中野の歴史散歩|生類憐みの令の犬屋敷・新井薬師・旧中野刑務所・平和資料展示室を巡る

新井薬師梅照院の境内入口と梅照院の石碑

中野駅周辺から新井・沼袋方面へ歩くと、江戸幕府の鷹場と「生類憐みの令」の犬屋敷、新井薬師の信仰、大正期の監獄建築、戦争の記憶まで、時代の異なる史跡が近い範囲に重なっています。

2024年3月9日 開催レポート

2024年3月9日12時から、「生類憐みの令による犬屋敷、新井薬師公園、平和資料展示室など中野の史跡巡り」を開催しました。今回は5人で、中野犬屋敷跡、中野ブロードウェイ、薬師あいロード商店街、新井薬師梅照院、新井薬師公園、旧豊多摩監獄表門、中野区平和資料展示室を巡りました。

今回のコース概要

  1. 中野犬屋敷(御囲)
  2. 中野ブロードウェイ
  3. 薬師あいロード商店街
  4. 新井山梅照院(新井薬師)
  5. 新井薬師公園・ひょうたん池/新井復興土地区画整理組合竣功記念碑
  6. 旧豊多摩監獄表門(旧中野刑務所正門)
  7. 中野区平和資料展示室

中野は将軍の鷹場から犬屋敷の町へ

徳川将軍家の系図

江戸時代の中野は、将軍の鷹狩りと深い関係を持つ地域でした。5代将軍徳川綱吉とくがわつなよしの時代になると鷹狩りは停止され、元禄8年(1695)末から中野に大規模な犬の収容施設「御囲」が置かれます。中野区の資料では、現在の中野区役所周辺を中心とする施設は約30万坪に及び、犬小屋、餌場、日陰場、子犬の養育場などを備えていました。開始直後には約10万頭の犬が集められたことが記録に残ります。

御囲は綱吉の死後、宝永6年(1709)に廃止されました。中野にはのちに「囲町」という町名が生まれ、巨大な犬屋敷の記憶は地名にも残りました。御囲の建物は現存せず、現在は市街地の中で跡地や地名からその規模をたどります。

中野の歴史散歩で訪れる史跡

徳川吉宗と中野の桃園

8代将軍徳川吉宗とくがわよしむねは鷹狩りを復活させ、中野をたびたび訪れました。中野区の記録では、享保13年(1728)から寛保3年(1743)までに11回の来訪が記録されています。吉宗は気に入った土地に桃を植えさせ、現在の中野三丁目一帯に「桃園」と呼ばれる場所が生まれました。江戸後期には花見の名所として知られるようになります。

犬屋敷と桃園は、ともに歴代将軍と中野の関係を伝える題材です。徳川15代将軍と側近から江戸史をたどる記事では、綱吉や吉宗の時代背景をさらに詳しく紹介しています。

中野ブロードウェイから薬師あいロードへ

犬屋敷跡から北へ進むと、中野ブロードウェイを経て薬師あいロード商店街へつながります。近現代の商業地を抜けながら、江戸時代から信仰を集めてきた新井薬師へ向かう区間です。駅前のにぎわいから寺町の空気へ、街の表情が少しずつ変わっていきます。

中野ブロードウェイ館内を歩く中野歴史散歩
中野ブロードウェイを通り、新井薬師方面へ向かいました。

新井薬師 梅照院|1586年創建の寺

新井薬師として親しまれる新井山梅照院ばいしょういん薬王寺は、天正14年(1586)創建と伝わる真言宗豊山派の寺院です。公式縁起によると、開基は行春ぎょうしゅん。梅の木から光が差し、梢の空洞から二仏一体の尊像が現れたという伝承から「梅照院」の名が伝わります。現在の正式名称は新井山梅照院薬王寺です。

この日の散歩では境内へ入り、石碑と山門の先へ進みながら寺の由緒をたどりました。境内に咲く花にも足を止め、門前の商店街から寺院へ続く現在の街並みと、地域に根付いた信仰の場をあわせて見ていきました。

新井薬師梅照院の境内入口と梅照院の石碑
新井薬師として親しまれる新井山梅照院を訪ねました。
新井薬師梅照院境内の桜
3月の境内では花も見られ、歴史散歩の途中で季節の風景を楽しみました。
新井薬師梅照院境内に咲く桜の花
新井薬師梅照院で見た春の花。

