高輪ゲートウェイ駅〜品川駅〜五反田駅ナイトウォーク|江戸・鉄道・近代建築を歩く歴史散歩

高輪ゲートウェイ駅から泉岳寺、高輪大木戸、品川駅を経て、高輪の日本庭園、元和大殉教記念碑、旧島津家本邸、五反田へ。江戸の玄関口だった高輪から、日本最初の鉄道、近代の邸宅と都市の広がりへと時代を追って歩くコースです。過去にゆる歴史散歩会のナイトウォークで実際に歩いたルートです。

高輪ゲートウェイ駅から五反田駅へ|今回の歴史散歩コース

前半は高輪ゲートウェイ駅から泉岳寺、高輪大木戸を経て品川駅へ。後半は品川駅から高輪の高台を上り、日本庭園、元和大殉教記念碑、旧島津家本邸を経て五反田へ向かいます。

  1. 高輪ゲートウェイ駅(前半集合場所)
  2. 泉岳寺 中門
  3. 高輪大木戸跡
  4. 港区立芝浦中央公園
  5. 渡邉庄吉氏之像(通過ポイント)
  6. JR品川駅のトライアングルクロック(後半集合場所)
  7. プリンスホテル日本庭園
  8. 元和大殉教記念碑
  9. 清泉女子大学(旧島津家本邸)
  10. 通過地点
  11. ドン・キホーテ 五反田東口店(終了場所)

高輪ゲートウェイ駅|江戸の海岸線から新しい街へ

高輪たかなわゲートウェイ駅は2020年3月14日に開業しました。周辺では旧車両基地の跡地を中心に大規模なまちづくりが進み、2026年3月28日にTAKANAWA GATEWAY CITYがグランドオープンしています。

現在はビルが並ぶ駅の東側も、明治初期には海でした。駅の周辺には、江戸の出入口だった高輪大木戸、海上に鉄道を通すために築かれた高輪築堤、現代の再開発が近い範囲に重なっています。江戸から明治、令和まで「東京の南の玄関口」が更新されてきた場所です。

高輪ゲートウェイ駅の駅舎
高輪ゲートウェイ駅。江戸の海岸線から現代の再開発までをたどる散歩の起点です。

高輪築堤や周辺の古代遺跡まで詳しく歩くコースは、高輪ゲートウェイの歴史を歩く|高輪築堤・伊皿子貝塚・高輪大木戸・亀塚を巡るで紹介しています。

泉岳寺|赤穂義士が眠る曹洞宗の名刹

泉岳寺せんがくじは1612年に外桜田で創立され、1641年の火災後に高輪へ移りました。移転には浅野家を含む五大名が関わり、その縁から浅野家の菩提寺となりました。1702年の討入り後、赤穂四十七義士は主君・浅野長矩の墓のそばに葬られています。

江戸時代には青松寺・総泉寺と並ぶ曹洞宗の江戸三ヶ寺の一つで、学僧が集まる学寮でもありました。忠臣蔵の舞台として知られる一方、江戸の曹洞宗を支えた教育・行政の拠点でもあった寺院です。泉岳寺と高輪一帯を詳しく歩くなら、港区の高輪・泉岳寺・三田エリアの歴史散歩もあわせて読めます。

高輪大木戸跡|江戸の南の玄関口

高輪大木戸は、東海道から江戸へ入る人々を管理する関門でした。両側には長さ約9メートル、幅約7.2メートル、高さ約3メートルの石垣が築かれ、門と木戸番小屋が置かれていました。夜間は通行が制限され、木戸番の監視下で脇の潜り戸を通りました。

国史跡の高輪大木戸跡に残る石垣
国史跡・高輪大木戸跡。第一京浜沿いに東側の石垣が残ります。
高輪大木戸跡の石垣
高輪大木戸跡。旧東海道を通って江戸へ出入りした人々の境界でした。

現在は東側の石垣が残り、国の史跡に指定されています。享和年間には伊能忠敬いのうただたかが全国測量に出発する際の起点となりました。旅人の出入口だった場所が、日本列島を測る旅の出発点にもなったことになります。

高輪築堤|1872年、海の上を日本最初の鉄道が走った

高輪築堤たかなわちくていは、1872年に新橋・横浜間で日本最初の鉄道が開業した際、高輪海岸沿いの海上に線路を通すため築かれた約2.7キロメートルの堤です。鉄道建設は1869年に決まり、1872年5月には品川・横浜間が先行開業しました。

2019年、品川駅改良工事で遺構が確認され、発掘調査によって開業当初の築堤や第7橋梁の橋台などが残っていることが分かりました。現在はTAKANAWA GATEWAY CITYのまちづくりの中で、史跡の保存と公開活用に向けた整備が進められています。

