玉川上水旧水路を歩く|新宿〜笹塚の暗渠・橋跡・三田用水をたどる歴史散歩

笹塚を東西に延びる水道道路の街路景観

新宿駅の西側から初台・幡ヶ谷・笹塚へ歩くと、道や緑道の下に江戸の玉川上水旧水路が続いています。水面の見えない区間でも、橋の名や欄干、緑道の曲線がかつての水路を伝えています。

この区間には、江戸の上水が近代水道へ切り替わる際に生まれた新水路、渋谷・目黒方面へ水を分けた三田用水、京王線創業期の鉄道史まで重なっています。新宿から笹塚まで、街の骨格をつくった水の道をたどります。

新宿〜笹塚でたどる玉川上水旧水路

今回歩くのは、新宿から初台、西原、幡ヶ谷、大山、笹塚へ続く玉川上水の旧水路です。現在は多くが暗渠あんきょとなり、渋谷区内では代々木・初台・西原・幡ヶ谷・大山・笹塚の旧水路緑道が約2.6キロにわたって整備されています。

笹塚・幡ヶ谷・初台などを示した東京都渋谷区の地図
渋谷区の北西部に笹塚・幡ヶ谷・初台が並びます。玉川上水旧水路はこの一帯を東西に通ります。

水路そのものは見えなくても、道路と緑道が不自然に細長く続く場所、交差する道に橋名が残る場所、古い欄干が保存されている場所をつなぐと流路が浮かび上がります。渋谷区立図書館が紹介する『渋谷の橋』には、渋谷区内の玉川上水旧水路に架かった35橋が収録されています。

玉川上水はなぜ新宿まで水を運べたのか

玉川上水は、江戸の人口増加に対応して多摩川の水を市中へ送るためにつくられました。幕府は1652年に計画を立て、翌1653年に工事を開始します。工事を担ったのは庄右衛門しょうえもん・清右衛門せいえもん兄弟です。羽村から四谷大木戸まで約43キロの水路は約8か月で開かれ、1654年には石樋や木樋を通じて江戸市中への給水が広がりました。

羽村から四谷大木戸までの標高差は約92メートルです。大きな落差のない武蔵野台地を選びながら水を自然に流したため、玉川上水は台地上の村々や江戸の西側へ水を届けられました。玉川上水を含む東京の上水・浄水場・ダムの歴史は別記事で詳しくまとめています。

旧水路と新水路はどう違うのか

明治期に近代水道が整備されると、玉川上水下流部の役割は大きく変わりました。1898年、現在の西新宿に淀橋よどばし浄水場が完成し、東京市の近代水道が始まります。従来の玉川上水は浄水場より低い場所を通っていたため、そのままでは原水を自然流下で運べませんでした。

そこで代田橋付近から淀橋浄水場まで約4キロの「玉川上水新水路」が整備されました。1901年に従来の市内給水が止まると、上水は近代水道の原水を運ぶ施設へ役割を変えます。1937年に甲州街道下の導水暗渠が完成すると新水路は廃止され、跡地の一部は現在の水道道路(都道431号)になりました。

東村山浄水場と廃止前の淀橋浄水場を比較した航空写真
現在の東村山浄水場と、1965年に廃止された淀橋浄水場の比較。西新宿の高層ビル街は淀橋浄水場跡地に広がりました。
幡ヶ谷付近の現在の地図と旧版地図を比較した図
幡ヶ谷付近の現在の地図(上)と旧版地図(下)の比較。玉川上水と新水路跡の水道道路が近接して走ります。
終戦直後の新宿・幡ヶ谷周辺航空写真に玉川上水や水道道路を示した図
終戦直後の航空写真。淀橋浄水場、玉川上水、水道道路の位置関係が分かります。

旧水路と新水路は同じ「玉川上水」の歴史に属しますが、つくられた時代も目的も異なります。新水路と水道道路を中心に歩く場合は、幡ヶ谷〜新宿の玉川上水新水路・水道道路・和泉川暗渠を歩くコースで詳しく紹介しています。

新宿から初台へ―葵橋と内藤新宿の水路

新宿側では、葵橋跡や玉川上水のモニュメントが旧水路をたどる手がかりになります。玉川上水は江戸時代、甲州街道の宿場だった内藤新宿ないとうしんじゅくの近くを通って四谷大木戸へ向かいました。四谷大木戸から先は地中の樋を使って江戸市中へ配水されます。

2003年、玉川上水は国の史跡に指定されました。東京都水道局によると、下流の笹塚橋から四谷大木戸までの暗渠区間は史跡指定の範囲外です。新宿〜笹塚では、橋跡や道路の形に水路の痕跡が密集しています。