新井薬師公園とひょうたん池

梅照院の近くには新井薬師公園があり、園内にはひょうたん池があります。周辺には新井復興土地区画整理組合竣功記念碑も残り、寺院の歴史とともに、近代以降の地域整備の痕跡をたどれます。古い信仰の場と住宅地・公園が連続する新井の街並みを観察しやすい場所です。

旧中野刑務所正門|大正4年の赤レンガ建築

新井から平和の森公園方面へ進むと、旧豊多摩監獄表門きゅうとよたまかんごくひょうもんがあります。前身の市谷監獄を移すため明治42年(1909)に建設が始まり、大正4年(1915)に完成しました。設計は建築家・後藤慶二ごとうけいじ。中野区指定有形文化財です。

施設は豊多摩監獄、豊多摩刑務所、中野刑務所と名を変え、昭和58年(1983)に廃止されました。治安維持法下では思想・政治事件で収容された人々もおり、戦前・戦中の社会史を考える場所でもあります。刑務所跡地の北側は平和の森公園や中野水再生センター、総合体育館へと姿を変えました。

表門は保存のため、令和6年(2024)4月から移築・修復事業が進められています。2026年現在は工事中のため、2024年3月の街歩き当時とは現地の見え方が変わっています。

平和の森公園と中野区平和資料展示室

旧中野刑務所跡地の一角にある中野区立総合体育館1階には、中野区平和資料展示室があります。区民から寄贈された戦時資料などを通して、中野の戦争と平和について学べる展示空間です。

この日の最後に展示室へ入り、実物資料と解説パネルを見学しました。「中野のまちと刑務所」の展示では、市谷監獄から中野への移転、豊多摩監獄・豊多摩刑務所・中野刑務所への改称、1983年の廃庁までが年表で示されています。隣には中野区の平和首長会議加盟を紹介する展示もあり、刑務所跡地の歴史から、現在の平和への取り組みまでを一つの場所で考えられる構成でした。

中野区平和資料展示室の展示風景
中野区立総合体育館1階の平和資料展示室を見学しました。
中野区立総合体育館と平和の森公園周辺
平和資料展示室がある中野区立総合体育館。旧中野刑務所跡地周辺の歴史をたどりました。
中野区平和資料展示室の平和首長会議と中野刑務所の解説展示
平和首長会議への加盟や、中野のまちと刑務所の歴史を紹介する展示。
中野区平和資料展示室を見学する参加者
この日の一行で展示資料を見ながら、中野の戦争と平和の歴史を学びました。

中野ブロードウェイのにぎわいから新井薬師の境内、旧中野刑務所跡地、平和資料展示室へと歩くことで、江戸・近代・戦時期・現代と時代を切り替えながら中野の歴史をたどる開催となりました。屋外の史跡と屋内展示を組み合わせ、現在の街並みだけでは見えにくい土地の変化を学べるコースでした。

中野の歴史をさらに歩く

中野の将軍ゆかりの史跡を続けて歩くなら、中野坂上の宝仙寺・徳川吉宗の象・三重塔跡を巡る歴史散歩もつながりの深いコースです。こちらの記事からも本ページの犬屋敷・新井薬師ルートを紹介しており、相互にたどれる構成になっています。

徳川将軍家そのものを深掘りしたい方には、上野公園と徳川将軍家を巡る歴史散歩もおすすめです。綱吉や吉宗の時代を、別の史跡から補えます。

TimeWalkで中野の史跡を地図から探す

TimeWalkは、現在地や指定地点の近くにある歴史スポットを地図で探し、自分で歴史散歩を楽しめるWebアプリです。今回のコースの予習・復習や、中野で別の史跡を探したいときは、現在地から歩ける史跡を地図で探すことができます。

参考資料

まとめ

中野のこのルートには、将軍の鷹場と犬屋敷、新井薬師の信仰、大正期の監獄建築、戦争と平和を伝える資料が連続しています。2024年3月9日の開催では、5人で実際に街を歩き、寺院の境内や平和資料展示室を訪ねることで、史料上の出来事と現在の中野の風景を結び付けました。駅前の商業地から公園まで歩く間に、江戸から現代までの都市の変化を一度にたどれる歴史散歩です。