四ツ谷駅から須賀神社、左門町、信濃町を経て明治神宮外苑へ。江戸城外堀と寺町、映画『君の名は。』で知られる石段、お岩信仰、明治期の宮廷建築まで、四谷の街が重ねてきた時代を歩いてつなぐコースです。
四ツ谷から外苑へ歩くと、江戸と近代東京がつながる
四ツ谷駅の西側には江戸城外堀と四谷見附の石垣が残り、東へ進むと江戸初期に寺社が集められた四谷寺町があります。さらに信濃町から明治神宮外苑へ進むと、明治以降の宮廷建築と記念施設が現れます。短い距離のなかで、江戸の城下町から近代東京へ移る景観を続けて見られるのがこのルートの特徴です。

聖イグナチオ教会と上智大学|四ツ谷に根づいたカトリック文化
四ツ谷駅前の聖イグナチオ教会は、カトリック麹町教会の名で1936年に設立されました。戦災で聖堂を失ったのち、1949年に新聖堂が完成し、現在の主聖堂は1999年に献堂されています。
隣接する上智大学は1913年、専門学校令による大学として開校しました。大学の沿革は、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルが日本での高等教育を願ったことまで遡ります。1906年には教皇ピウス10世がイエズス会へ日本での高等教育機関設立を要請し、その流れが四谷の大学創設へつながりました。

四谷見附|甲州街道が江戸城外堀を越えた場所
四谷見附は、甲州街道が江戸城外堀を越える場所に置かれた城門でした。寛永13年(1636)の外堀普請で整備され、現在もJR四ツ谷駅麹町口側に石垣が残っています。門は失われても、外堀の高低差と石垣から江戸城西側の入口だった地形を読み取れます。
赤坂見附から四谷見附まで外堀そのものを追うコースは、赤坂見附から四谷見附へ|江戸城外堀と見附を歩く歴史散歩で詳しく紹介しています。
須賀神社|四谷の鎮守と『君の名は。』の石段
須賀神社は江戸初期から四谷十八ヶ町の鎮守として信仰を集めてきました。前身の稲荷社は江戸城外堀普請に伴って寛永11年(1634)に現在地へ移ったと伝わり、四谷寺町の形成と同じ都市改造のなかに位置づけられます。
社殿には天保7年(1836)奉納の三十六歌仙絵が伝わります。大岡雲峰が三十六歌仙を描き、千種有功が和歌を書いた36面で、戦災を免れて現在まで残りました。

神社南側の石段は、映画『君の名は。』の印象的な場面のモデルとして広く知られています。作品の舞台を訪ねる散歩と、江戸以来の四谷総鎮守を訪ねる歴史散歩が同じ場所で重なります。
左門町|実在のお岩と四谷怪談
須賀神社から左門町へ進むと、陽運寺と於岩稲荷田宮神社があります。田宮家に伝わるお岩の信仰は、鶴屋南北の歌舞伎『東海道四谷怪談』が初演される以前からこの地にありました。芝居によって「怨霊のお岩」という像が広まり、実在人物の伝承と創作が重なって現在の四谷怪談のイメージが形づくられています。

西念寺、愛染院、戒行寺などを含む四谷寺町と、お岩信仰の歴史は、四谷の神社仏閣10か所を歩く|服部半蔵・鬼平・四谷怪談を巡る歴史散歩にまとめています。
信濃町から明治神宮外苑へ|江戸の武家地から明治の記念空間へ
信濃町から南へ進むと、江戸期の武家地だった一帯に明治以降の施設が重なります。明治記念館本館は1881年に赤坂仮皇居の御会食所として建てられ、その後の移築を経て1918年に現在地へ移されました。

明治神宮外苑は、明治天皇と昭憲皇太后の事績を後世に伝える記念空間として造営されました。中心施設の聖徳記念絵画館は1926年に竣工し、明治期の出来事を描いた日本画40面・洋画40面、計80面の壁画を収蔵しています。
信濃町から四ツ谷にかけての谷と坂、鮫河橋、四谷見附、迎賓館までを地形からたどるコースは、信濃町から四ツ谷を歩く歴史散歩で詳しく扱っています。
このコースの主な立ち寄り先
- 聖イグナチオ教会・上智大学
- 四谷見附跡
- 須賀神社と周辺の石段
- 陽運寺
- 於岩稲荷田宮神社
- 信濃町
- 明治記念館
- 明治神宮外苑・聖徳記念絵画館