西新宿では旧水路の痕跡と淀橋浄水場跡を一緒に見ることができます。周辺の都市開発まで含めた散歩は、新宿・西新宿・初台の歴史と開発を楽しむ散歩にもまとめています。

初台から幡ヶ谷へ―代々幡町と橋跡

初台から幡ヶ谷へ進むと、橋の痕跡が次々に現れます。改正橋、代右衛門橋、新代々幡橋、西代々木橋、二字橋など、現在の道路名や緑道の節目に橋名が残っています。水路が暗渠化されたあとも、橋が地域の場所の名前として生き残った例です。

橋跡や水門など暗渠を見つける手がかりをまとめた図
橋跡や細長い道、道路の段差などは、地下に入った水路を探す手がかりになります。

代々幡よよはたという地名は、1889年に代々木村と幡ヶ谷村が合併して代々幡村となったことに始まります。1915年に町制を施行し、1932年には渋谷町・千駄ヶ谷町と合併して東京市渋谷区になりました。旧代々幡町灯籠は、この行政地名が使われていた時代を伝える現地の目印です。

笹塚と京王線―水路沿いに始まった郊外交通

笹塚は京王線の歴史でも重要な地点です。京王電気軌道は1910年に設立され、1913年4月15日に笹塚〜調布間を最初の鉄道区間として開業しました。まだ鉄道がつながっていなかった新宿〜笹塚では、同時期に乗合自動車が運行されています。1915年5月には新宿〜調布が鉄道で結ばれました。

さらに初台駅は、1914年の開業時には「改正橋」という駅名でした。玉川上水旧水路の橋名が、そのまま鉄道駅名になっていた時期があったことになります。水路沿いの橋と、新しく伸びた郊外鉄道が同じ地名を共有していた痕跡です。

三田用水は玉川上水から渋谷・目黒へ流れた

三田用水みたようすいの前身は、1664年に開かれた三田上水です。現在の笹塚に近い下北沢村で玉川上水から分かれ、代々木・中渋谷・上目黒・中目黒・下目黒・三田・白金方面へ流れました。目黒区の資料では延長は約8キロとされ、江戸南西部へ水を運ぶ上水として使われています。

三田上水は1722年に上水として廃止されましたが、沿線農民の願いによって1724年から農業用水として再利用されました。その後は水車や工業用水にも利用され、都市化の中で長く役割を変えながら使われました。笹塚付近の分水地点を知ると、玉川上水の水が渋谷・目黒・白金の地域史へつながっていきます。

三田用水の下流側を歩くなら、恵比寿〜目黒で三田用水跡をたどる散歩へ続けられます。

新宿〜笹塚の橋跡一覧

新宿から笹塚までの旧水路には、多くの橋名が残ります。現在の現地表示と渋谷区の資料を照合し、旧記事で「新台橋」としていた箇所は「新代々幡橋」、「代々幡」としていた箇所は「代々幡橋」に整理しました。渋谷区立図書館が紹介する『渋谷の橋』では、渋谷区内の旧水路全体で35橋が記録されています。

順橋名周辺
1葵橋新宿
2千駄ヶ谷橋代々木
3勿来橋代々木
4天神橋代々木
5三字橋みあざばし初台
6伊藤橋初台
7伊東小橋初台
8改正橋初台
9代右衛門橋初台
10新代々幡橋初台
11西代々木橋西原
12二字橋ふたあざばし西原
13美寿々橋西原
14山下橋幡ヶ谷
15代々幡橋幡ヶ谷
16相生橋幡ヶ谷
17常盤橋幡ヶ谷
18六條橋大山
19五條橋大山
20四條橋大山
21北澤橋笹塚
22笹塚橋笹塚
23第三号橋笹塚

2026年現在、玉川上水旧水路緑道は再整備中

渋谷区では玉川上水旧水路緑道の再整備が進んでいます。2026年8月時点では、常盤橋〜相生橋と大山緑道の一部は完成し、相生橋〜美寿々橋は2026年10月、代右衛門橋〜改正橋と美寿々橋〜西代々木橋は2027年3月、新代々幡橋〜代右衛門橋など初台緑道の一部は2027年6月の完成予定です。

工事区間や完成時期は変わる可能性があるため、散歩当日の状況は渋谷区「緑道再整備の工事について」で確認できます。

散歩で見たい7つの地点

新宿から笹塚へ歩くときの主要地点を、東から西へ並べました。各名称からGoogleマップを開けます。

  1. 葵橋跡―新宿側で旧水路の位置をつかむ起点
  2. 玉川上水のモニュメント―西新宿に残る水路の記憶
  3. 旧代々幡町灯籠―旧町名を伝える地域史の痕跡
  4. 代右衛門橋跡―初台緑道に残る橋名
  5. 代々幡橋跡―幡ヶ谷側へ続く旧水路の節目
  6. 三田用水の取水口跡―渋谷・目黒方面へ向かう用水の起点
  7. 第三号橋の玉川上水説明板―笹塚側で上水の歴史を確認できる地点

参考資料