新宿駅南口を出ると、空の高いところにNTTドコモ代々木ビルが見えます。そこから千駄ヶ谷へ歩くと、江戸幕府に仕えた学者の旧跡、明治文学の拠点、江戸の富士信仰、東京オリンピックの記憶が次々と現れます。新宿の超高層ビル街から明治神宮外苑まで、約300年の東京史をたどる散歩コースです。
新宿駅から神宮外苑へ歩く歴史散歩コース
出発は新宿駅南口のSuicaのペンギン広場。NTTドコモ代々木ビルを目印に千駄ヶ谷へ入り、新井白石終えんの地、国立能楽堂、東京新詩社跡、鳩森八幡神社、国立競技場、明治神宮外苑を経て、滝沢馬琴終焉の地へ向かいます。
- Suicaのペンギン広場
- NTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)
- 新井白石終えんの地
- 国立能楽堂
- 東京新詩社跡
- 鳩森八幡神社
- 国立競技場前広場
- 1964年東京オリンピック聖火台
- 明治神宮外苑の舗装(土木遺産)
- 滝沢馬琴終焉の地
NTTドコモ代々木ビル|現代東京の通信インフラ
新宿駅南口から千駄ヶ谷方向を見上げると、時計塔のような姿をしたNTTドコモ代々木ビルが目に入ります。地上27階、高さは塔の先端まで約240メートル。オフィスだけでなく通信設備を収容する建物で、北側には直径約15メートルの大時計があります。

超高層ビルが密集する新宿の景観から、低層の住宅や文化施設が増える千駄ヶ谷へ歩いていくと、街の性格が短い距離で変わっていきます。
新井白石終えんの地|江戸の知性が晩年を過ごした千駄ヶ谷
新井白石は、6代将軍徳川家宣、7代将軍徳川家継に仕えた儒学者です。家宣のもとで政治に深く関わり、貨幣や貿易、朝廷との関係などを見直した「正徳の治」を支えました。
8代将軍徳川吉宗の時代になると政治の中心から退き、晩年は千駄ヶ谷で著述に力を注ぎました。渋谷区の案内によると、白石は享保10年(1725)5月19日にこの地で亡くなっています。自伝『折たく柴の記』、大名家の系譜をまとめた『藩翰譜』、世界地理を論じた『采覧異言』などを残しました。
白石の政治や著作を詳しく知りたい方は、「新井白石とは何者か|正徳の治と江戸の知性を初心者向けに解説」でまとめています。
国立能楽堂|千駄ヶ谷に根づく伝統芸能
国立能楽堂は1983年に開場した、能・狂言の上演と保存・普及を担う国立の劇場です。能は室町時代に大成し、江戸時代には幕府の儀礼や武家社会と深く結びつきました。近代都市の千駄ヶ谷に、数百年続く舞台芸術の専門施設が置かれていることも、この一帯の文化的な厚みを感じさせます。

東京新詩社跡|与謝野鉄幹・晶子が暮らした文学の拠点
千駄ヶ谷1丁目には、与謝野鉄幹と与謝野晶子が暮らした東京新詩社跡があります。渋谷区によると、夫妻は1904年11月に道玄坂から千駄ヶ谷へ移り、この時期に東京新詩社の活動は最盛期を迎えました。
東京新詩社は雑誌『明星』を発行し、明治の新しい短歌・詩の動きを牽引しました。現在の静かな住宅街を歩くと、ここが文学者たちの交流拠点だった時代を重ねて見ることができます。

鳩森八幡神社と千駄ヶ谷富士|江戸の富士信仰を歩く
鳩森八幡神社の境内には、富士山を模して築かれた「千駄ヶ谷富士」が残っています。江戸では富士山を信仰する富士講が盛んになり、遠い富士山へ行かなくても登拝できる富士塚が各地につくられました。
千駄ヶ谷富士は23区内に現存する最古の富士塚とされ、東京都の有形民俗文化財に指定されています。石を積んだ小さな山には登山道が設けられ、都市の中で江戸の信仰を体感できる場所です。

国立競技場|1924年の競技場から二度の東京五輪へ
国立競技場の場所には、約100年にわたるスポーツ施設の歴史があります。1924年、明治神宮外苑に明治神宮競技場が完成しました。その跡地に1958年、旧国立競技場が完成し、1964年東京オリンピックではメインスタジアムとして使われました。
- 1924年 明治神宮競技場が竣工
- 1958年 国立競技場が完成
- 1964年 東京オリンピックのメインスタジアムに
- 2019年 現在の国立競技場が完成
- 2021年 東京2020オリンピック・パラリンピックの主会場として使用
同じ場所で競技場が更新されながら、関東大震災後の大正期、戦後復興、高度経済成長、そして21世紀の東京までをつないできました。
1964年東京オリンピック聖火台|川口の鋳物技術が残した記念物
国立競技場の周辺には、1964年東京オリンピックで使われた聖火台が残されています。この聖火台は鋳物の街として知られる埼玉県川口で製作されました。
製作は一度の鋳造失敗を経ています。製作を担った鋳物師・鈴木万之助が亡くなった後、息子たちが仕事を引き継ぎ、1958年に完成させました。1964年10月10日の開会式ではこの聖火台に火が灯され、戦後日本を象徴する光景の一つになりました。

明治神宮外苑|旧青山練兵場から生まれた近代都市空間
国立競技場から先は明治神宮外苑です。外苑一帯にはかつて青山練兵場があり、1912年に明治天皇の大喪儀が行われました。その後、明治天皇と昭憲皇太后の事績を伝える空間として整備が進み、1926年に完成して明治神宮へ奉献されました。
中心に建つ聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后の時代を描いた壁画を展示する施設です。神宮球場や競技場などのスポーツ施設と、記念建築、並木、道路が一体で計画されたことに、近代東京の都市計画の特徴が表れています。

聖徳記念絵画館前通りの舗装は土木遺産
足元にも歴史があります。聖徳記念絵画館前通りを含む外苑の道路舗装は1926年に完成し、日本で初めてワービット工法を採用した舗装として知られます。現在残る車道用アスファルト舗装として最古級で、2004年度に土木学会選奨土木遺産となりました。
建築物や記念碑だけでなく、普段は意識せず歩く道路そのものが約100年前の都市整備を伝えています。
滝沢馬琴終焉の地|『南総里見八犬伝』完成の地へ
滝沢馬琴(1767~1848)は、江戸後期を代表する読本作者です。1835年に四谷信濃町の四谷組同心屋敷へ移り、晩年を現在の新宿区霞ヶ丘町周辺で過ごしました。
馬琴は晩年に視力をほぼ失いましたが、嫁の路が口述筆記を担い、長編『南総里見八犬伝』を完成させました。国立競技場や明治神宮外苑の近代的な景観のすぐ近くに、江戸文学を代表する作家の終焉の地が残っています。
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千駄ヶ谷と新宿御苑の外周を歩いた記録は、「新宿御苑を一周した歴史散歩レポート」にまとめています。青山一丁目から神宮外苑、原宿へ抜ける別ルートは、「青山一丁目~外苑前~原宿の歴史散歩」で紹介しています。
