四谷〜明治神宮。君の名は。の聖地である須賀神社など

0526_須賀神社 イベント

10:00〜聖イグナチオ教会

上智大学(Sophia University)
1913年創立で、日本で唯一の教皇庁立大学である。

549年
聖フランシスコ・ザビエルの来日。日本の首都に神学部、法学部、医学部を含む総合大学をという希望をローマへ書き送る。上智大学設立に結びついた。

1906年
教皇ピウス10世がイエズス会に対し、日本への高等教育機関設置を要請。

1913年
専門学校令により上智大学(哲学科、独逸文学科、商科)を設立、ヘルマン・ホフマンが初代学長に就任。

1928年
大学令による上智大学(文学部哲学科、文学科・商学部商学科)を設立。

聖イグナチオ教会

東京の中心、四ツ谷に位置する「カトリック麹町教会」は「聖イグナチオ教会」という名で親しまれ、様々な国籍の人々が集い、日曜日には各国の言葉でミサも行われ、国際色豊かな教会として知られています。

聖イグナチオの名は、カトリック修道会イエズス会の創立者で初代総長であった聖イグナチオ・デ・ロヨラからいただき、当教会の保護聖人としています。1549年キリスト教を、はじめて日本に伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、聖イグナチオから派遣されたのでした。

聖イグナチオ教会の前身である「幼いイエズスの聖テレジア教会」は、1936年東京大司教区の小教区教会として設立されました。1945年5月の大空襲で全焼したため、上智大学クルトゥルハイム聖堂が臨時の教会となりました。1947年麹町教会は東京大司教区からイエズス会に委託され、ロヨラの聖イグナチオに奉献された聖堂の建設が始まり1949年竣工、献堂式が挙行されました。

しかし、半世紀が経ち、聖堂の老朽化と信徒の急激な増加もあり、1999年現在の建物が建てられました。この新しい建物は、楕円形の主聖堂を中心としています。楕円は命と復活の象徴である卵の形であり、キリストの復活を表現しています。主聖堂正面の壁に置かれているイエス像は、受難と死から自由になった復活を表し、両手を広げて訪れる人々を温かく迎え入れてくれます。

主聖堂
司祭・侍者席・信徒席・バルコニー席・聖歌隊席のすべてが祭壇を囲み、祭壇で行われる典礼がよく見えるように配置されています。固定席数は700席。聖堂の中心には、イエスと弟子たちが囲んだ「最後の晩餐」の食卓である祭壇が置かれています。この祭壇は、「仕えられるためではなく、仕えるために」と語ったイエスの言葉のように、聖堂のもっとも低い場所に置きました。
会衆席は食卓である祭壇を囲むように放射状に配置され、ミサに参加するすべての人々が一つの食卓に与れるように配慮されています。聖堂を囲む十二本の柱は、キリストの教会を支える十二人の使徒たちを表します。柱は天井を支え、蓮の花をかたどった天井をとおして、ここで祈る人々の上に神の恵みである光が降り注ぎます。さらに、楕円の壁には十二枚のステンドグラスが嵌められ、それぞれに神によって創造された大自然が描かれています。ここに集う私たちとともに、宇宙万物も神の創造の業をたたえているのです。

マリア聖堂
教会の正門を入って右手の2階に見える円屋根の建物です。聖母の名をいただき「マリア聖堂」と呼ばれています。結婚式や葬式などにも使用されます。座席は180席。マリア聖堂正面の大きなステンドグラスは、教会のシンボルである聖イグナチオの御絵です。このステンドグラスは1949年に建築された旧聖堂正面を飾っていたもので、半世紀を共に歩み、これからも歩み続ける未来を象徴しています。

ザビエル聖堂
静かな日本的精神性が感じられる空間に造られています。壁はわらすさを混ぜた素朴な土壁で出来ています。座席は80席。聖堂の内外に連なる池は水鏡となって光を反射し、水面の揺らぎが聖堂の奥まで映えるように設計されています。この池には洗礼盤から、常に洗礼の水が静かに湧き出しています。

11:30〜四谷見附の遺構をのんびりみます

四ツ谷駅周辺の6カ所の説明スポットに立ち寄ります。アイスコーヒーを飲みながらでも。

参考資料:四谷四丁目による四谷見附

13:00〜君の名は。の聖地である須賀神社と周辺散策。お岩さんの元となった於岩稲荷田宮神社も

参考:瀧くんと三葉が階段で出会うまでのルート

ルート① 桂マンション

ルート② 闇坂

この坂の左右にある松厳寺と永心寺の樹木が繁り、薄暗い坂であったためこう呼ばれたという。

ルート③ 須賀神社

  • 主祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)と宇迦能御魂神(うかのみたまのみこと)
  • 須佐之男命「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」
  • 都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物
  • 須賀神社公式HP

