の開削と舟運の変化を伝える旧小松川閘門が残り、船堀では江戸と行徳を結んだ新川が現在も町の骨格になっています。さらに、小松菜、金魚養殖、千本桜、タワーホール船堀まで、低地の暮らしと水辺の変化を歩いて確かめられる地域です。
小松川と船堀は「水路の歴史」でつながる
小松川は荒川と旧中川に挟まれ、船堀の南側には新川が流れています。江戸時代、この一帯では河川が人や物資を運ぶ主要な交通路でした。近代になると治水のために荒川放水路が開削され、川の流れや水位、町の姿が大きく変化します。現在の公園、堤防、閘門、遊歩道には、その変化が形として残っています。
小松川の歴史|中世の地名から荒川放水路まで
「小松川」の名は古く、江戸川区郷土資料室の資料では、応永5年(1398)の『葛西御厨注文』に「東小松河」「西小松河」が見えます。江戸時代には小松川境川が農業用水や舟運に使われ、農作物や肥料を運ぶ生活の川として機能しました。元禄5年(1692)には松尾芭蕉も「秋に添うて 行かばや末は 小松川」と詠んでいます。
小松川の名は野菜の小松菜とも結びつきます。江戸川区には、鷹狩りでこの地を訪れた将軍が東・西小松川村周辺の冬菜を気に入り、地名から「小松菜」と名付けたという伝承があります。命名者には徳川吉宗説と徳川綱吉説がありますが、江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』には小松川周辺の菜が優品として知られていたことが記されています。
20世紀に入ると、小松川の景観を決定づける大工事が始まります。1910年の大洪水を契機に荒川放水路の建設が進み、現在の荒川は人工的に開削された放水路として1924年に通水しました。旧中川はそれまで中川の本流でしたが、荒川放水路の完成によって中川筋から分断され、現在の姿へ変わっていきました。
旧小松川閘門|荒川と旧中川の水位差を越えた舟運施設


閘門は、水位の異なる二つの水面の間で水位を調整し、船を通す施設です。旧小松川閘門は荒川放水路と中川放水路の整備によって生じた水位差に対応するため、1930年(昭和5)に完成しました。水上交通の衰退後に廃止され、現在は都立大島小松川公園内に一部が保存されています。
保存部分は現在の地表より低い位置まで埋まっており、地上で見えるのは施設の一部です。城郭の塔を思わせるコンクリート造の門柱が残り、荒川放水路の建設によって舟運施設が必要になった経緯を現地で確かめられます。東京都選定歴史的建造物にも選ばれています。
所在地:東京都江戸川区小松川1丁目1番、都立大島小松川公園内。都営新宿線「東大島駅」小松川口から徒歩圏です。
荒川ロックゲート|舟運が防災インフラとして復活した場所
旧小松川閘門の近くには、2005年に完成した荒川ロックゲートがあります。荒川と旧中川には最大約3.1メートルの水位差があり、ロックゲート内部の水位を上下させることで船が行き来できます。旧小松川閘門が近代舟運を支えた施設なら、荒川ロックゲートは道路や鉄道が使えない災害時に、水上から救援物資や人員を運ぶための現代の防災施設です。
すぐ近くに新旧二つの閘門があるため、小松川では「物資輸送の川」から「防災にも使う川」へと変わった東京の水運史を一度に見比べられます。
小松川千本桜と大島小松川公園|治水と再開発がつくった現在の景観
荒川沿いの小松川千本桜は、荒川の高規格堤防整備に合わせて1992年から植栽が始まり、2003年に完成しました。南北約2キロメートルに約30種、約1,000本の桜が続きます。花の名所として知られていますが、背景にあるのは低地の防災を強化する河川整備です。
都立大島小松川公園も、江東地域の防災拠点として整備された大規模公園です。旧中川、旧小松川閘門、荒川ロックゲート、スーパー堤防、千本桜が近い範囲に集まり、治水と都市再生の歴史を歩いて見られます。
船堀の歴史|新川がつくった「舟の町」
船堀の歴史を理解する中心は新川です。現在の新川につながる流路はもともと船堀川と呼ばれ、江戸城下の形成にともなって重要な水路になりました。寛永6年(1629)、幕府は船堀川の三角以西を掘り広げ、三角から江戸川までは新たに一直線の水路を開削しました。古い流れは古川、新しい流れは新川と呼ばれるようになります。
新川は行徳の塩を江戸へ運ぶ「塩の道」として知られ、その後は利根川・江戸川・新川・小名木川を結ぶ広域舟運の一部になりました。北関東や東北からの物資もこの水路を通って江戸へ入り、明治時代には蒸気船「通運丸」も航行しました。現在の船堀を住宅地だけで見ると分かりにくい町の成り立ちが、新川沿いでははっきり見えます。
新川千本桜|江戸の舟運路を歩ける水辺へ
現在の新川は全長約3キロメートル。舟運が途絶えた後、護岸の耐震化と遊歩道整備が進められ、「新川千本桜」として再整備されました。両岸には約20種、718本の桜が植えられ、火の見やぐらや橋など江戸情緒を意識した景観も整えられています。
春の桜だけでなく、水路そのものが江戸の物流を支えた史跡です。船堀駅から新川へ向かい、西側へ歩けば旧中川や小松川方面の水辺の歴史につながります。
船堀と金魚|江戸川区が日本三大産地になった理由
江戸川区の金魚養殖は明治末期に始まったとされ、1940年頃に最盛期を迎えました。当時は区内23軒の養殖業者が年間約5,000万匹を生産し、愛知県弥富市、奈良県大和郡山市と並ぶ日本三大産地として知られました。
昭和30年代以降、江戸川区の都市化が急速に進むと、養殖業者の多くは関東近県へ移転しました。船堀7丁目には東京都淡水魚養殖漁業協同組合があり、現在も金魚の初競りが行われています。2026年時点で区内の養殖業者は2軒です。
タワーホール船堀|水辺の低地を103メートルから眺める
船堀駅前のタワーホール船堀は1999年に開館しました。展望塔は高さ115メートル、展望室は地上103メートル。360度の眺望から荒川、中川、旧中川方面を見渡せます。地上で歩いた河川と低地の位置関係を確認できるため、歴史散歩の最後に立ち寄ると地形がつかみやすい場所です。
船堀3丁目の「あけぼの湯」は1773年(安永2)創業の老舗銭湯で、250年以上にわたり営業を続け、2024年12月18日に閉店しました。船堀に長く続いた銭湯文化を伝える場所として記録に残ります。
小松川・船堀の歴史散歩で見たいポイント
- 旧小松川閘門:荒川放水路建設と舟運の変化を伝える近代土木遺産
- 荒川ロックゲート:現代の水上交通と災害対策を担う閘門
- 旧中川・大島小松川公園:水辺の再生と防災都市づくりを体感できる場所
- 新川:行徳の塩を江戸へ運んだ舟運路
- 船堀の金魚文化:江戸川区が日本三大産地になった産業史
- タワーホール船堀:荒川・中川と低地の広がりを上空から確認できる展望地点
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小松川の西側に続く江東区の水運・交通史は、都電砂町線の廃線跡を歩く|西大島・北砂・南砂から東陽町へでも紹介しています。小名木川や旧鉄道跡を合わせて見ると、東京東部の物流が水路から鉄道・道路へ移っていった流れをつかめます。
TimeWalkで周辺の史跡を探す
TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。小松川・船堀周辺を歩く際は、現在地から歩ける史跡を地図で探すと、周辺の見どころを組み合わせやすくなります。

