東京駅・大手町側の常盤橋から、日本橋川に沿って神田橋、一ツ橋、雉子橋をたどり、九段下の俎橋へ。江戸城外郭の門跡、河岸、大名屋敷、近代東京の橋をつないで歩く歴史散歩です。現在は高層ビルと首都高速が目立つ一帯ですが、石垣、橋名、河岸跡を追うと、江戸城の外濠だった水辺の輪郭が見えてきます。

今回のコース概要
- TOKYO TORCH Park・常盤橋門跡
- 大手町川端緑道
- 鎌倉河岸跡
- 神田橋門跡
- 一橋徳川家屋敷跡
- 一ツ橋
- 雉子橋
- 大隈重信雉子橋邸跡
- 俎橋
日本橋川の下流側から上流へ進む流れです。江戸時代の城門と水運、明治以降の橋梁整備、現在の大手町・神保町・九段下の街並みを一続きで確認できます。
常盤橋門跡――江戸五口の一つだった外郭の正門
常盤橋門は1629年に築かれた江戸城の枡形門です。奥州街道へ通じる重要な出入口で、田安門、神田橋門、半蔵門、外桜田門とともに「江戸五口」に数えられました。外郭の正門にあたることから大手口とも呼ばれています。
門は1873年に撤去されましたが、石垣が残り、常盤橋公園一帯は国指定史跡「江戸城跡」の一部です。日本橋川を挟んで石垣を見ると、現在の大手町が江戸城の内外を分ける境界だったことが分かります。
ここでは「常盤橋」と「常磐橋」の違いも見どころです。明治10年(1877年)に架けられた石造アーチ橋は「常磐橋」と表記し、都内最古の石橋として千代田区が修復を行いました。江戸の門跡と明治の石橋が同じ水辺に重なっています。
大手町川端緑道――外濠だった水辺を歩く
日本橋川沿いの大手町川端緑道では、オフィス街の中で水辺に近づけます。沿道には旧江戸城外濠の石積みが残り、舗装には江戸小紋を意識した意匠も使われています。
常盤橋から神田橋方面へ歩く区間は、川そのものが城下町の構造を伝える史料です。現在の日本橋川は交通インフラに囲まれていますが、江戸では城の防御と物資輸送の両方を担う水路でした。
鎌倉河岸――江戸城築城を支えた荷揚げ場
神田橋から鎌倉橋周辺は、江戸初期から鎌倉河岸と呼ばれました。徳川家康の江戸入城後、城づくりに使う材木や石材が相模国から運び込まれ、鎌倉から来た材木商が取り仕切ったことが名の由来と伝わります。
河岸は水運の荷揚げ場です。築城資材が集まった場所に商いが生まれ、周辺の町が形成されました。江戸城の防御施設を巡る散歩の途中に河岸を見ると、城下町が軍事だけでなく物流によって成長したことが分かります。
神田橋門跡――将軍の御成道を守った門
神田橋門は1629年、真岡藩主・稲葉正勝らによって築かれました。江戸五口の一つで、将軍が上野寛永寺や日光東照宮へ参詣する際の御成道にあたり、重要な城門でした。
現在は門そのものは残らず、橋の近くに枡形石垣の一部が残ります。常盤橋門の大きな石垣と比べると遺構は小さいものの、江戸城の外郭線が日本橋川沿いに連続していたことを確かめられます。
一橋徳川家屋敷跡――将軍家を支えた御三卿

