《玉川上水》運動がてら新規開拓。普段いかない街、歩かない道を歩きます

玉川上水とは

玉川上水は、江戸市中への給水を目的としてつくられた羽村から四谷大木戸までの約43㎞の素掘りの水路です。承応元(1652)年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立て、庄右衛門しょうえもん、清右衛門せいえもん兄弟を工事請負人に任命しました。承応2(1653)年工事着工、わずか8か月で開削し、翌年6月には虎ノ門まで地下に石樋、木樋による配水管を布設し、江戸城をはじめ、四谷、麹町、赤坂の台地や芝、京橋方面に至る市内の南西部一体に給水しました。工事に尽力した兄弟は、褒賞として玉川の姓を賜りました。約43㎞の区間を約92mの標高差を利用して水を流すよう設計されています。現在でも、水道原水の導水路等として機能しています。

現代の玉川上水

多摩川水系は現在でも東京の上水源の1/3ほどを占めています。羽村取水堰で取水された水の大部分は山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)へ送水され、最終的には東村山浄水場(東村山市)で利用さます。

今回行くところ

玉川上水跡(暗渠)を歩きます。暗渠とは地下に埋設した水路のことです。以下のリンクはGoogleマップです。ナビ機能は歩く道とは異なるためナビに従わないようにし、原則、玉川上水跡を歩いてください。横断歩道の都合で一時的に外れる場合はあります。

葵橋跡

玉川上水のモニュメント

旧代々幡町灯籠

代々幡町(よよはたまち)は、東京府豊多摩郡にかってあった町。「代々木」の「代々」と「幡ヶ谷」の「幡」とをつなげて作った合成地名。代々幡村は京王電鉄創業の地。

代右衛門橋跡

代々幡橋跡

三田用水の取水口跡

第三号橋の玉川上水説明板

新宿駅から笹塚駅までの橋の一覧

葵橋(あおい)

千駄ヶ谷橋(せんだがや)

勿来橋(なこそ)

天神橋(てんじん)

三字橋(みあざ)

伊藤橋(いとう)

伊東小橋(いとうこばし)

改正橋(かいせい)

代右衛門橋( だいえもん)

新台橋(しんだい?)

西代々木橋(にしよよぎ)

二字橋(ふたあざ)

美寿々橋(みすす)

山下橋(やました)

代々幡(よよはた)

相生橋(あいおい)

常盤橋(ときわ)

六條橋(ろくじょう)

五條橋(ごじょう)

四條橋(しじょう)

北澤橋(きたざわ)

笹塚橋(ささづか)

第三号橋(だいさんごう)