高輪の歴史散歩|プリンスホテル日本庭園・二本榎・清正公・シェラトン都ホテル東京を歩く

グランドプリンスホテル高輪の日本庭園の池と樹木

品川駅から高輪の高台へ上がり、ホテルの日本庭園、旧宮家の邸宅、寺町の細い道、二本榎にほんえのき、白金台の清正公を経て、シェラトン都ホテル東京の庭園へ。高輪には、江戸の街道と寺院、明治以降の皇族・財界人の邸宅、現代のホテルが重なっています。

この散歩では、庭園そのものの美しさに加え、「なぜ高輪に大きな庭や邸宅が集まったのか」を土地の歴史からたどります。品川駅周辺から白金台まで、坂道と細い道が続くため、街の高低差も見どころです。

高輪はなぜ庭園と邸宅の街になったのか

江戸時代の高輪は、東海道で江戸へ出入りする南の玄関口でした。海に近い低地の東海道から西へ入ると、すぐに高台が立ち上がります。台地上には大名や旗本の屋敷、寺院が置かれ、明治になると皇族や政財界人の邸宅が建つようになりました。

品川駅高輪口の駅舎と駅前を行き交う人々
品川駅高輪口、2004年5月20日。撮影:Sirkan/Wikimedia Commons/パブリックドメイン。

現在のホテルや庭園を歩くと、こうした土地利用の変化が一続きに見えてきます。旧宮家の洋館がホテルの貴賓館として残り、旧邸宅地には大規模な庭園を持つホテルが建ちました。高輪の坂と庭は、地形と近代の邸宅文化が重なった景観です。

戦前の高輪周辺で品川駅や宮邸などの位置を示した地図
戦前(昭和初期)の高輪周辺。品川駅と宮邸、毛利公爵邸、岩崎邸の位置関係を示しています。

グランドプリンスホテル高輪の日本庭園

グランドプリンスホテル高輪、グランドプリンスホテル新高輪、ザ・プリンス さくらタワー東京に囲まれた日本庭園は、約2万平方メートル。1971年、旧高輪プリンスホテルの新築に伴って、皇居新宮殿の庭園にも関わった楠岡悌二くすおか ていじが作庭しました。

池と樹木が広がるグランドプリンスホテル高輪の日本庭園
グランドプリンスホテル高輪の日本庭園、2017年。撮影:Daderot/Wikimedia Commons/CC0。
グランドプリンスホテル高輪の日本庭園の池と樹木
グランドプリンスホテル高輪の日本庭園、2010年。撮影:Daderot/Wikimedia Commons/Public Domain。

庭園内には池や四季の樹木だけでなく、観音堂、鐘楼、山門などの歴史的建造物が点在します。観音堂・鐘楼・山門は2021年に港区指定有形文化財となりました。現代のホテル庭園の中に、移築された古建築が組み込まれている点が高輪らしいところです。

春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉と季節ごとに印象が変わります。夜桜を中心に歩く場合は、プリンスホテル日本庭園と高輪エリアの夜桜をめぐって歩くもあわせて楽しめます。

旧竹田宮邸・高輪貴賓館

日本庭園の近くに立つ高輪貴賓館は、1911年に旧竹田宮邸として完成した洋館です。竹田宮恒久王たけだのみや つねひさおうと、明治天皇の第6皇女・昌子内親王の新居となりました。

プリンスホテルの公式資料では、宮廷建築家・片山東熊が建築を手掛けたと紹介されています。赤坂離宮にも通じる華やかな意匠を持ち、近代の高輪が皇族や要人の邸宅地として選ばれた時代を今に伝えます。

村野藤吾設計のグランドプリンスホテル新高輪の外観
グランドプリンスホテル新高輪、2008年。撮影:Wiiii/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0。
東京都港区高輪にあるザ・プリンス さくらタワー東京の外観
ザ・プリンス さくらタワー東京、2024年4月28日。撮影:織美左衛門/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0。

