江戸川の河川敷に広がる小岩菖蒲園から、江戸以来の花菖蒲の名所・堀切を経て、隅田川沿いの鐘ヶ淵へ。花を楽しむ道の途中には、江戸の関所と巡礼路、牧野富太郎の植物採集、近代紡績業、水運の信仰が重なっています。2024年6月8日に歩くために組んだコースをもとに、各地点の歴史がつながるように整理しました。
10:00〜小岩菖蒲園|江戸の関所と巡礼路から歩き始める
小岩菖蒲園の周辺は、江戸時代には江戸と房総を結ぶ交通の要所でした。佐倉道・元佐倉道・岩槻道が集まり、江戸川には小岩市川の渡しと関所が置かれていました。花菖蒲を見る前に旧道と道標をたどると、この土地が「川辺の花の名所」になる以前の姿が見えてきます。

御番所町の慈恩寺道石造道標
最初に見るのは、安永4年(1775)建立の「御番所町の慈恩寺道石造道標」です。佐倉道と元佐倉道が合流する場所に立ち、正面には千住・岩槻・慈恩寺方面と江戸・本所方面、側面には市川方面への道が刻まれています。
房総から江戸川を渡ってきた人々にとって、ここは道を選ぶ分岐点でした。坂東三十三観音第12番札所の慈恩寺へ向かう巡礼者も、小岩市川の渡しを越え、この道標を見て北へ進みました。
小岩市川の渡しと小岩市川関所
江戸川の対岸は市川です。江戸時代、この一帯には小岩市川の渡しと関所がありました。関所の周辺は「御番所町」と呼ばれ、街道と渡船が交わる場所として人と物が行き来しました。現在の京成線鉄橋付近から川を眺めると、橋のなかった時代の交通を想像しやすい場所です。
牧野富太郎が日本で初めてムジナモを発見
明治23年(1890)5月11日、植物学者の牧野富太郎は当時の小岩村伊予田で植物採集をしていた際、水面に浮かぶムジナモを発見しました。日本で初めて確認されたムジナモで、牧野はこの食虫植物に和名を付けています。小岩菖蒲園には発見100周年を記念する碑が立っています。
次への移動:11:36ごろ小岩菖蒲園を出発し、江戸川駅から京成線で堀切菖蒲園駅へ。駅から堀切菖蒲園までは徒歩約10分です。
12:15〜堀切菖蒲園|江戸の花菖蒲名所が世界へ広がる

堀切では江戸時代後期から観賞用の花菖蒲園が発達しました。19世紀前半に生まれた菖蒲園を受け継いだ三代目伊左衛門は、旗本・松平定朝から苗を求めるなど品種の収集と改良に取り組みます。園の評判は江戸に広まり、12代将軍徳川家慶と、のちの13代将軍徳川家定も鷹狩りの休憩で立ち寄りました。
初代歌川広重は安政4年(1857)の『名所江戸百景』で「堀切の花菖蒲」を描いています。画面いっぱいの花菖蒲の向こうに行楽客が見える構図からも、江戸後期には堀切が花を見るために出かける名所になっていたことが伝わります。
明治の五つの菖蒲園と海外輸出
明治時代に入ると、堀切の花菖蒲は海外にも渡りました。明治4年(1871)に武蔵園がドイツへ、明治10年(1877)には小高園がアメリカへ花菖蒲株の輸出を始めます。やがて小高園・武蔵園・吉野園・堀切園・観花園の五園が並ぶ全盛期を迎えました。
吉野園は明治43年(1910)の日英博覧会で名誉賞、大正4年(1915)のサンフランシスコ・パナマ太平洋万国博覧会で金賞を受賞しました。江戸郊外の行楽地で育てられた花が、近代には輸出品として世界へ広がっていきます。
戦時下の水田化と戦後の復興
現在の堀切菖蒲園につながる堀切園を始めたのが、明治4年(1871)生まれの礒貝忠次郎です。都市化と水質悪化に加え、戦時下には食糧確保のため菖蒲田が水田へ転換され、各園が閉じていきました。忠次郎の息子・庄太郎は貴重な品種を別の場所へ移して守り、戦後に植え戻して昭和28年(1953)に堀切園を再開しました。
その後、東京都による買収を経て、昭和50年(1975)に葛飾区立の堀切菖蒲園として開園しました。現在も5月下旬から6月中旬に花菖蒲が見頃を迎えます。
① 菖蒲七福神
② 堀切菖蒲園
③ 堀切菖蒲水門
④ 堀切水辺公園
堀切菖蒲園を出たら荒川へ。堀切水辺公園から川沿いを進み、鐘ヶ淵方面へ向かいます。江戸の園芸文化から、近代東京の治水と工業の風景へ場面が切り替わる区間です。
14:00〜鐘ヶ淵|隅田川の水運と近代工業をたどる