芝浦中央公園|下水処理施設の上に広がる都市の緑地

芝浦中央公園は、東京都下水道局芝浦水再生センターの曝気槽ばっきそうを鉄筋コンクリートで覆った人工地盤の上に造られています。A面は1980年に開園し、その後区域が広がりました。

海辺だった高輪・芝浦は、鉄道、埋立て、下水道、再開発によって都市の輪郭を変えてきました。芝浦中央公園では、地下の都市インフラと地上の公園が一体化した現代東京の土地利用を確認できます。

品川駅|正式開業より先に列車が走った鉄道史の出発点

日本最初の鉄道は1872年10月14日に新橋・横浜間で正式開業しましたが、その約5か月前の5月には品川・横浜間が仮開業していました。品川は、日本の鉄道営業が最初に始まった区間の北端です。

当時の線路の東側は海で、高輪築堤の列車からは東京湾が間近に見えました。品川駅の西側に連なる高台も、江戸時代には海を望む景勝地でした。近くの御殿山は将軍の御殿が置かれたのち桜の名所となり、歌川広重らが海を望む風景を描いています。

歌川広重が描いた江戸時代の御殿山の花見
歌川広重「江戸名所 御殿山花盛り」。海を望む高台で花見を楽しむ人々が描かれています。Public Domain/Wikimedia Commons。

プリンスホテル日本庭園|旧宮家の邸宅と高輪の高台

品川駅西口から高輪の坂を上ると、グランドプリンスホテル高輪などに囲まれた日本庭園に入ります。現在の庭園はグランドプリンスホテル高輪本館の新築に伴って1971年に作庭され、約20,000平方メートルの敷地に池や樹木、歴史的建造物が点在しています。観音堂、鐘楼、山門は2021年に港区指定有形文化財となりました。

庭園のそばに残る高輪貴賓館は、竹田宮恒久王たけだのみやつねひさおうの邸宅として1911年に完成した洋館です。宮廷建築家の片山東熊かたやまとうくまらが設計に関わり、近代の高輪が皇族や要人の邸宅地となった時代を伝えています。

グランドプリンスホテル高輪の日本庭園の池と樹木
グランドプリンスホテル高輪の日本庭園、2010年。撮影:Daderot/Wikimedia Commons/Public Domain。

庭園と旧宮家の建築をさらに詳しく見るなら、グランドプリンスホテル高輪 日本庭園の歴史|旧竹田宮邸・桜・文化財を歩くでまとめています。

元和大殉教記念碑|江戸のキリシタン弾圧を伝える場所

元和げんな9年(1623)12月4日、三代将軍・徳川家光の時代に、原主水はらもんどらキリシタンが江戸市中を引き回されたのち、札の辻から品川へ至る東海道沿いの高台で火刑に処されました。江戸でキリシタン弾圧が強まった時代を象徴する出来事です。

殉教者を顕彰する記念碑は、かつて近隣の聖マリア学院内に置かれ、学院の移転に伴ってカトリック高輪教会の前庭へ移されました。記念碑は殉教地に近い高輪で、江戸のキリシタン弾圧の記憶を伝えています。

旧島津家本邸|伊達家の下屋敷からコンドルの洋館へ

清泉女子大学の本館は、国の重要文化財に指定されている旧島津家本邸です。この一帯は1743年に仙台藩伊達家の下屋敷となり、約130年間使われたのち、明治初期に鹿児島島津家の所有となりました。

島津家は洋館の設計を英国人建築家ジョサイア・コンドルに依頼し、建物は1915年に竣工しました。洋画家・黒田清輝くろだせいきの指揮で館内の設備や調度が整えられ、1917年に落成しています。イタリア・ルネサンス様式を基調とする洋館は、現在も大学の校舎として使われています。

江戸の大名下屋敷、明治・大正期の華族邸宅、戦後の大学という土地利用の変化が、一つの敷地に重なっています。高輪から五反田へ向かう坂道では、低地の駅前とは異なる高台の邸宅地の歴史が残ります。

五反田へ|目黒川の低地と鉄道が育てた街

旧島津家本邸のある高台から五反田駅へ下ると、地形は目黒川沿いの低地へ変わります。五反田駅は1911年に山手線の駅として開業し、1928年には池上線が到達しました。川沿いには工場や事業所が集まり、駅前には商業、飲食、宿泊の機能が重なっていきます。

五反田を流れる目黒川と周辺の市街地
五反田を流れる目黒川。2021年撮影。撮影:Syced/Wikimedia Commons(CC0 1.0)。

五反田の地形と目黒川の関係は、目黒川の歴史を歩く|目黒・五反田・大崎から品川・天王洲までで詳しく紹介しています。駅東口の花街、旅館、戦後商業から現在の歓楽街へ至る変化は、五反田はなぜ歓楽街・風俗街として知られるようになったのかにまとめています。

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参考資料