高輪の坂と裏路地を歩く

高輪を歩くと、広い幹線道路のすぐ裏に細い道や急な坂が現れます。東側の低地から西側の台地へ上がる地形が、街路の高低差として残っているためです。高輪公園から高野山東京別院、二本榎へ向かう区間では、観光地の表通りとは違う高輪の地形を体感できます。

裏路地をさらに詳しく歩いた記録は、高輪皇族邸と裏路地の散歩レポートにまとめています。

高野山東京別院と江戸の寺町

高野山東京別院は、高野山真言宗総本山金剛峯寺の別院です。慶長年間に高野山の在番所として開かれ、1673年には「高野山江戸在番所高野寺」として建立されました。江戸幕府との宗務上の交渉や、幕府からの通達を各地の古義真言宗寺院へ伝える触頭ふれがしらを務めた寺です。

現在の弘法大師像だけを見ると一寺院の境内に見えますが、江戸時代には高野山と幕府をつなぐ実務拠点でした。高輪に寺院が集まった歴史を考えるうえで重要な場所です。

二本榎――旅人の目印から地名へ

高輪の旧地名として残る二本榎は、江戸時代の街道風景に由来します。港区の地域資料では、東海道を日本橋から品川宿へ向かう途中、右手の小高い丘陵地を「高縄手」と呼び、寺に立つ2本の大きな榎が旅人の目印になったことから二本榎の名が生まれたと紹介されています。

1967年の住居表示で二本榎の町名は高輪へ統合されましたが、碑や高輪消防署二本榎出張所などに名前が残ります。散歩中に「二本榎」という文字を見つけると、現在の道路の下に旧街道沿いの地域名が重なっていることがわかります。

覚林寺・清正公

白金台の覚林寺は、加藤清正を祀ることから「清正公」と呼ばれています。港区資料によると、寺は1631年に開創され、1845年の火災後、山門は1856年、清正公堂は1865年に再建されました。

清正公堂は、本殿・幣殿・拝殿を一体化した権現造。山門とともに港区指定有形文化財です。高輪から白金台へ歩く途中に、江戸後期の寺院建築がまとまって残る場所として立ち寄れます。

シェラトン都ホテル東京――藤山邸からホテルの庭へ

散歩の終盤にあるシェラトン都ホテル東京は、1979年7月7日、旧藤山愛一郎ふじやま あいいちろう邸跡に「都ホテル東京」として開業しました。藤山愛一郎は実業家・政治家として活動し、外務大臣も務めた人物です。

ホテルの建築はミノル・ヤマサキ、大林組、村野藤吾が関わり、大林組の記録では村野藤吾がインテリアと造園設計を担当したとされています。現在の日本庭園は約1,800坪。庭には藤山家ゆかりの石像や石塔も残り、邸宅地からホテルへ移った土地の記憶を庭園の中でたどれます。

プリンスホテル側が「旧宮家の邸宅と庭園」を受け継ぐ場所なのに対し、シェラトン都ホテル東京は「政財界人の邸宅地と庭」を引き継いだ場所です。高輪から白金台へ歩くことで、近代東京の邸宅地がホテルへ転用されていく流れを一つの散歩で見比べられます。

散歩コース

以下のリンクはGoogleマップです。庭園の公開状況や施設の利用条件は変わることがあるため、訪問時は各施設の公式案内も確認すると安心です。

  1. プリンスホテル日本庭園
  2. 旧竹田宮邸洋館
  3. 高輪公園
  4. IGM高輪ハウス ※中継地点
  5. 弘法大師像
  6. 二本榎の碑
  7. 二本榎児童遊園
  8. 高松児童遊園(くじら公園)
  9. 大久保だんご総本店
  10. 清正公大神儀
  11. シェラトン都ホテル東京
  12. 白金台駅

高輪・白金台をさらに歩く

参考資料