ルート④ 於岩稲荷

陽運寺について
 江戸時代、文政八年七月、歌舞伎作者 四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。この地にあったお岩様の霊堂が戦災にあったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し当寺が開山されました。境内にある秦山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。薬師堂の棟札には宝暦七年と記されており、二五〇年以上の歴史ある建物です。当堂内にはお岩様の立像が奉祀され、厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると多くの参拝者の信仰を集めています。境内にはお岩様由縁の井戸、再建記念碑等があります。
 当山は山梨県、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です 。茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和の初め頃建立しました。本堂は宝暦七年(1757)建造の薬師堂を移築したものであり、寄木造りの貴重な建造物です。堂内には宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などが勧請安置されています。
 東海道四谷怪談で有名なお岩様をお祀りしています 。当寺は江戸、文政年代に活躍した四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしていることから「於岩稲荷(おいわいなり)」とも呼ばれています。本堂にはお岩様の木像が安置されており、境内には昭和32年に新宿区より文化財に指定されていたお岩様ゆかりの井戸があります。なお、歌舞伎興行の際には安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れます。また、悪縁を除き、良縁を招く縁結びには多大なご利益があり、全国各地より多くの参拝者が訪れます。(引用元:陽運寺公式HP

於岩稲荷田宮神社について
 於岩稲荷田宮神社は、鶴屋南北の傑作『東海道四谷怪談』の主人公・お岩さんゆかりの神社として知られる。歌舞伎や演劇で四谷怪談を演じるときには、於岩稲荷に参拝しなければ祟りがあるという俗信は有名だが、於岩稲荷に伝わる話はずいぶん違っている。それによれば、お岩さんというのは怨霊とは無縁であるどころか、非常に健気な女性で、しかも夫婦仲は非常に円満であったという。それによれば、お岩という女性は幕府の御家人・田宮又左衛門の娘で、夫・田宮伊右衛門とは人もうらやむ仲のよい夫婦だった。しかし、家は大変貧しかったので、家計を支えるため商家に奉公に出た。お岩は日頃から田宮家の屋敷神を熱心に信仰していた。その甲斐あって、次第に家運は回復し、かつての繁栄を取り戻した。寛永13年(1636)にお岩はなくなるが、お岩の信仰によって田宮家が復活したという話は評判となり、近隣の人々は田宮家の屋敷神を於岩稲荷と呼んで信仰した。享保2年(1717)田宮家は屋敷神の隣に稲荷祠を建立した。参拝を求める人が増えたので、屋敷を開放して参拝を許可することになり、以来、於岩明神・大巌明神・四谷稲荷・左門町稲荷などと呼ばれて、信仰を集めた。
 文政8年(1827)鶴屋南北は江戸の庶民の信仰を集めているお岩をモデルとし、さまざまな江戸の事件で脚色した歌舞伎『東海道四谷怪談』を執筆した。これが大当たりで、於岩稲荷の人気はますます高まったが、健気な女性であった於岩に怨霊というイメージが定着してしまった。さらに、『東海道四谷怪談』に出演する役者は於岩稲荷に参拝していたのだが、そのうちに上演前に参拝しなければ、病気になったり事故に遭ったりするという話になり、祟りだという話にまでなった。しかし、これは『東海道四谷怪談』は暗い場所で演じる上に、大がかりなからくりなどが用いられるので、怪我が多く、それが祟りと結びつけられたのだろうという。
 明治の初め、於岩稲荷田宮神社と改称した。明治12年(1879)、四谷左門町の火事で社殿が焼失したのをきっかけに、越前堀(現在の中央区新川)の田宮家の敷地内に遷座した。市川左団次から毎回四谷まで参拝に赴くのは大変なので、近くに移転してもらいたいという要望があったことにもよるという。これが現在、中央区新川にある於岩稲荷田宮神社で、こちらが本社になる。昭和27年(1952)四谷の旧社地に飛地境内社として四谷の於岩稲荷田宮神社が再興された。(引用元:古今御朱印研究室

ルート⑤ JR信濃町駅

17:30〜明治神宮外苑のみどころを見て回ります!神宮外苑の歴史と将来について

参考記事①:「明治神宮外苑」大規模再開発が2024年着工予定。中止や反対を乗り越えた先に見える景色とは

参考記事②:「新神宮」完成4年遅れ 2027年から2031年に 周辺の再開発計画見直し

ルート① 明治神宮外苑信濃町休憩所

ルート② 千日坂

ルート③ 明治記念館

ルート④ 日本最古のアスファルト

ルート⑤ 聖徳記念絵画館

ルート⑥ 建国記念文庫

ルート⑦ 神宮軟式球場噴水

ルート⑧ 明治神宮外苑之記

この記事を書いた人
ゆる歴史散歩会 会長
なかまつ

北海道大学工学部卒。美術館は週に2回、海外旅行は年に6回行く、ゴリゴリの理系出身のIT系ビジネスマン。隣が図書館のため毎月10冊の本を借りている。趣味の延長で、東京の歴史や芸術を楽しむゆる〜いイベントを企画している。

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