鐘ヶ淵は、川と産業の記憶が濃く残る地域です。墨田区の資料では、元和6年(1620)に寺院移転のため鐘を載せた船が隅田川を渡る途中で鐘を落とし、引き上げられなかったという地名由来の伝承が紹介されています。江戸の地名が、明治に生まれた大企業の名へ受け継がれました。
鐘淵紡績と「カネボウ」発祥の地
明治22年(1889)、越後屋や白木屋など呉服商5店の出資により、西洋式の紡績会社がこの地で操業を始めました。社名は地名から「有限責任鐘淵紡績会社」となり、のちの鐘紡、カネボウへつながります。墨堤通り側には発祥の地の説明板が残り、敷地北端には鐘紡記念碑があります。
隅田川沿いは、水運を利用しやすい立地でした。工場の成立とともに働く人や関連業者が集まり、東京東部の工業地帯が形づくられていきます。鐘ヶ淵では、地名、川、工場の歴史を一続きに見ることができます。
① 隅田水門
② 鐘淵紡績株式会社 発祥の地
③ 「鐘ヶ淵」の由来
梅若公園と隅田川神社
堤通の梅若公園は、梅若伝説と榎本武揚に触れられる歴史文化公園です。園内には梅若塚と榎本武揚像があります。中世以来語り継がれてきた梅若伝説と、幕末・明治を生きた榎本武揚の記憶が同じ公園に置かれています。
その先の隅田川神社は、かつて水神社と呼ばれた神社です。河川交通の要所であったことから、海運・運送に携わる人々の信仰を集めました。現在の社殿には江戸時代末期の建築が残り、墨田区の指定有形文化財となっています。工場だけでなく、水運と信仰も隅田川沿いの歴史を形づくってきました。
石浜城址公園から南千住へ
散歩の終盤は南千住へ入ります。南千住三丁目の石浜城址公園は平成29年(2017)に開園した公園で、中世の石浜城の名を現在に伝えています。さらに汐入方面へ進むと、川沿いの土地利用が大きく変わってきた南千住の景観へつながります。
この歴史散歩の流れ
- 小岩:佐倉道・慈恩寺道、小岩市川関所、牧野富太郎とムジナモ
- 堀切:江戸の花菖蒲園、将軍の来訪、浮世絵、明治の輸出と博覧会、戦後復興
- 鐘ヶ淵:隅田川の水運、鐘淵紡績、梅若伝説、水神信仰
- 南千住:石浜城の名を伝える公園から汐入へ
花菖蒲を軸に歩き始めるコースですが、時代は江戸の街道と行楽、明治の植物学と産業、戦後の公園整備まで続きます。川を越えるたびに町の役割が変わり、東京東部が水辺とともに発展してきた過程を歩いて追える約一日のコースです。
あわせて読みたい歴史散歩
南千住まで歩いた後は、周辺の歴史を扱った「遊女の投げ込み寺、小塚原刑場、解体新書など南千住のディープな史跡を巡りお散歩します」につなげると、江戸の刑場・街道・近代医学まで視野が広がります。吉原方面まで続ける場合は「南千住、吉原遊廓、浅草の歴史を巡ります」、隅田川を水上から見る散歩には「お台場から浅草へ歴史クルーズ|東京港・竹芝・隅田川を船でたどる」も関連します。

