築地外国人居留地を歩く|立教・女子学院・慶應・聖路加の発祥と明石町の歴史

カトリック築地教会の白い列柱と礼拝堂内部、祭壇とステンドグラス

築地から明石町へ歩くと、立教、女子学院、明治学院、慶應義塾、聖路加へつながる近代史が数百メートルの範囲に重なっています。明治初年に置かれた築地外国人居留地は、東京の外交、キリスト教、学校教育、医療が交わった場所でした。現在は洋館街こそ残っていませんが、教会、記念碑、発祥地の碑からその輪郭をたどれます。

1869年に描かれた築地外国人居留地と鉄砲洲の風景
1869年の「東京築地鉄砲洲景」。外国人居留地が置かれた明石町周辺の姿を伝えます。歌川国輝(二代)/Public Domain

築地外国人居留地とは

江戸の開市に伴い、現在の中央区明石町一帯に外国人居留地が設けられました。横浜のような開港場とは性格が異なり、築地は東京の「開市場」に置かれた居留地でした。貿易商社の街というより、公使館、教会、学校、病院が集まったことが大きな特徴です。

居留地以前の一帯は築地鉄砲洲と呼ばれ、武家屋敷が広がっていました。現在の明石町10・11番付近には赤穂藩主浅野長矩あさのながのりの上屋敷がありました。江戸の武家地が、明治になると外国人居留地へ転換したのです。

慶應義塾と蘭学――居留地より前から始まった西洋学問

築地の西洋文化受容は、外国人居留地の開設より前に始まっています。1858年、福澤諭吉ふくざわゆきちは築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で蘭学塾を開きました。これが慶應義塾の起源です。さらにこの中津藩屋敷では、江戸時代に前野良沢まえのりょうたくらが『ターヘル・アナトミア』の翻訳に取り組み、『解体新書』へつながる仕事を進めました。

アメリカ公使館――明石町が外交の舞台だった時代

アメリカ公使館は1874年から1890年まで築地外国人居留地に置かれました。現在の聖路加ガーデン周辺には、当時の建物に使われていた白頭鷲、星条旗、星などを刻んだ石造物が記念碑として残ります。現在の住宅街に、東京の外交拠点だった痕跡が残る場所です。

カトリック築地教会――居留地の面影を残す建築

フランス・カトリック教会は1874年に居留地36番を借り、1878年に築地聖ヨゼフ天主堂を建てました。初代聖堂は関東大震災で焼失し、現在の聖堂は1927年の再建です。正面に列柱を並べた古典主義的な外観は、明石町の近代史を建築として伝えています。

明石町に建つカトリック築地教会の聖堂
カトリック築地教会。現在の聖堂は1927年に再建されました。撮影:三人日 / Wikimedia Commons
カトリック築地教会の白い列柱と礼拝堂内部、祭壇とステンドグラス
カトリック築地教会の聖堂内部。白い列柱、祭壇、ステンドグラスが静かな礼拝空間をつくっています。
カトリック築地教会に展示されたキリシタン禁制の高札やマリア像などの歴史資料
築地教会に展示されているキリシタン史の資料。禁制の高札、マリア像などを通じて信仰の歴史に触れられます。

立教・女子学院・明治学院――学校発祥の地が集まる理由

1874年、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが築地で聖書と英学を教える立教学校を開きました。現在の立教大学の起源です。

女子学院の起源の一つも築地にあります。1870年、ジュリア・カロゾルスが居留地6番にA六番女学校を開設しました。明治学院につながる東京一致神学校も1877年に築地で設立され、ヘボン塾も後に築地へ移っています。明石町に学校の発祥碑が集中する背景には、居留地に来た宣教師や教育者の活動がありました。

聖路加――外国人居留地から近代医療へ

居留地制度は1899年に廃止されました。その直後の1901年、米国聖公会の宣教医ルドルフ・ボリング・トイスラーが築地で病院を開設します。これが聖路加国際病院へ発展しました。教育と宗教だけでなく、西洋医学の拠点も明石町に根づいていきます。

聖路加国際病院の歴史を伝える建物として、トイスラー記念館も残されています。周囲の緑と赤い屋根の外観が印象的で、現地には中央区指定有形文化財の案内板が設けられています。

中央区指定有形文化財の聖路加国際病院トイスラー記念館の建物と解説板
緑と花々に囲まれたトイスラー記念館。聖路加の医療史を伝える歴史的建造物です。

聖路加タワーのオフィス棟28階にある渡り廊下からは、周辺の街並みを高い位置から見渡せます。築地・明石町の歴史を地上でたどったあと、高層階から現在の東京の姿を眺めた場面も写真に残しました。

聖路加タワーオフィス棟28階の渡り廊下を見学する参加者
聖路加タワーのオフィス棟28階にある渡り廊下。高層階の明るい通路から景色を眺めました。
聖路加タワーオフィス棟28階の渡り廊下から望む東京都心と東京スカイツリー
聖路加タワー28階の渡り廊下から望む都心の景色。遠方には東京スカイツリーも見えます。

地下から見つかった外国人の暮らし

明石町遺跡の発掘では、西洋産のティーカップやソーサー、ワインボトル、ジンボトル、ソーダボトル、牛骨、パリ製のクレイパイプなどが出土しています。発祥碑だけでなく、実際に外国人が暮らしていた生活用品が地下に残っていました。

関東大震災で変わった居留地の街並み

外国人居留地は1899年の条約改正で廃止されましたが、洋館や教会はその後も残りました。1923年の関東大震災で街並みは大きく変わり、現在は建物そのものより発祥碑や石造遺物が多く残っています。明石町を歩くときは、点在する碑をかつての居留地の街区と重ねると歴史がつながります。

築地本願寺――築地という土地の成立から近代建築へ

築地本願寺は1617年に浅草付近で創建され、明暦の大火後に現在地へ移りました。海を埋め立てて土地を「築いた」ことが築地の地名と結びついています。現在の本堂は伊東忠太いとうちゅうたの設計で1934年に竣工しました。古代インドなどの仏教建築を参照した外観を持ち、国の重要文化財です。

伊東忠太設計の築地本願寺本堂
1934年竣工の築地本願寺本堂。伊東忠太が設計しました。撮影:Christophe95 / Wikimedia Commons
築地本願寺境内の親鸞聖人像と1934年竣工の本堂を見学する参加者
築地本願寺の親鸞聖人像と本堂。独特の曲線を描く屋根が、築地の街並みの中で目を引きます。

築地・明石町を歩くコース

  1. 築地本願寺
  2. 慶應義塾発祥の地・蘭学事始の地
  3. カトリック築地教会
  4. 女子学院発祥の地
  5. 立教学院発祥の地
  6. 明治学院発祥の地
  7. アメリカ公使館跡
  8. 聖路加国際病院周辺

京橋・八丁堀から築地へ歩きながら江戸から明治への変化をたどるコースは、京橋~八丁堀~築地の歴史散歩で紹介しています。銀座から築地を経て月島まで、埋め立てと都市拡張を追うコースは、銀座~月島の歴史散歩をご覧ください。

参考資料