2026年3月28日、TAKANAWA GATEWAY CITYがグランドオープンしました。高層ビルが並ぶ新しい街から西へ歩くと、江戸の入口だった高輪大木戸、約4,000年前の伊皿子貝塚、古代の遺構が重なる三田台、亀塚へと景色が変わります。
高輪の歴史を一本につなぐ鍵は、海岸線です。縄文時代には台地のすぐ下まで海が迫り、江戸時代には海沿いを東海道が通り、明治には海上へ築いた高輪築堤を日本最初の鉄道が走りました。その後の埋め立てと車両基地を経て、現在の街へ続いています。
高輪ゲートウェイの歴史は「海岸線」を見るとつながる
高輪・三田は、武蔵野台地の東端にあたる高台と東京湾沿岸の低地が接する地域です。伊皿子貝塚遺跡は海抜約11メートルの斜面上にあり、約4,000年前には東京湾がすぐ足元まで広がっていました。江戸時代になっても高輪の東側は海に近く、東海道は海沿いを南へ延びていました。
この地形が、貝塚、街道、鉄道、埋め立て、車両基地、再開発という異なる時代の歴史を同じ場所に重ねました。現在の第一京浜から高輪台地へ上がる坂道を歩くと、かつての海と陸の高低差を体で感じられます。
TAKANAWA GATEWAY CITY|車両基地から約13ヘクタールの新しい街へ
高輪ゲートウェイ駅周辺には、かつて大規模な車両基地が広がっていました。上野東京ラインの開業などを受けて基地機能が見直され、約13ヘクタールの土地が生まれたことがTAKANAWA GATEWAY CITYの開発につながりました。計画全体の延床面積は約84万5,000平方メートルに及びます。
2025年3月のまちびらきを経て、2026年3月28日にグランドオープンしました。商業施設やオフィスの新しさだけを見ると令和の街ですが、その足元には明治の鉄道史が残っています。

高輪築堤|1872年、海の上を日本最初の鉄道が走った
1872年(明治5年)、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開業しました。高輪付近では線路用地の確保が難しく、海岸沿いの海上に石垣を築き、その上へ線路を通しました。これが高輪築堤です。築堤は本芝付近から品川駅手前まで約2.7キロメートル続いていました。
その後、周辺の埋め立てや鉄道施設の拡大によって姿を消していましたが、2019年に品川駅改良工事の過程で石垣が見つかり、発掘調査で良好な遺構が確認されました。再開発の地下から、日本の近代化を支えた鉄道の遺構が現れたことになります。
国史跡となった第7橋梁部などは現地保存が進められ、JR東日本は2028年春の公開を予定しています。TAKANAWA GATEWAY CITYは、車両基地跡に生まれた新しい街であると同時に、日本の鉄道が海へ踏み出した場所でもあります。
東京各地の再開発を歴史から比べるなら、築地・高輪・渋谷など東京の再開発と土地の歴史もあわせて読めます。
高輪大木戸|1710年、江戸の南の玄関口
高輪築堤より約160年前の1710年(宝永7年)、東海道には高輪大木戸が設けられました。江戸の南側の入口にあたり、治安維持と交通規制の役割を担った場所です。旅立つ人を見送る人々や旅支度を整える人々が集まり、高輪は街道の玄関口としてにぎわいました。

現在残るのは東側の石垣で、1928年に国史跡となりました。測量家の伊能忠敬は1800年、蝦夷地測量へ向かう際にここを測量の起点としています。江戸の「Gateway」だった場所のすぐ北に、現代の高輪ゲートウェイ駅と新しい街が生まれたことになります。

高輪大木戸から品川・五反田方面へ歩くコースは、高輪ゲートウェイ駅〜品川駅〜五反田駅ナイトウォークで紹介しています。
伊皿子貝塚|約4,000年前、この高台の下は海だった
伊皿子貝塚遺跡は三田四丁目にある、縄文時代から江戸時代までの遺構が重なる遺跡です。1978年夏から約1年半にわたる発掘調査では、縄文時代後期の敷石住居跡と貝塚が見つかりました。約4,000年前、この場所は海を見下ろす台地の縁でした。
三田台公園には、発掘で見つかった縄文時代の住居をもとにした復元住居と、伊皿子貝塚から剥ぎ取って保存した貝層断面が展示されています。港区内で唯一の遺跡公園で、古墳時代の住居跡も復元されています。ビル街の中で、土地の高さと古代の海辺の暮らしを同時に見られる場所です。
伊皿子では縄文・弥生・古墳・奈良平安の暮らしが重なる
伊皿子貝塚遺跡の価値は、縄文時代の貝塚だけにありません。調査では、弥生時代中期の方形周溝墓2基、古墳時代後期の住居跡3軒、奈良・平安時代の住居跡1軒も確認されました。出土品は約1万2,000点にのぼります。
同じ台地が長い時代にわたって繰り返し使われたため、地中には異なる時代の生活痕が層のように残りました。「古墳」を探すより、古墳時代の人々が実際に暮らした住居跡を見る方が、この地域の古代史を具体的に理解できます。
亀塚|古代の塚と江戸の大名屋敷が重なる場所
三田台公園の南にある亀塚は東京都指定史跡です。立地や形状から古墳の可能性が高いとされてきた塚で、周囲には古代の遺構が残ります。港区の調査資料では、塚に伴う周溝や埋葬施設は確認されていません。
江戸時代、この一帯は上野国沼田藩を治めた土岐家の下屋敷となりました。1750年、塚の上に亀山碑が建てられています。土地には『更級日記』に登場する竹芝寺の伝説や、亀にまつわる伝承も重なり、古代の遺跡が江戸時代の大名屋敷の記憶へ受け継がれました。
泉岳寺や高輪・三田の史跡をさらに巡るコースは、港区の高輪・泉岳寺・三田エリアの歴史散歩で紹介しています。
三田へ下ると、元禄赤穂事件から江戸城無血開城へつながる
亀塚から三田駅方面へ下る途中には、水野監物邸跡があります。元禄赤穂事件の後、赤穂浪士の一部が預けられた大名屋敷の跡です。港区でも史跡をたどるまち歩きコースに組み込まれています。
さらに三田駅近くには、西郷隆盛と勝海舟の会見地を伝える碑があります。1868年(慶応4年)、江戸城無血開城へ向けた2回目の会見が薩摩藩蔵屋敷で行われたと伝わる場所です。縄文の海辺から始まった散歩は、江戸の終わりを決めた幕末史へ到達します。
途中の蟻鱒鳶ルは、コンクリートを自力で打ちながら長期間つくられてきた現代建築です。古代遺跡や江戸史跡とは時代が違いますが、三田の街に積み重なる現代の風景として立ち寄れます。
高輪ゲートウェイから三田までの歴史散歩コース
全体はおよそ2.6キロメートルです。純粋な徒歩移動は約40分が目安で、TAKANAWA GATEWAY CITYや史跡、公園を見ながら歩くと1時間半以上みておくとゆっくり巡れます。
- 高輪ゲートウェイ駅
- TAKANAWA GATEWAY CITY
- 高輪大木戸跡
- 伊皿子貝塚・三田台公園
- 亀塚・亀山碑
- 蟻鱒鳶ル
- 水野監物邸跡
- 西郷隆盛・勝海舟会見地
- 三田駅