一橋徳川家は1741年、8代将軍徳川吉宗の第四子・徳川宗尹が一橋門内に屋敷を与えられたことに始まります。田安家、清水家とともに御三卿を構成し、将軍家の後継を補う家格として幕政に深く関わりました。
一橋家からは11代将軍徳川家斉が出ており、幕末には一橋家を継いだ徳川慶喜が15代将軍となりました。大手町の一角に残る屋敷跡の碑は、ビジネス街の地下に近い場所まで広大な武家地が広がっていたことを伝えています。
一ツ橋――橋名から家名へ
一ツ橋の名は、徳川家康の江戸入国頃に大きな丸木が一本架けられていたことに由来すると伝わります。近くの門内に一橋家が屋敷を構えたため、橋の名が徳川家の家名としても残りました。
現在の橋は1925年の架橋で、江戸時代の位置よりやや東寄りです。門や橋の位置が時代とともに動いているため、現在の道路だけで江戸の地図を重ねず、残る石垣や川の線と合わせて見ると分かりやすくなります。
雉子橋――江戸城内郭門と橋の記憶
雉子橋の名は、徳川家康が朝鮮からの使節を饗応するため、雉をこの付近で飼ったことに由来すると伝わります。1629年に江戸城内郭門の一つである雉子橋門が築かれ、1873年に櫓門が撤去されました。
現在の雉子橋は1925年に架けられた鋼橋です。日本橋川と首都高速、近代橋梁が重なる風景の中に、江戸の門名がそのまま残っています。
大隈重信雉子橋邸跡――明治の政治家が暮らした場所
現在の千代田区役所周辺には、明治期に大隈重信の雉子橋邸がありました。大隈は二度にわたり内閣総理大臣を務め、東京専門学校、現在の早稲田大学の創設でも知られます。
江戸時代には城門と武家地だった場所が、明治になると政治家の邸宅や官庁のある近代都市へ変わります。雉子橋周辺は、その転換を短い距離で確認できる場所です。
俎橋――九段下に残る日本橋川の橋名
俎橋は九段下駅近くで日本橋川に架かり、靖国通りを神田神保町三丁目へつなぎます。古くは大橋、魚板橋とも呼ばれました。現在の橋は1983年竣工です。
「俎橋」の由来は諸説あり、千代田区観光協会は近くに御台所町があったこととの関係を紹介しています。常盤橋から続けて歩くと、日本橋川の橋名一つひとつが、江戸の町名や城門の記憶を残していることが分かります。
あわせて読みたい歴史散歩
日本橋川をさらに下流までたどるなら、水道橋から日本橋まで日本橋川を歩く|江戸城外濠・河岸・水運の歴史散歩で、常盤橋から日本橋へ続く河岸と水運の歴史を詳しく紹介しています。
九段下から飯田町・飯田橋方面へ続けて歩くなら、九段下~飯田橋の歴史散歩|飯田町・甲武鉄道・東京大神宮・牛込見附を歩くがつながります。飯田橋から外濠を越えて神楽坂へ向かう散歩は、神楽坂歴史散歩ガイドも参考になります。
2023年7月3日開催レポート|女子会で常盤橋から俎橋へ
2023年7月3日19時30分から、6名で「女子会|常盤橋~俎橋の歴史散歩」を開催しました。TOKYO TORCH 常盤橋タワーに集合し、常盤橋公園から日本橋川沿いをたどって、鎌倉河岸、大手町川端緑道、雉子橋御門跡を経て、千代田区立俎橋児童遊園まで歩きました。高層ビルの明かりが続く夜の大手町で、江戸城外郭の門・石垣・河岸の痕跡を現地の風景と重ねていく散歩です。

常盤橋公園で渋沢栄一像と江戸・東京の重なりを見る
最初に立ち寄った常盤橋公園は、国指定史跡の常盤橋門跡を含む場所です。千代田区の保存活用資料によれば、公園は1933年に開園し、同年に渋沢栄一像が完成しました。戦時中の金属供出で像はいったん撤去され、現在の像は1955年に再建されたものです。江戸城外郭の門跡に、近代日本の経済界を代表する人物の像が置かれているところにも、この場所の歴史の重なりが表れています。


大手町を歩き、鎌倉河岸へ
常盤橋公園を出て大手町を進みます。現在はオフィス街ですが、日本橋川沿いには江戸の都市形成を読み解く手掛かりが点在しています。なかでも鎌倉河岸は、徳川家康の江戸入城後、築城に使う材木や石材が相模国から運び込まれ、鎌倉から来た材木商が取り仕切ったことに名が由来すると千代田区が紹介しています。築城資材の荷揚げ場に人と物が集まり、商いと町が育っていった場所でした。



大手町川端緑道から雉子橋御門跡へ
日本橋川沿いの大手町川端緑道を進み、散歩の後半は雉子橋周辺へ。千代田区の史跡資料では、雉子橋門跡は現在の雉子橋から上流約100メートルに位置し、隅角部の石垣が一部残るとされています。門そのものが失われた場所でも、石垣と川筋を見ることで、江戸城外堀の門が置かれた空間を具体的に捉えられます。


俎橋まで歩いて終了
最後は俎橋方面へ進み、千代田区立俎橋児童遊園で終了しました。常盤橋から俎橋まで続けて歩くと、現代の大手町・一ツ橋・九段下の景観の中に、江戸城の門、外堀、水運、近代の都市整備が層のように残っていることが分かります。夜の街歩きだったため、昼間とは違う落ち着いた都心の風景の中で、説明板や石垣を一つずつたどる開催となりました。

TimeWalkで江戸城外郭を歩く
TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。大手町、日本橋川、神保町、九段下周辺では、現在地から歩ける史跡を地図で探すことができます。

